第50話 ペンを握れるなら実質ノーダメージ……にはならず その2

 病院から戻ってきた俺の左腕にはギプスが装着されていて、三角巾で吊るされていた。テンプレみたいな怪我人のビジュアルになって帰ってきてしまったのだった。無個性な俺もこれにはニッコリ……できないんだよなぁ。片腕使えないの、やっぱ辛ぇわ。


 診断の結果、左腕の骨にヒビが入っているとわかった。もちろん怪我の原因は、空から降ってきた敗北者を受け止めるという、今考えるとどうかしているとしか思えないことをしてしまったせいである。


 ヒビと診断された俺は、不思議なくらい安堵していた。大事ではあるのだが、怪我の中ではメジャーな存在だから、まず間違いなく完治するとわかるからだ。


 4週間もすれば、とりあえずギプスは取れるらしい。不幸中の幸いなのは、利き腕ではないことだ。もし利き腕をギプスで1ヶ月近く封印されていたら、勉強の大きな妨げになっていただろうから。俺の存在意義の9割が消えちゃう。


「なにやってんだ、俺……」


 結愛に加害者意識を持たせないように、と思っての行動だったのだが、結局俺が怪我をしてしまったわけで、結愛だって気にするに決まっている。敗北者の下敷きになった直後、階段を駆け下りてきた結愛から抱きしめられながらめちゃくちゃ心配された。


 まあ、それだけならいいのだが、敗北者が「わ、悪い……」とロクに礼もせず慌てて教室へ去るという不義理をしたせいか、結愛がブチ切れる寸前になったのを鎮める方が大変だった。


 いい気分はしないが、結愛のためにも、陽キャグループ間の人間関係が無事に保たれることを望んでいる身としては、敗北者に怒りをぶつけてほしくはなかったのだ。当の俺は未だに釈然としない気持ちでいるから、あいつを敗北者呼ばわりしているんだけどな。


 結局、怪我までして身を挺した意味はなんだったのだろう。


 敗北者は運動部に所属していたはずだったから、俺が下敷きにならなくても、持ち前の運動神経でどうにかしてしまったかもしれないわけだし。


 いつもは学校にいるはずの昼下がり、一人でリビングにいる俺は、虚しさのあまり独り言を口にしてしまう。


「着信いっぱい来てんなぁ……」


 MINEに電話。どちらも結愛からだった。病院に行く前に、紡希に言われて結愛にもそのことを伝えていたから、心配していたのだろう。そんな内容のメッセージで溢れていた。


 プロレス趣味を結愛に告げて以降、隠すべきことがなくなったので、MINEのグループに入っている桜咲からもメッセージが来ていた。


「これ以上心配させられないから、いっそ笑ってもらうか」


 深刻に捉えられてしまったら、それこそ俺が怪我した意味がなくなってしまう。


【こんなんなっちゃいました、と】


 俺はギプス姿を自撮りして、結愛にメッセージとして送信する。


『……それ、大丈夫なの?』


 という結愛の返信が来る。

 ついつい送ってしまったけれど、この時間は本来授業中だ。返信早すぎだろ。授業ちゃんと受けろよな。


『これから学校来れるの?』

【今日は無理だ。安静にしないとだから】


 医者からそう言われたのは確かなのだが、安静にしないといけないのは、今日に限らずギプスが取れるまでだ。本当は、三角巾で吊るした状態で学校に行きたくなかった。怪我した理由が理由だから。


『じゃ、私が慎治の家行く』


 結愛の返信に、俺は、今日は結愛来てくれるんだ、程度の感想した持たなかった。


 その30分後。


「――慎治、大丈夫?」


 まだ午後の授業が残っているだろうに、結愛が我が家のリビングに現れた。


「……え? 学校は?」

「早退したに決まってるじゃん」


 事も無げに言う結愛は、早速俺の左腕に注意深く視線を送ってくる。


「いやいや、心配してくれるのはありがたいけど、もう病院行ってきたし、ここから悪化することはないんだから、来るならちゃんと授業終わった後でも――」

「だって!」


 結愛が、座っている俺の両脚を挟み込むようにして手をつき、身を乗り出してくる。


「慎治が怪我したの、私のせいだし……」

「結愛のせいじゃないだろ」


 これが結愛のせいだとしたら、俺の怪我を回避するために、告白を受け入れなければならなかったことになる。


 それは、俺としては困ることだ。紡希だって困る。


「慎治がそう思ってくれてても、私が嫌だし、困ってるんだったら私に手伝わせてよ」


 結愛は、じっと俺に目を合わせてくる。まるで瞳に閉じ込めて逃すまいとするかのようだ。


「今は慎治のお父さんがいなくて、紡希ちゃんのこともあるし、もちろん自分のこともやらないといけないのに、そんな状態じゃ名雲家が崩壊しちゃうじゃん……」


 大丈夫だ、俺の左腕が使い物にならなくなった程度で我が家は没落するほどヤワじゃない。


「片手じゃ大変だよね。料理もできないし、着替えるのも大変だし、お風呂だって……」


 心配してくれているのかなんなのか、わなわな震える結愛。


「あ、トイレもか……」

「結愛、そんな心配してくれなくても大丈夫だから」


 この調子だと、言えば何でもやってくれてしまうかもしれない。俺の下心を制御しきれなくなる前にストップをかけなければ。


「利き腕をやらかしたわけじゃないんだし、ちょっと不自由なだけで」


 だが、俺の声は結愛には届いていないようで、何やら決意をしたような表情をしたと思ったら。


「慎治が腕を動かせるようになるまで……私、この家にいる」


 そんな衝撃的な発言に、俺は思わず、どっひゃぁ、なんて古代語を口にしてしまうのだった。

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