第15話 いつでも来ていいからな
この日もいつものように、結愛が名雲家に姿を見せた。
もう何度も我が家に来ている結愛だが、部屋の全部を見たわけではない。
「他の部屋も見せてよ~」
そう結愛が言ってきたので、隠すようなことでもないし、俺は紡希と一緒に、まだ見せていない空き部屋を案内することにした。興味を持とうが、勝手気ままに人の家を歩き回ることなくちゃんと許可を取ろうとする姿勢に好感を持ったから、というのもある。
部屋をすべて案内し終えて、リビングでちょっとしたおやつタイムにしていると、結愛がこんなことを口にした。
「慎治って、元々お父さんと二人暮しだったんだよね? どうしてこんな部屋多いの?」
結愛の疑問は、もっともだと思った。
ちょうど紡希がトイレに立っていたタイミングだったので、俺は答えることにする。結愛相手に隠すようなことでもないからな。
「元々は、
「……もしかして、聞いちゃダメなやつだった?」
「いや、いいよ、聞いてくれ。紡希に関わることでもあるから、結愛には知っておいてもらいたいし」
親父から直接聞いたわけではないから、ここからはあくまで俺の推測だ。
「親父は、母娘だけで暮らしてるのをずっと前から心配してたから、いざとなった時に心配なく暮らせる場所を確保しておこうと思ったんだろ」
結局、彩夏さんは病が進行しようとも、うちに身を寄せることはなかった。
紡希を産む際に揉めに揉めた末、一人で紡希を育てる、と実家を飛び出した経緯がある彩夏さんにとっては、唯一家族で仲が良かった親父が相手だろうと、ちょっと力を借りることはあっても、甘えることまではできなかったのだろう。
線が細くて大人しそうな見た目をしていた彩夏さんだが、気の強さや意志の強いところは、親父にそっくりだった。
親父の願い通り彩夏さんが甘えたのは、最後の最後になって、紡希をうちに託すと決めた時くらいのものだ。
「……まあ、彩夏さんがうちに住むことはなかったけど、結果的に紡希がすぐに暮らせる環境が整っていたわけだから、親父が準備していたことは正しかったな」
親父からすれば不本意な結果だろうけどな。紡希と一緒に、彩夏さんがいることを想定していたのだから。それでも紡希が救われたのだから、親父だって、多少無理をしてまで大きな家を建てたことを後悔してはいないだろう。
「何の話してたの?」
リビングに戻ってきた紡希は、滑り込むようにして結愛の膝の上でうつ伏せになる。お前は猫みたいなヤツだな。どうして俺の膝の上じゃないんだ?
「……いや、今日結愛に部屋を案内して、この前親父が結愛のための部屋を用意しようとしてたことを思い出したから」
紡希の前ではまだ、彩夏さんに関することはあまり話したくなかった。
「あー、
期待が込められた紡希の視線が結愛に向かった。
「結愛さん、もううちに住んじゃえば?」
大胆な勧誘は紡希の特権である。
「おい紡希、結愛が困るようなこと言うなよな」
「だってー、シンにぃじゃ結愛さんがうちに来てくれるような誘い方できないじゃん」
「結愛にも都合があるんだよ」
「んもう、シンにぃは彼女と一緒に暮らしたくないの?」
「それは……」
俺としては、紡希の意見に100%は賛成できなかった。
結愛とひとつ屋根の下状態になることは……まあ、憧れの気持ちがないではないが、四六時中ドキドキさせられる状態では俺のメンタルが保たない。できればもう少し結愛に慣れた後に改めて勧誘してくれるといいんだけど。
などと都合のいいことを考えていると。
「ごめんねー、紡希ちゃん。お誘いは嬉しいんだけど、今はまだちょっとできないんだよね」
結愛は、紡希の頭を優しく撫でながら、断りの返事をした。
「1人暮らしするのは、私が決めたことだから。ここで慎治のところに住んじゃったら……負けっていうか、そういう感じになっちゃうから」
負け、を気にする相手は、おそらく結愛の両親だろう。
まだ大まかなことしか知らないものの、結愛は実家の両親と折り合いが悪いせいで、1人暮らしをすると決めたのだ。
結愛にとって1人で暮らしていくことは、何らかの思いや覚悟があってのことで、本人としては懸けるものがあるのだろう。自分で決めたことを曲げたくないのだ。
「合鍵くれたのは嬉しかったけどね。こっちはもういっぱい使っちゃうよ~」
一瞬しょんぼりしていた紡希も、そんな結愛の返事で元気に飛び上がった。
「……大丈夫なのか?」
俺は結愛に訊ねる。
1人でも平気か、とか、いっそいつでもうちに泊まっていっていいんだぞ、とか、両親との仲はそんなに悪いのか、とか、言い出せないことを色々詰め込みながら。
「あれ、もしかして慎治はそんなに私と一緒に暮らしたかったの?」
ニヤニヤし始める結愛は、俺のすぐ隣に位置を移動すると、胸元から取り出した合鍵をちらちら見せびらかした。
「私と24時間一緒だったら、いつでもえっちなことし放題だもんね」
「わ。シンにぃったらいやらしいんだ」
「お前らの想像上の俺はどれだけサカリがついてるんだ動物なんだ?」
ていうか結愛、紡希の前だぞ? 控えろよな……。
「まー、でもほら、あれよ、心配してくれてありがとね」
照れくさそうに、結愛は言った。
案外、心配されることに慣れていないのだろう。
これを言いたいがために、カムフラージュとして俺を四六時中発情している変態扱いするような発言をしたのかもしれない。照れ隠しをするなら俺にダメージが来ないようにしてくれねぇかな。紡希はすっかり俺をエロの権化と思い込んじゃってるぞ……。
こうして、結愛が名雲家へレンタル移籍する話は破談になった。
どうやら結愛もまた、名雲家に甘えることを拒否する気が強い女の一人らしい。
ただ、結愛が彩夏さんと違うところは、名雲家に甘える余地を残したことだ。
結愛の手には、合鍵がある。
肌見放さず大事そうに持ち歩いている鍵だ。
そんなキーアイテムがある限り、両親に対して意地を張り通す「勝負」を仕掛けている真っ最中だろうと、安心して見守っていられる。
いざという時に駆け込める場所があるのは、やっぱり大事だからな。
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