第5話 夏の名雲家 その1
たんなる苦し紛れではなく、結愛のバイト先を気にしていたのは本当のことだ。
別に嫉妬しているわけじゃないが、学校内では数多の男子に告白され、以前プールに行った時も大学生風の男たちにナンパされた結愛のことだ。男が多い現場でバイトするとなったら、何かと面倒な目に遭うのでは? と心配してしまう。
「バイト先ならもう決めてるよ。さっき連絡くれたトコが本命だったんだよね」
この時になると、結愛もちゃんとソファに座り、俺の隣にいた。スマホのフォトアプリを開き、店内の写真を見せてくれる。
結愛が撮ってきたらしい何枚かの写真を見る限り、懸念する必要はなさそうに思えた。
照明は暖かな印象だし、木目調の内装も穏やかな雰囲気で、とても感じがよかった。
ただ、気になることはあった。
「結愛、これ……酒場じゃない?」
俺がそう判断したのは、バーカウンターらしきものが見えたからだ。
「お酒も出すから居酒屋といえばそうなんだけど、それって夜だけだし、昼間はちょっと意識高いカフェみたいなもんだから、高校生でも大丈夫っぽいよ。その辺はちゃんと店長に確認取ったし」
「へえ、店長に……」
「大丈夫だってー、店長は女の人だから~」
俺の背中をさすりながら、肩に頬を寄せてくる結愛。
「いや俺そんなことぜんぜん気にしてなかったんだけど?」
「顔に出ちゃってんですけどー?」
結愛に眉間を人差し指で突かれてしまう。秘孔を突こうとするな。
「ほーんと慎治って心配性だよね」
結愛は笑うのだが、心配性で済ませてくれたのは結愛の気遣いかもしれない。束縛が強い、とか嫉妬深いよね、とか、ネガティブなことを言われなくてホッとしてしまう。
「違う違う。勘違いするな。結愛じゃなくて、紡希がバイトする時のことを考てたんだ。店長は同性がいいなーってな。ほら、バイト先の店長は従業員に手を出す危険人物だろ?」
「だろ? って店長あるあるみたいに振られてもさぁ。偏見すごいねーとしか思えないんだけど」
結愛に呆れられてしまった。
「ま、慎治はバイトしたことないから、知らなくてもしょうがないよねー」
「労働経験があるのをいいことにマウント取ってきやがる……」
俺を労働貞と揶揄するなよな。
「シンにぃ。なんかわたしのこと気にしてるみたいだけど、わたし、初めてのお給料は
紡希が言った。
百花なる人物は、紡希の親友であり最大の理解者であり協力者でもある。とても穏やかな優しい子であり、イラストを得意としていた。強いて欠点を挙げるとすれば、強烈なプロレスオタクを姉に持っているということくらいだろう。百花ちゃんからすればいい姉なのだろうけどな。
「百花はマンガを描きたがってるから。手伝わない? って誘われてて」
「それはバイトっていうより……まあ仲良しの百花ちゃんが誘ってくれるなら、それはそれでいいことだな」
紡希がマンガの戦力になれるのかどうかは知らないが。絵を書く習慣はないはずだし、特に美術の成績がいいとも聞いていないから。
百花ちゃんはまだ中学生だから、アシスタント代を出すと言っても賃金代わりのお菓子とかだろうな。金銭のやりとりではないとはいえ、労働の対価として何かを受け取るのは経済活動の訓練になるから俺としてはアリだ。
結愛みたいな事情があるのならともかく、紡希は無理をしてバイトをすることはあるまい。俺だってしていないわけだし。まあ、紡希が何かしら新しい挑戦としてバイトを選ぶのなら、俺も強く否定はできないのだが。
紡希のことだと誤魔化したものの、結愛の心配をしていたのは本当で、店長が女性なのは安心材料だった。
結愛はとにかくモテるからな。写真で見る限りでは、従業員も女性ばかりだし、職場の仲間に告白されて人間関係を崩壊させるようなことにはなるまい。
「……慎治、なんか失礼なこと考えてない?」
ジト目の結愛が俺の顔を覗き込んでくる。
「いや、普通に心配してただけだぞ?」
「どーせ私が告白されまくって職場の雰囲気最悪にしたらどうするんだろう、とか考えてたんでしょ?」
ぐぬ……100%の正解を出してきやがる……。
「まーそういう心配されんの見越して女子率高いトコ受けてきたんだから、安心してよ」
何だか、俺の気づかないところで結愛には気を使わせてしまっているみたいだ。いやこの場合は、結愛の自衛の意味もあるのか。
「そんなわけで、一日中慎治のサポートするってわけにいかなくなっちゃったけど……」
そんな申し訳なさそうな顔するなよな。
「おかげさまで、ほぼ右腕オンリーな生活にも慣れてきたから、心置きなく労働してくれていいぞ。結愛の夏休みは俺だけのためにあるわけじゃないしな。結愛は結愛の夏休みを楽しんでくれよ」
俺は言った。
「そういう風に言われちゃうと、慎治を放っておけなくなっちゃうんだよねー」
気前いい風を装ってみたけれど、逆効果だったみたい。
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