第10話 炎天下での密会 その2

「痛た……」


 グラウンドの裏にある手洗い場の蛇口をひねり、俺は文字通り頭を冷やしていた。

 痛みはあるものの、幸い気絶することはなく、自力でここまでたどり着くことができた。


 まあ、あの場で気絶していたとしても、助けてくれる男子は誰もいなかっただろうな……。俺が離脱しようが、お構いなしで試合を続行していた鬼畜揃いだから。


 痛みは残っているものの、怪我はなさそうだし、あの地獄から脱出する正当な言い分ができたのだから、これでよかったのだろう。あのまま結愛への承認欲求のみで行動するオスモンスターの集いの最中にいたら、もっと悲惨なことが待っていたかもしれないのだから。


 外に出るのが憂鬱なくらいの暑さに、今は感謝していた。

 冷たい水がちょうどいい感じになって、とても気持ちがいいからだ。


 そうしてしばらく水浴びをしていると。


「慎治!?」


 戸惑い混じりに俺を呼ぶ声が聞こえる。


「……結愛か。どうかしたのか?」


 後頭部に水を当てたまま、俺は答える。人気のないこの場所に男子はいないので、平気で返事ができた。


「慎治、頭、大丈夫?」

「聞き方ってものがあるよな。まあ意図はわかるよ」

「さっき、めっちゃヤバい倒れ方したように見えたから」


 心配そうな顔をした結愛は、俺の髪が濡れたままだろうが構わず手を伸ばしてくる。


「ちょっとぶつかっただけだから。こぶにもなってないし。もう痛みも引き始めてるから平気だ」

「そっか。よかった~。筋トレしてるおかげだね」

「いや後頭部は鍛えられないから」

「めっちゃ髪濡れてるよ?」

「ああ、この暑さだし、ちょっと待ってれば乾く」


 髪から水分を拭うべく、俺は手を髪に持っていこうとする。


「…………」


 目の前で、じっ、と凝視している結愛に気づく。


「なんだ?」


 手を止めて、俺は訊ねる。


「ううん、別に。あっ、これ使う?」


 結愛は、首に引っかかっているタオルを指差す。


「いや……いいよ、平気だ」


 俺は、結愛のタオルが使用済みである可能性を考えてしまっていた。


 使いたくないわけじゃない。逆だ。

 だってそれ、もしそのタオルに結愛の汗が染み込んでいたら……結愛の体液と混ざり合うことを意味するだろ。

 そんな恥ずかしいこと……俺にはとてもできない。


「いいから、遠慮しないでよ。風邪引いちゃうよ?」


 結愛は首にかかっていたタオルを手に取ると、背伸びをして俺の頭上から被せてきた。タオルで顔が隠れたからといってプロレス王ごっこをする余裕はない。


「慎治って変なとこで男の子っぽく意地張るよね~」


 意地を張っているわけではなく、自意識をこじらせて余計なことを考えていただけなのだが。


 結愛のタオルで頭をわしゃわしゃされる俺の視点は下に向かっていて、そこにはちょうど結愛の胸があった。


 相手の頭を拭く、ということに慣れていないのか、結愛はタオルでわしゃわしゃするたびに水滴を飛び散らしてしまい、それは胸元へと跳ねていく。


 白いTシャツは、みるみるうちに湿っていった。

 もちろん、下着の上に直でTシャツを着ているわけではないのだが、俺からすればエアリズム的なアンダーウェア越しの膨らみだろうとかなりの刺激だ。


「慎治、首を前に傾けてよ~。後ろの方拭けないじゃん」


 回り込めばいいんじゃね? と思える苦情だが、やってもらっている以上文句は言えないし、目の前の光景のせいで正常な判断力なんて失っていた。


 結愛の言葉に従ったのは、失敗だったな。

 顎を下げたことと、結愛が後頭部まで届くように背伸びをしたタイミングが重なり、俺の顔面は結愛の胸に着陸するハメになる。


「わ。すまん……」


 俺はさっさと結愛の胸元から顔を離す。汗をかいているだろうに、妙に甘いいい匂いがした。


「え~、もういいの?」


 結愛はニヤニヤしたまま、タオルを俺の首に引っ掛ける。


「ねー、慎治さぁ。お願いがあるんだけど」

「……何だ?」

「出してよ」


 結愛は、自らの額を指差す。


「さっき、慎治がデコピンされたいとかいっておでこ出したでしょ?」


 期待を込めた視線を向けられてしまう。


「学校で、慎治の顔あんなはっきり見たことなかったから。もう一回じっくり見たいなーって思って」


 どうしてもデコピンをしたいというわけではないようだ。


「さっきはちょっと照れちゃってあんまり見れなかったから」


 ……やっぱり、グラウンドに移動している時のあの反応は、照れだったのか。

 そう言われると、なんだかこっちまで照れが伝染してくるな。


「断る。タオルはありがとうな」


 間近で結愛の顔を直視できなくなった俺は、結愛にタオルを押し付ける。

 そろそろ性欲の猛獣と化した男子も、結愛がいないことに気づくだろう。人気のないこの手洗い場周辺だが、誰にも見つからないという保証はない。


「いいじゃん、出してよ」


 結愛は、タオルを拘束具のごとく俺の腰に巻きつけて逃げられないようにしてくる。


「慎治が自分で出さないなら、私が無理やり出させちゃおっかなぁ」


 ニヤつく結愛は、目を細めていて、舌なめずりをしそうなくらい悪い顔をしていた。


「……わかったよ。俺の顔なんぞを見ても何が面白いのかわからんが」


 このままだと結愛に何をされるかわからないので、俺は眉が見えか見えないか、という程度まで髪を上げた。


「それじゃぜんぜんじゃん! もっといっぱい出して!」

「これが限界だ! もう終わり!」

「まだ出せるじゃん! んもう、こうなったら力づくでやっちゃうからね!」


 とうとう結愛が実力行使に出ようとした時だ。


「名雲くんコラァ! 結愛っちにナニ発射しようとしてるんだコラァ!」


 突如飛んできた桜咲に、スーパーマンパンチの要領で頬を張られた俺は、この日2度目のダウンをしてしまうのだった。

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