第1話 家族が増えることにはなったけれど
『
電話の相手は、仕事で遠方にいる俺の親父だった。
紡希は俺のいとこだった女の子で、今は名雲家の一員として我が家で『妹』をやっている。
「ああ、元気だよ。……なんの問題もない」
『そっか。ならいいんだ。オレが家にいられない分、おめぇに負担掛けちまってるが、悪かったな。オレが言い出したことなのによ』
ハンズフリーにしているわけでもないのに、スマホから部屋中に響きそうな大きな声がする。人並み外れてガタイのいい親父は声までデカいのだ。
「いいって。俺も紡希のことは心配だったし、こっちのことは俺がどうにかするから。親父は親父で、金を稼いできてくれればそれでいいよ」
『慎治ぃ、いつも言ってるだろ? 金じゃねえ、オレは、お客様のお気持ちをいただいてるんだ』
「わかったわかった。とにかく、親父は別に責任感じることないから」
親父は相変わらずプロ意識の高い男だ。
『高校生活もやっと慣れてきてこれからって時期なのに、悪かったなぁ』
「……大変なのは、俺より紡希の方だから。俺なら平気だよ」
『頼もしいぜ。そういやおめぇ、1人でも平気なタイプだもんな』
「俺のぼっちを揶揄するならそのグラスでかたち変えてしまうぞ」
『気にすんじゃねぇよ。人間、1人でやっていかないといけない時もある。今の経験が、いつかお前の役に立つ時がくるから』
「……今は俺がぼっちかどうかより大事なことがあるんじゃないですかねぇ」
気を遣われると、逆にキツい。耐えきれなくなった俺は、話題をそらすべく近況などを話してしばし親子の会話をしていたのだが。
『
彩夏さんは、紡希の母親で、親父の妹にあたる。
親父と彩夏さんは仲が良い兄妹だったから、妹を失った親父は俺以上に辛いはずだ。そんな精神状態でも、紡希がうちに来るまでの手続きはしっかりこなしたのだから、俺も見習ってできるかぎりのことはしたかった。
紡希が名雲家で暮らすことになったのは、母親であり、唯一の家族である彩夏さんを失ったからである。
紡希の家庭事情は複雑だった。彩夏さんは未婚の母であり、名雲姓を名乗りながらずっと紡希を一人で育ててきた。紡希は父親の顔を知らず、交流もなかったのだが、俺が知る限り父親を恋しがったことはなかった。彩夏さんとの生活で満足していたのだろう。ただ、彩夏さんは親父を除く自分の家族とは折り合いが悪かったから、一人ぼっちになった紡希の寄る辺は、俺たちのところにしかなかったのだった。
そんなわけで紡希は、元々俺のいとこだったのだが、今は義理の妹になったわけだ。
いとことして、紡希のことは小さい頃から知っているから、一緒に暮らすこと自体はもちろん賛成なのだが、母親を亡くしたばかりの人間とどう接すればいいのか、俺はわからないでいた。
そのことは、まだ親父に伝えられていない。
親父の中では、俺と紡希は小さい頃の仲良しだったイメージのままなはずだ。
親父は大人だが、俺の方が紡希とは近い存在である。
俺がどうにかしないといけないと思っていた。
『まあ、今更悔やんだって仕方ねぇし、もうしばらくそっちのことは頼んだぜ、慎治』
「わかったよ、任せとけ」
俺は手短に言った。
電話を切ってから、俺は隣室の紡希のことで頭がいっぱいになった。
★
紡希は昔から、いわゆる『いい子』ではあった。
時折生意気なところはあるけれど、母親の彩夏さんが優しかったからか、小学生の頃はよく彩夏さんの影に隠れていて、それほど自己主張が強い印象はなかった。
今では中学生になり、化粧っ気こそないけれど、可愛らしい見た目をしていた。
肩を超す程度まで伸びた黒髪は、頭に天使の輪みたいな輝きが浮かぶほど艷やかで、目は大きく肌は白く、中学生にしては小柄で、手足も細い。俺としては、その細さが心配だったけれど、女子はまあそういうものなのかもしれない。
