第524話 反転
ドサッ
夏希に分断された高槻の上半身が床に落ちる。
「あ、あう……」
高槻はまだ生きていた。胴が切断されても痛みを感じず、意識もはっきりしていた。そのこともあって現実感が無く、高槻は暫し呆然とする。
「あ……あ……ぼ、僕の……」
自分の下半身に向かって無意識に手を伸ばす高槻。赤城香織の作った『
しかし、幸いここは赤城の私室だ。回復薬の一つや二つはそこら中に転がっている。視線を動かし、それを探す高槻。
だが……
「探してるのはコレかしら? 残念だけど、この剣で斬られた傷は魔法や薬では治療できない。まあ、香織の能力で作った薬は分からないけど……試してみたら?」
夏希は部屋に転がっていた『高位回復薬』を高槻に投げる。能力で作った薬であろうと、『暗黒剣』で斬られた傷は治療できないと夏希は確信があった。
夏希には知る由も無いが、暗黒属性の治療には聖属性しか効果が無い。強力な暗黒の力には、同じく強力な聖なる力が必要だ。天使系の能力では無い赤城香織の薬や、今より進んだ文明で作り出した『
そのことを直感的に分かっている夏希・リュウ・スミルノフ。
「あう、あ……ゴキュ ゴキュ ゴキュ」
放り投げられた『高位回復薬』を急いで口にする高槻祐樹。
しかし、高槻の身体に何ら変化は起こらない。
「そ、そんな……」
「苦痛は無い。けど、アナタはいずれ死ぬ。たぶん数分後。その間はこれまでの自分の行いでも振り返ることね。あんなやり方で魔物を作って……それも、戦争する為に……」
この国に戻ってきて夏希達は王都組の所業を知った。同じクラスメイトとは思えないほど、この国に残った『王都組』は欲に塗れ、人を人とは思わぬ所業に何ら疑問を持たない人間になっていた。使役している魔物、
同じ日本人、クラスメイトを殺すことになっても夏希は後悔していなかった。
(それにしても、いつもながらキツイわね……)
絶望する高槻を他所に、夏希は武装を解いて白い外套のフードを深く被り、身体を隠すように前を閉じた。大量に噴き出た汗、脂汗と身体の震えを隠す為だ。だが、それらは人を殺す行為によって生じたものでは無い。
それは、尋常ではない痛みと恐怖によるものだった。高槻が体験するはずの痛みと恐怖を夏希は代わりに受けていた。
同じ『エクリプス』のメンバーにも秘密にしている『暗黒剣』の代償。必中必殺の『暗黒剣』の攻撃は、一見、無敵に思えるが、代わりに斬った相手の痛みや恐怖を自身が受けてしまう。暗黒剣で斬っただけではそれは起こらない。しかし、付けた傷跡を任意に破壊した場合にそれが発生する。夏希自身の肉体が傷つくことは無いが、感じる痛みと心理的ダメージは実際に斬られたに等しいものだ。
夏希が即座に高槻を殺さなかったのはそれが理由である。相手が即死するほどの攻撃を行った場合、自身にどれほどの苦痛が襲うのか、想像するだけでも到底耐えられそうに無いからだ。
高槻の指や胴を切断した時の痛みも尋常では無く、身体を二分された恐怖は想像を絶した。受ける感覚は一瞬だが、体験した激痛と恐怖で今も夏希は大量の汗と震えが止まっていない。
故に、夏希は相手を即死させる攻撃はできないのだ。
相手をすぐに傷つけられないのも弱点の一つだ。死の恐怖や、痛みを克服した相手には二の足を踏んでしまう。そんな相手は今まで
(斬った瞬間に、相手の痛みがダイレクトに伝わってたなら、この剣はとっくに使ってなかったかもね……)
内心そう思う夏希。しかし、自身の異常性は自覚していない。『暗黒剣』の特性を知る者なら、誰でも使用を躊躇する。実際に代償を受けたなら二度と使おうとは思わないだろう。肉体的にはなんら変化が無いとはいえ、使用に多大な苦痛を伴う『暗黒剣』を使い続けるのは常人には不可能な事だ。
胴体を分断するような痛みと恐怖を味わってなお、表情を取り繕える夏希は異常としか言い様が無かった。
…
……
………
―『オブライオン王都 地下古代遺跡』―
「恐るべき精神力。いや、特異体質かな? 生まれつきか、能力によるものかは分からない。けど、鍛錬や経験で身に付けられる類のモノじゃないのは確かだ」
オブライオン王宮の地下。古代遺跡の一室で、巨大なモニターの前に座る九条彰が独り言のように呟いた。モニターには王宮の一室『実験室』の様子が映し出されている。九条の隣にはザリオンが控えており、二人は実験室の様子を興味深く見ていた。
「『暗黒騎士』の能力、あの特性が私の推測どおりなら、人間に耐えられるものではないはずです」
