4.アラサー女は土産を貰う



「永松さん、ちょっとええかな?」



 お茶出しが終わって、部屋から退室しようとした実菜に社長が声を掛けてきた。何だろうと首を傾げながら、こっちこっちと手招きをする社長の方へと歩み寄る。



「はい、これどうぞ」



 にこにこと笑みを湛えた社長が、すだちがぎっしり詰まった小ぶりの袋と小さな紙袋を差し出した。突然のことに困惑してぽかん口を開けたまま社長の日に焼けた顔を見つめると、遠慮せんでええからと押し付けられる。



「すだちは僕んで作ってるやつ。毎年みんなにお裾分けしてるんよ。それは永松さんの分ね」



 形は不揃いだが皮にハリのある良いすだちだ。濃い緑色の果実を眺めていると反射的に生唾が湧いてきた。半分に切って揚げ物や焼き魚にぎゅうっと絞ると、ほのかな柑橘の香りと口の中に広がるさっぱりとした酸味が油っぽさを軽減してくれる。ジャンキーな油物が一気に上品な風味を纏うので、暑さで食欲が落ちるこの時期に嬉しい貰い物だ。


 実家にいた頃からすだちはお裾分けで大量に頂くものだったため、大阪では高級品として扱われていることに驚いた記憶がある。



 輪切りのキュウリスライスの上に釜揚げしらすを乗せて、ほんの少しのお醤油とたっぷりのすだちで頂くのが最高なんよ……。



 想像するとゴクリと喉が鳴る。淡白な釜揚げしらすはすだちの果汁を纏うと驚くほど美味くなる。ほんのり香る醤油との相性も抜群で、酸っぱすぎる酢の物が苦手な実菜でもその爽やかな酸味の虜になるのだ。


 今日は絶対にスーパーに寄って帰ろうと密かに決意し、ありがとうございますと頭を下げる。いえいえと微笑む社長は「こっちもどうぞ」と右手で持った茶色い紙袋を差し出している。「こちらは何ですか?」と尋ねると開けてみてと促された。


 すだちの袋を傍にある机に置かせてもらい、恐縮しながら袋を覗くと盆提灯のような形をしたストラップと高さ5センチ程の小瓶が入っていた。


 火袋ひぶくろ部分は淡いクリーム色をした布のような生地で、これは椿だろうか? 目が覚めるような濃いピンク色の花が描かれており、中に鈴でも入っているのか揺らすとカラカラと軽い音がする。


 小瓶には濃い藍色の液体が入っていた。なんだろうと思って軽く振ってみると底に溜まっていたシルバーのラメが舞い上がり、夜空の星のようにキラキラと輝く。



「僕、旅行が趣味なんよ。これは以前東南アジアを回った時のお土産。他のみんなには既に配ってるから、永松さんにも渡そうと思って」



 お返しは気にしせんでええからねと言って社長は笑った。提灯のストラップは幸運のお守りで小瓶の液体は願いが叶う水? だそうだ。胡散臭いことこの上ないなと思っていたら「僕はこういうスピリチュアルなものが好きなんよ」とウインクされた。どうやら顔に出ていたらしい。


 貰ったお土産を袋に戻し、改めて丁寧にお礼を伝えて部屋を後にする。前の職場ではこんな風にお裾分けをしたり、お土産を配ったりする文化は無かったなぁ……と思い返し、少しほっこりと気持ちになった。




******




「うわぁ、最悪」



 その夜、帰宅した実菜は社長から貰った紙袋を取り出して頭を抱えていた。


 帰りに寄ったスーパーで釜揚げしらすと一緒に缶ビール6本パックを購入し、一刻も早く晩ご飯にありつきたいと急いで帰宅したのだが……。勢いよく自転車のカゴに放り込んだ買い物袋の下敷きになって、鞄の中の小瓶が割れてしまったらしい。


 鞄の底にできた染みを大量のティッシュペーパーに吸わせながら、藍色の液体が滴る紙袋を指で摘んで遠ざける。恐る恐る袋の中を覗くと、一緒にもらった提灯ストラップにも藍色の染みが出来ていた。


 やってしまった……と落ち込みながら水洗いすると、意外にも落ち着いた藍色に染まった提灯が出来上がった。ムラになっている部分にもティッシュペーパーに染み込ませた液を叩き込むと、元々こんな色をしていたのではないかと勘違いしてしまうほど綺麗に染まってくれた。ところどころにシルバーラメが付着して部屋の照明が反射して輝いている。



 これはこれで可愛いかも……?



 貰った初日に駄目にしてしまい社長に申し訳ないという気持ちはあるが、思いの外自分好みになったストラップに満足してスマホケースにつけてみる。この色合いなら徳島の名産品である藍染の小物に見えなくも無い……気がする。業務中にスマホを触ることは無いので社長に色が変ったことを知られる心配はないだろう。


 ストラップをつつくとカラカラという軽い音が鳴る。薄い藍色の涼しげない色合いも相まって夏の夜にピッタリだなと思った。

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