第525話 解放

 未知の魔物との遭遇。


 初見の魔物と遭遇した場合、回避に徹して相手を観察するのが冒険者のセオリーだ。すぐに逃げたとしても、魔物の特性を知らなければ思いもよらぬ攻撃を受けて全滅することもある。


 夏希達『エクリプス』も、古代遺跡に潜る際はこのセオリーを厳守した。この世界に召喚された勇者達は、会話は出来るが文字が読めない。彼女達も冒険者ギルドの資料を読むことが出来ず、普通の冒険者より魔物の知識が乏しかったからだ。能力で強引に探索できるほど、この世界の魔物は甘く無い。


 しかし、変貌した高槻祐樹、『不死の大魔導師リッチ』を前に、夏希はセオリーを無視して逃亡を選んだ。


 目の前の『不死の大魔導師リッチ』は様子見ですら危険だと夏希は直感で判断した。自分一人ならどうにかなる。だが、仲間を守りながらは自信が無かった。


 危険を感じたのは『重騎士』渡辺大輔も同じだ。セオリーを無視した夏希の指示に、何ら疑問を持つことなくすぐに行動したのは、大輔も同じように『不死の大魔導師リッチ』を尋常ならざる存在だと思ったからだ。



 大輔は、自身に身体強化を施して意識を失っている『召喚士』太田典子と『盗賊』近藤美紀を両手で担ぎ上げると、急いで部屋の出口に走った。


「ニガスカァ! ブゥタァァァーーー!」


 黒い霧を纏った骸骨がぐるりと反転し、標的を変えるように大輔へ向かう。



 ザッ



 そこへ、再び暗黒の鎧と剣を発現させた夏希が立ちはだかる。


「アナタの相手はこっちよ! 大輔っ! 行きなさいっ!」


(『骸骨魔術師スケルトンメイジ』に似てるけど……)


 不死者アンデッドである骸骨スケルトン腐乱死体ゾンビ同様、自我を持たず、ただ生者を憎み襲うだけの存在だ。しかし、中には生前の知性を僅かに残し、剣技や魔法を行使する個体も存在する。ただし、高度な技術を扱える個体は稀であり、殆どは生前得意とした技や魔法を愚直に繰り返すだけだ。


 目の前の『不死の大魔導師リッチ』は言葉を発し凄まじい重圧を放つも、骸骨魔術師と同じく知性は感じられない。


「ナツキィィィーーーー!」


「煩いわね」


 ―『暗黒剣解放・反転世界』―


 室内の景色が再び反転する。


 そして、無数の斬撃を一瞬で浴びせた後、景色は元に戻った。



 ―『壊』―



 斬撃を浴びせた箇所を即座に破壊する夏希。


 人や通常の魔物と違い、不死者への攻撃は己に返っては来ない。正確には不死者には痛みや恐怖が無く、暗黒剣で斬っても夏希に何ら代償は無かった。


 バラバラになった『不死の大魔導師』。


 だが……


「ムダダァァァアアぁぁぁあああーーー!」


 黒い霧が細切れになった骨の破片を繋ぎ、バラバラになった体が再び一つになる。


「ウハハァァァ! ……効かぬわっ! 小娘!」


「なっ!」


『不死の大魔導師』の口調が急に変わった。


「ふんっ! 暗黒属性など我にとって微風そよかぜに過ぎん。我をそこらの不死者や吸血鬼と一緒にするなよ? 小娘」


 先程とは一変。落ち着き流暢な言葉で話す『不死の大魔導師』に目を見開く夏希。叫び散らしていたさっきまでとはまるで別人だ。それに不死者といえど、バラバラにした身体が元に戻るなど夏希は初めて目にする。



「我が名はモルズメジキ。魔導を極めし深淵の王なり」



 モルズメジキと名乗った『不死の大魔導師』。先程まで空だった眼窩に赤い光が灯り、頭上にはいつの間にか金色の王冠が輝いていた。


「……中々、良い『器』だ。膨大な魔力と異界の知識。天使の謀に乗るのは少々癪に障るが、現世に顕現できた礼はせねばなるまい。しからば、この世を死で満たすことでその礼としよう……だが、その前に」


 モルズメジキが放つ重圧が膨れ上がる。


「暗黒の力を持つ女よ。お前の力は我が貰おう」



 ―『混沌冥界ケイオスタイド』―



 夏希の視界が突然変わる。荒廃した風景と吹き付ける強風。今まで見ていた実験室の様相が一瞬で別世界に変化した。


 …


(な、なにを……?)


