第26話 彼女の職場に押しかけたら その1
夏休みは中盤に差し掛かろうとしていた。
紡希が百花ちゃんのところへ元気よく出かけていったその日。
俺は、かねてから温めていた計画を実行することにした。
学校の宿題はとうに終わり、夏休み前に計画していた勉強量を消化できる見通しがたった今、ようやく行動に移す時がきた。
結愛のバイト先にこっそりお邪魔するつもりだった。
別に、結愛はバイト先を隠しているわけでもないし、『慎治もヒマだったら来てよ~』だなんて営業までしていたくらいだから、こそこそすることはないんだけどな。
ギプスのせいで腕が暑い上に自転車を使えない中、徒歩で駅まで向かい、電車で2駅分乗ったところで降りる。
最寄り駅から5分ほど離れた、高層マンションが立ち並ぶ小綺麗な一帯に、その喫茶店はあった。
カフェ文化が発達した西洋のカフェテリアを模したような外観の木造の建物は、きっとおしゃれな連中ばかりいるんだろうなぁ、という被害妄想を抱かせ、店内に入ることすらままならず周囲を歩いて時間稼ぎをしてしまいそうになる。
だが、今日の俺は、そんな情けない怖気づき方なんてしない。
「へぇ、ここが結愛っちがバイトしているカフェね」
桜咲が一緒だからだ。
隙あらばダメ出ししてくる可能性があるから、ちらっとでも情けないところを見せたらアウトなのである。
まあ、1人ではなく桜咲を連れてきている時点で情けないと思われそうだが、桜咲の方から『せっかくだから行きたい!』とメッセージを送ってきて、ついてきてしまったのだから仕方がない。桜咲も遊びなりバイトなりで忙しかったから、結愛のバイト先に立ち寄ることはなかったようで、見るからに楽しみにしていた。
「桜咲さん、あんまり騒いで迷惑かけないようにしてくれよな」
「なんで騒ぐこと前提なのよ?」
「結愛が制服で働いてるところ見たらキャーキャー言って写真撮りまくりそうだから」
「撮らないって~の」
ラティーノヒートなノリで反論をしてくる桜咲。
へぇ、まともなところもあるんだな、と思ったのも束の間。
「スマホの写真より……瑠海の肉眼に焼き付けときたいから、じっくりねっとり見ちゃうつもり」
突然、スッ……と腕を上げた桜咲の手には目薬があった。
「これがあれば瑠海の目はいつでもベストコンディションってわけ」
「想像より重症だったか」
「瑠海のことより、名雲くんの方こそはしゃがないでよね! お客に、『あの子、めっちゃ可愛いだろ? おれの彼女なんだぜ?』とか言い出したら伝票だけ残して帰るから!」
「俺にそんな積極性とイキり体質はない」
そして奢る気も割り勘する気もないぞ。これはデートではないから、自分の分は自分で支払ってくれ。
「ていうか名雲くん、いつの間にか瑠海の前でも結愛っちのこと名前で呼ぶようになったんだね?」
桜咲に、肘の先で背中をつんつんされてしまう。
しまった。ついいつもの調子で結愛を名前で呼んでしまった。桜咲はクラスメートだから、油断して教室で『結愛』と呼んでしまう心配がないように、『高良井さん』呼びで通していたはずなのに……。
夏休み中ということで、桜咲とはたまにしか顔を合わせなくなっていたから、警戒心が鈍ってしまっていたのだろう。
「ま、夏休みだもんね。今、一緒に住んでるんだもんね。瑠海はヤボじゃないから、休みの間になにがあったかは詳しく聞かないよ」
ヤボなことで頭がいっぱい、という顔で、桜咲がニヤニヤしている。
桜咲は、俺と結愛が付き合っていると思っていて、『彼氏』である俺に対する視線も厳しい。『いや、何もないから』と本当のことを言えば、桜咲を怒らせてしまいそうだ。
「……ほら、早く入るぞ」
だから俺は、桜咲の勘違いに訂正を入れることはできないのだ。
「あらあら、名雲くんったら恥ずかしがっちゃって」
桜咲は、いじり甲斐があるわ、とばかりに表情を崩している。なんとも鬱陶しいことだ。
とはいえ、以前の桜咲なら大親友の結愛が男子と親しくすればブチギレていただろうに、こうして楽しんでいるような顔をするあたり、俺への態度も軟化しているのだろう。
今までやってきたことが無駄ではなかったように感じ、ちょっとだけだが自分を褒めたい気分になった。
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