「一瞬で勝負が決まる無敵の能力も、斬った相手の痛みと恐怖を体験するなんてね……それが本当なら、よくもまあ、使う気になれるよ。というか、なんでそんな特性があるんだか」
「悪魔は人の苦痛を好みますから。人間が悪魔の力を行使するには天使系とは異なり多大な代償を伴います。あれは本来、人には扱えるはずの無い力です」
「だろうね。ちょっと信じられないけど。だって、彼女は地球人、普通の人間だよ? 力に影響されて理性を失ってもおかしくないはずだ。聖なる天使の力と違い、邪悪な悪魔の力はザリオンの言うとおり、確かに人には扱えない。人は欲に傾きやすい性質を持ってるからね。使えば使うほど悪魔の力に魅入られいずれは力に支配されてしまう。普通の人間はそれに抗えない。その普通の人間、しかも、魔素の薄い地球で生まれた彼女が耐えているのは有り得ない。でも、彼女は未だに平静を保ち、善悪の区別がついてる。異常だよ……」
「強力な力であればあるほど、その力に引っ張られます。だからこそ、天使系の能力を付与した者には敢えて理性のタガを緩める処置をしたわけですが……」
「フッ、本来なら『
「危険です」
「冗談だよ。それより、ザリオンの方こそ夏希さんにこだわってるように見えるけど……ひょっとして天使としての本能かい?」
「かもしれません。我々天使は悪魔を滅する為に生み出されましたから」
「人、いや、知的生命体が発生したと同時に生まれた存在、悪魔。人間だけでなく、あらゆる知的生物の怒りや憎しみ、悲しみなどの負のエネルギーに意思が宿った存在、そして、神の誤算。冥界という異次元に悪魔共を閉じ込めても、日に日に蓄積される負のエネルギーを緩和する為、悪魔を間引く為に神はキミら天使を作った」
「そのとおりです」
「今回は
「おっしゃるとおりです。信じ難いことですが、あの女には暗黒の力に対する免疫があります。放置は危険かと」
「免疫か。昔、悪魔の因子を組み込む実験を見たことがあるけど、実験は失敗だった。無論、それは天使も同様だ。遺伝子と違い、霊的因子をイジることは不可能という結論は出てる。出来るとしたら神だけだけど、ザリオンの事前チェックにも引っ掛からなかったということは、彼女は女神の差し金でもない。完全に天然モノ。『暗黒騎士』という暗黒属性の能力が宿ったのも偶然では無く必然……か。ここへきて、こんなイレギュラーに遭遇するとはね。上位悪魔の顕現はボクのシナリオには無い。使徒への時間稼ぎをしてもらうつもりだった高槻も死にそうだし、放っておいても彼女達は王都から離れるようだから心配はいらないと思うけど、彼女だけは始末した方がいいかもしれないね。ボクもなんだか嫌な予感がしてきたよ」
「では、よろしいですか?」
「キミが直接手を下すのはナシね。アレをやったら、直ぐに戻ってくるんだ」
「御意。……では、直ぐに戻ります」
そう言って、ザリオンは姿を消した。
「平気で悪魔を召喚するクセに、上位悪魔には警戒する……天使も人間と変わらないね」
九条はそう呟きながら操作盤に触れ、モニターに別の画面を表示させる。
「……天使は悪魔を滅する為に生まれた。悪魔は人の悪意から。では、人は何故生まれた? 神は何故作った? 人の発生、存在を何故、神は容認するのか? ……まあいい、答えはもうすぐだ」
モニターには電力と魔力の充填ゲージを表す画面が表示され、電力の数値が満タンを示していた。残るは魔力の数値だが、充填速度が遅いのか、ゲージは遅々として増えない。
「それにしても、人力だとやっぱ時間が掛るなぁ」
…
……
………
「大輔、大丈夫?」
夏希は倒れていた渡辺大輔に手を貸し、引き起こした。
「う、うん……僕より夏希さんは? また顔色が悪いよ」
「……また?」
「いや、ゴメン。いつも、あの剣を使った後は辛そうだから……」
「そんなことない、気のせいよ。それより、二人に回復薬を飲ませてあげて。二人の意識が戻り次第、この街を出るわよ」
「わ、わかったよ。でもいいの? 日本に帰る方法が分かるかもしれないんじゃ……」
「あの九条彰は信用できない。前に大輔に言われて思い返してみたけど、私にもあの男のことがどうしても思い出せない。でも、今まであの男をクラスメイトだと認識していた。いくらなんでもおかしいわ」
「そうだね……王都から離れてその後は?」
「神聖国へ行ってみようと思う。フィネクスとは方角が反対だったし、距離的にも行くのが後回しになっちゃってたけど」