 その場で動かなくなった夏希を横目でちらりと見た大輔は、思わず実験室の扉の前で足を止めた。


 その大輔にモルズメジキは視線を向ける。


「フフフッ 小娘が心配か? 確か『器』がブタと呼んでおった小僧だな? 我はブタには興味は無い……失せろ。『業火ヘルファイア』」



 モルズメジキから大輔に向けて一直線に黒い炎が放たれた。


 大輔は咄嗟に担いでいた二人を自身の後ろに放り、『神盾イージス』を構える。


 黒い炎は神盾に阻まれ四方に散る。しかし一向に黒炎が止む気配が無い。


「ほう? 地獄の炎も防ぎよるか。だが、我の魔法にいつまで耐えられるかな?」


「くぅぅぅ……」


 モルズメジキの手から黒い炎が絶え間なく放出されている。通常、魔法の行使は一瞬だ。高い集中力を以って魔力をイメージに変換、放出するのが一連の作業だが、魔法を放ち続けるには、魔力をイメージどおりに変換し続けなければならず、一流の魔術師でも困難を極める。威力の高い魔法はイメージも比例して難しくなる為、高度な魔法程、継続して放つのは不可能に近い。


 大輔にしても、絶え間なく魔法を受け続けるのは初めての事だった。


(ううぅ、拙い……それに、夏希さん……)


 神盾にぶつかり四散した炎が周囲に飛び火する。黒い炎に触れた物は一瞬で灰になり、延焼は起こらずとも室内の温度が急上昇していく。


「「う……うーん」」


 意識を失っていた太田典子と近藤美紀が目を覚ます。


「「だ、大輔っ!」」


「話は後……で。僕より夏希さんが……」


 部屋の真ん中で膝を着き、ピクリとも動かない夏希を見つける二人だが、それよりも鎧が赤熱化し、溶けかかっている大輔の方が深刻に思えた。


「どうやら鎧の方は盾ほど耐性は高く無いようだな」


 魔法を放ちながら余裕のモルズメジキ。


 そして、暫くして黒い炎が止んだ。モルズメジキは楽しんでいるかのような声色だが、骸骨の顔からは当然、表情は読み取れない。


「「何あれ?」」


「元は高槻君だった……僕も詳しくは分からない。けど、高槻君とは別モノだよ、多分だけど。それより、夏希さんを……」


「夏希はどうしたの? まさか……」


「分からない。あの骸骨に何か魔法を食らったのかもしれないけど、そんなこと今まで一度も……」



「フフフッ あの小娘は今頃、冥界で精神を食われ、ただの生きる屍と化しておる。魔法が効かぬ暗黒属性の鎧といえど、防げるのはあくまでも鎧に対する物理攻撃のみ。空間の環境を変質させる魔法の前では無意味だ。後でゆっくり力を喰らってやる」


「な、なにアレ……不死者が喋ってる?」

「環境を変質させるですって? そんなこと出来るわけ無い!」


「少しは魔導のことわりを理解しているようだが、人間の浅知恵と魔導を極めた我を同列に考えるでない。我にとっては天候を変える事ですら児戯に等しい……例えばこんな風にな」


 窓から僅かに差し込んできた朝日にモルズメジキが目を向ける。


 不死者は太陽の光の下では弱体化する。しかし、目の前の『不死の大魔導師』にはそれを期待できないことがこの後起こった。



 ―『黒夜ノクスアトラ』―



 オブライオン王都上空に突如、黒雲が発生する。雲はみるみる広がり昇って来た太陽を覆い、差し込む光を遮った。


「これで過ごしやすくなったな」


 朝を迎えつつあった王都が再び闇に包まれる。



「ありえない……」


『召喚士』太田典子が呟く。太田は『エクリプス』のメンバーの中では能力の特性もあって魔法の知識が一番ある。その太田は、モルズメジキがいとも簡単にやってみせた魔法に戦慄する。


