第29話 部活憧れをこじらせているから合宿なんて言っているわけじゃないんだよ その1

 週末がやってきた。

 この日は、土日を利用して高良井が泊まりで我が家に来ることになっていた。


 とはいえ、単なるお泊り会ではない。


「今日はホラー合宿なんだ」


 リビングのソファに座っている高良井に向けて、俺は言った。


「ホラー合宿!」


 真っ先に喜んだのは、紡希だった。


「あれ? 紡希ちゃんはもう知ってるの?」

「そりゃ、我が家の恒例行事だからな」

「ふーん。楽しそうなイベントがあるんだね」

「リビングにお布団敷いてね、オールナイトでホラー映画流すんだよ」


 紡希はソファの上で弾んだ。

 まあ、オールナイトと言っても、紡希はせいぜい午前2時くらいまでしか起きていられないから、そのくらいの時間で終了するイベントなのだが。


「紡希ちゃんは怖い映画が好きなの?」

「ゾンビならなんでもいけるよ」

「私はどちらかというと血がドバーって出る派手なヤツの方が好きかなー」


 どうやら高良井もホラーはイケる口らしい。スプラッタ映画を派手の一言で言い表すとは思っていなかったが。


「ただし、映画の選定は俺がすることとする」

「みんなで選べばいいじゃん。私にも選ばせてよ」

「……紡希に見せることも考えろよ?」

「私がなに選ぶと思ったの?」

「まあ、ここは主宰である俺に任せておけ」


 不服そうな高良井を置いて、俺は近所のレンタルビデオ店へ向かうことにする。

 

 俺はアマゾン◯ライム会員だから、配信から選んでもいいのだが、近所のレンタルビデオ店は常時1枚100円のセールをやっているし、品揃えもいいので、ホラー合宿の時はそちらを利用していた。


 ツタ◯にて、入念な選定を終えて家に戻ると、玄関に立った時点ですでにいい匂いが漂ってくる。


 宿泊費代わりに、ということで、夕食づくりは高良井が受け持っていた。


「おかえり~」


 キッチンに立つ高良井が振り返る。


「紡希は?」

「真っ先に紡希ちゃんのこと探すんだね。2階にいるよ」


 微笑む高良井は、小皿に盛ったスープをこちらに向ける。


「味見はいらん。高良井さんの料理の腕前は、もうわかってるから」

「名雲くん好みの味になってるかなって思ってー」

「別に俺に合わせなくてもいいんだが」

「いいから、ほら、せっかく合わせたんだし」


 やたらグイグイくる高良井の気迫に根負けした俺は、差し出された小皿に口をつけてしまう。


「薄味でしょ?」

「そうだな……ん?」


 手にした小皿に、強烈な意味が生まれてしまう。


「……何故味を知ってるんだ?」


 恐る恐る、俺は訊いた。


「そりゃ名雲くんの前に味見したからに決まってるでしょ」


 何いってんだこいつ、という顔をしていた高良井は、急に口元に指先を当て、にや~っ、とする。


「まさか名雲くん、まだ間接キスとか気にしちゃってるの?」

「気にするに決まってるだろうが!」

「この前したばっかじゃん」


 高良井と関わるようになってから間もない頃に、非常階段で俺の弁当から手製の卵焼きを箸で食わせてやったことはあるが、語弊を招くような言い方はするなよな。


「一度したらもう気にしないとかそういう問題じゃないんだよ」


 相手はあの高良井だ。その辺の女子じゃない。

 一度や二度程度間接キスをするくらいで慣れるわけがないだろ。


「ていうか、間接キスよりすごいこといっぱいしてるのにさー、名雲くんのそのぴゅあぴゅあなところはなんなの?」

「てめーこのやろー、バカにしやがってこのやろ」

「してないって。めっちゃかわいいなって思って」

「やっぱりバカにしてるんじゃないか」


 まあ、今更高良井相手にムキになったって仕方がない。

 確かに、俺たちはもう何度も間接直接問わず肉体接触をしているわけだが、なんかもう俺にとっては高良井から抱きつかれることは刺激が強すぎてファンタジーみたいな出来事だから、間接キスみたいな低刺激な接触の方がずっと緊張させられるんだよな。


 だからといって、高良井にくっつかれても無反応でいられるほど慣れたというわけでもないのだが。


「それにさー、この前鍋やったじゃん? あれだって間接キスみたいなもんでしょ」


 数日前にまたまた高良井が遊びにきた時、一緒に鍋パーティをやったのだった。


「あれを間接キスと解釈するのか……?」

「だって、私と名雲くんのお箸が同じスープに浸かって混ざりあったらもうキスみたいなもんだよ。それが私と名雲くんの間接キスだし」

「なんだお前、エターナルみたいに」

「でも黄身を取った白身だけの卵焼きはちょっとびっくりしちゃったなー」

「ああ、親父に教えてもらったネタ料理のことな」


 脂肪が多いから、という理由で黄身を取り除き、白身だけ溶いてつくった卵焼きは、親父が若い頃に体を絞るために食べていたそうなのだが、『やっぱ脂肪がねぇと技受けられねぇし試合中にガス欠するわ』という理由で封印された経緯がある一品だった。鍋パーティの時、ついでに俺が高良井に振る舞ったのだ。


「ダイエットには使えそうだから、痩せたい時はマネするね」

「別に痩せる必要ないだろ」


 言ってから、しまった、セクハラに該当する案件か、と俺は恐れおののいた。


「今の私が好き……と」

「好きとは言ってないだろ。俺の発言を全部都合よく解釈するな」

「キスしたくせにその言い草……私の気持ちをもてあそんで名雲くんは満足なの?」

「キスしたのは高良井さんじゃなくてその小皿な。小皿ちゃんから『あいつマジでクズ』とか訴えられたら土下座でも何でもするけど」

「ふふっ、めっちゃ喋るじゃん」

「もうずっと前から高良井さんとはめっちゃ喋るだろ……」

「そのわりには、私のこと名前で呼んでくれないよね?」


 高良井は、鍋と向き合いながら言う。


 正直なところ、俺は高良井を名前呼びにするタイミングを見失っていた。


 もはや何度もうちに来る仲だし、今日は泊まりもするしで、名字呼びから変えたっていいと思っているのだが、今のタイミングで変えると、なんだか深い意味が生まれてしまいそうで、躊躇していた。


「……別に、名前呼びにしなくたって、仲が悪いってことにはならないだろ」

「そーなんだけどさ」


 高良井は、鍋をかき混ぜていた手を止める。


「せっかくこれだけ仲良くしてるんだし、他のみんなと違うところもほしいっていうかー」


 気のせいかもだけど、なんか赤くなってない?


「まー、私なりのちょっとした独占欲っすよ」


 いくら最近慣れてきた俺といえど、高良井から俺へのこだわりめいたことを口にされたら、なんとも思わないわけにはいかなくなる。


 あまりに文化圏が違う生活をしていたことから完全に異物だった女子から、まさかこんな扱いをされる日が来るとは。


 どうしよう、これ、名前で呼んじゃった方がいいタイミングなのかな?


「あっ、シンにぃ帰ってたんだ」


 迷っているうちに、リビングへ降りてきた紡希が俺に悪質タックルを決めきて、俺はタイミングどころか背骨ともさよならをしないといけなくなりそうな危機に見舞われた。

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