名雲家で暮らすとなった時も、パッと見では精神的に落ち着いているように見えた。
「ここが今日から紡希の部屋になるから。今のところ必要最低限の家具しかないから独房みたいだけどな。残りの家具は紡希が必要な分だけ買い足すつもりだから、絶望するなよ」
「これだけでも十分いい部屋だよ。アパートの時は、わたしの部屋なかったから」
紡希のために用意した部屋を教えると、簡素なベッドで飛び跳ねて嬉しそうにしてくれた。
「俺の部屋の隣だから、ホラーな映画観て一人でトイレ行けなくなっても呼びやすいよな」
「シンにぃ、わたし中学生だよ? 映画くらいで怖くならないよ」
ベッドに立った紡希は胸を張って、得意そうにした。
「そういう時はシンにぃが一人で寝られなくなってるだろうから、トイレに行く時は一緒に連れて行ってあげる」
「そういうとこは素直じゃないんだよなぁ」
「だって、階段とか廊下がある家に住むの初めてだから……」
「まあゾンビが徘徊する洋館に見えなくもないもんな」
もっと混乱していたり、塞ぎ込んでいたりするんじゃないかと心配していたから、以前とそれほど様子が変わらない紡希を前にした時は安心した。
親父が仕事で遠方に出て、俺と2人での生活がしばらく続くとなった時も、最初は俺も慎重に接していたのだが、以前と同じように過ごせるとわかって油断していた。
ある日の夜中のことだ。
トイレに起きた俺は、紡希の部屋の前を通りがかった時、扉の向こうからすすり泣くような物音を聞いてしまった。
いとことはいえ女の子の部屋なので、一瞬のためらいはあったけれど、放っておくわけにはいかず、そっと扉を開けた。
「紡希……?」
ベッドまで近づくと、紡希は掛け布団を被ったまま丸まっていた。
「どうしたんだ、大丈夫か?」
俺は、紡希の枕元にしゃがみ込む。
「……なんでもない」
布団から顔を出す紡希は、髪がくしゃくしゃになっていた。
暗闇のせいで見えにくかったけれど、外から漏れてくる明かりだけでも、紡希の目が赤くなっていることに気づいた。
「目、赤くなってるぞ。……泣いてたんだろ」
もはや母親である彩夏さんがいない今、紡希に対して親身になれる身内は俺しかいない。そう思うと、見て見ないふりはできなかった。
「なんでもないから、だいじょうぶだよ。ちょっと怖い夢見ちゃっただけ」
それでも紡希は、笑ってみせた。
無理矢理つくった笑顔なことは、鈍感な俺にもわかってしまう。
けれど俺は、紡希からどれだけの信頼を得られているのかまったくわからない。
母親を失って傷ついた女の子は、仲が良かったいとことは別人に思えた。これまで積み重ねてきた信頼関係は通用するのだろうか。下手に踏み込もうとすれば、紡希を余計に傷つけてしまう気がした。
「そっか……なんかあったら遠慮せずに言えよ」
紡希への理解が足りない俺は、そう言うしかなかった。
「うん、わかった」
紡希は、俺への気遣いと同時に、柔らかな拒絶を思わせる微笑みを浮かべる。
紡希は母親を失った悲しみを俺に伝えることはないだろう。
自分だけで抱え込んでしまおうとするはずだ。
そっとしておけば、時間が解決してくれるのかもしれない。
それでも、紡希のために何もできない自分が悔しくて、他人に気を配る必要のないぼっちとしてずっと過ごしてきたことを今日ほど後悔した日はなかった。
俺は、紡希と表立って揉めたりケンカしたりすることはないけれど、だからこそ紡希の本心がわからず、心情を察しないといけない場合が多くなり、それはぼっちの俺からすれば困難を極めることだ。紡希が本当はどうしたいのか十分に察することができないまま、ずるずると日にちだけが経ち、とうとうそんな生活も3ヶ月続いていたのだった。
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