 環境を変えるような大規模な魔法は実現不可能というのが太田の見解だ。それも、魔物であっても一個人が短縮した詠唱で発動するなど太田には到底信じ難いことだった。


「二人共……逃げ……て」


 ガシャン


 黒い炎を耐えきった大輔は膝を着き、盾を床に落とした。纏った全身鎧の表面が赤熱し僅かに溶けている。当然、その下の身体が無事なわけは無く、大輔の手足は痛みを通り越してすでに感覚が無かった。


「大輔っ! 待ってて、今、回復薬を――」


 近藤美紀が腰のポーチから急いで小瓶を取り出し、大輔に飲ませる。


「夏希は私が助ける」


 そう言い残して近藤美紀は大輔を残して姿を消した。『盗賊』の能力を持つ彼女は、クラスで吉岡莉奈に次ぐ素早さを誇る。


 しかし、モルズメジキはそれを見逃さない。


 ―『重力倍化グラビタス』―


 室内の重力が倍になり、まるでスローモーションのように近藤の姿が露わになった。


「そ……んな……体が……重い」



「小賢しい虫ケラ共。お前達は必要無い……死ね」


 

 ―『獄炎インフェルノ』―



 モルズメジキの唱えた魔法が発動していれば、この部屋は勿論、大輔達諸共、部屋を中心に王宮の広範囲が灰燼と化していた……そのはずだった。



「仲間は殺させない」



「「「夏希っ!」」」


 いつの間にか夏希・リュウ・スミルノフがモルズメジキの首を掴み、魔法の発動を阻止していた。


「馬鹿な……我を掴むだと? それに『混沌冥界』を受けて何故自我を失っていない? 暗黒の力があろうと人間である以上、あの精神世界から無傷で脱出するなど不可能――」


「煩い」


 ボギッ


「おごっ」


 バキッ


「はがっ」


 夏希はモルズメジキの首を掴んだまま、片手でその首を圧し折り、顔を拳で殴りつけ骨を砕いた。


「確かに恐ろしい世界だったわ。あれが『地獄』ってやつかしら?」


「はが……はが……はがな……」


「何を言ってるか分からないわ」


 ボギッ


「調子に乗るな!『業――」



 ―『暗黒解放・』―



 夏希の纏う暗黒鎧の形状が変化する。西洋風の甲冑から和風に変わり、全体に血管の様な模様が浮き出る。模様は赤黒く発光し、脈打っていた。


「魔法が発動しない? 何故だっ! それに、人間が我に触れて無事でいられるはずが無い!」


 魔法を放とうとしたモルズメジキは激しく戸惑う。魔封の結界を展開されたわけではないことは感覚で分かっている。それに、仮に魔封の結界が張られても、モルズメジキには高槻と同様、対策が施してあるので無意味だ。しかし、魔力が霧散しているわけでもなく、魔法が発動しない不可解な現象は『不死の大魔導師』の知識を以てしても分からなかった。


 しかしその前に、生者が不死者に触れれば、無事では済まない。不死者を不死に保っている瘴気にあてられ、触れれば生きている細胞が壊死してしまうのだ。腐乱死体ゾンビに襲われた者が、腐乱死体の仲間入りしてしまうのはこれが原因だ。モルズメジキのような高位の不死者なら、近くにいるだけで皮膚が爛れ、肉が腐る。直接触れようものなら、直ちに骨と化して不死者になってもおかしくはない。


 しかし、夏希はモルズメジキの首を掴んだまま、平然と殴りつけている。その点も、モルズメジキには理解不能な現象だった。夏希の纏う鎧に瘴気を防ぐことはできない。それは『器』である高槻の記憶と自身の見立てで分かっていた。そもそも瘴気を防ぐ方法は限られる。生者である夏希が瘴気を防ぐ為には、聖属性の魔法か聖属性が付与された武具しかない。そのいずれも暗黒の力を持つ夏希には無い手段だ。



を出すのは気が進まないけど仕方ないわね」



『ヒサシブリニヨバレタノニ、ヒドイデアリンス』

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