「セントアリアのこと?」
「そう。会えるか分からないけど、聖女って神の代弁者に会ってみようと思う。二百年前の勇者をこの世界に召喚した『女神アリア』が実在するなら、聖女も本物かもしれない。少なくとも過去の勇者は存在した。その内の一人が地球に帰還したってあったでしょ? 前から気にはなってたのよ」
「フィネクスの地下遺跡で遭遇した『魔剣士ライアン』だっけ? 彼の持っていた日記に書いてあったことだね」
「もっと英語を勉強しておけば良かったわ。あまり詳しく読めなかったし、神に縋るようで気は進まないけど、今まで調べてきた伝説やお伽話が全て事実なら――」
『神は存在する。だが、お前達がそれを知っても意味の無いことだ』
夏希達の前に、ザリオンが突然現れた。
「川崎……亜土夢?」
「高槻祐樹。死ぬ前に役に立ってもらおう」
「あ……?」
―『属性反転』―
突如、黒い霧が発生し、高槻の身体を包んだ。黒霧は高槻の身体に吸い込まれ、やがて消える。
「天使系ではないが、魔術師系の中でも賢者クラスなら申し分無い。暗黒を葬るには聖光か暗黒。闇を越え、暗黒に堕ちろ! 高槻祐樹!」
「へ?」
「一体、何を……」
呆気にとられる高槻と、突然乱入して来た
ベチャ
「え?」
高槻の目の前に、一欠片の肉片が落ちる。
「なんだ……これ?」
自分のすぐ目の前に落ちた肉片を不思議そうに見つめる高槻。
ビチャ
やがて、新たな肉片がまた一つ高槻の眼下に落ちた。
「ッ!?」
肉片は高槻の顔から剥がれたものだった。
「ひぃ!」
慌てて自分の頬に手をやる高槻。しかし、顔に触れた途端、触った箇所の皮膚と肉がズルりと剥ける。
「「「ッ!」」」
それを見た夏希と大輔は、目を見開いて言葉を失う。
「うわぁぁぁあああああーーー!」
自分の身体に何が起こったのか、体中の皮膚や肉がボロボロと崩れ落ちていく。そのことに高槻は取り乱し、パニックになって叫ぶ。
「一体なんなんあばぁうあばあああぁぁぁ」
身体中の肉が削げ、眼球がこぼれ落ちる。みるみる骨だけになった高槻は、その後ピクリとも動かなくなった。
しかし、死んだわけではないと夏希達は肌で感じていた。とてつもない重圧が、高槻だった骸骨から放たれていたからだ。おぞましい光景にも、目を逸らすことはできなかった。
「な、なんなの……?」
「ふむ。『
「リッ……チ?」
「魔導を極めんとした者の末路。志半ばで倒れた者の怨念が意思をもった存在。飽くなき魔導への探求と、それに有する時を欲し、不死者と化してなお生を憎み、魔導に固執する愚者だ。……悪魔ではなかったのは残念だが、時間稼ぎぐらいにはなるだろう」
「リッチ? 悪魔?」
「夏希・リュウ・スミルノフ。お前の能力は生者にとっては強力だが、死者にはどうかな?」
ザリオンはちらりと夏希に視線を向けるが、夏希は骸骨になった高槻から視線を外せなかった。何故ならその骸骨の腕が動き、起き上がろうとしていたからだ。
「ほ、骨? 亜土夢……一体何を……僕に何ヲシタァァァアアア!」
「ほう? まだ自我があるとはな。だが、人間ごとき矮小な存在値では上書きされるのも時間の問題だ。夏希・リュウ・スミルノフだけでも始末できればと思っていたが、使徒もただでは済むまい。形的にはお前を助けたのだ。我が主の為に時間を稼ぐのだな」
「亜土夢ゥゥゥーーー!」
「川崎亜土夢はもういない。我が名はザリオン。最上位の天使であり、九条彰様の忠実なる下僕。フッ、お前達に名乗ったところで、これも意味の無いことだがな」
そう言い残し、ザリオンは姿を消した。よく見れば、その足元には薄っすら魔法陣が残っており、転移によるものだと推測できる。九条は密かに王宮や王都内にいくつも転移魔法陣を設置しており、地下の古代遺跡からそれを使った夏希達は、すぐにそれを察知した。
しかし、今はそれどころではない。
目の前の高槻だった骸骨は起き上がり、そのまま上半身が宙に浮かんだ。黒い霧が高槻から噴き出しその身体を再び包むと、黒いローブが纏うように霧が変質していく。
「ナァツゥキィィィーーー! オマエノ、オマエノセイデェェェ! ボクノカオ! カラダヲカエセッ! ソウダ、オマエノカラダヲモラオウ! ソノウツクシイニクタイヲォォォ ヨォ コォ セェェェーーー!」
『不死の大魔導師』と化した高槻が夏希に襲い掛かる。
「どうやら人間を辞めさせられたみたいね。さっきの川崎といい、何が起こってるのよ……」
「夏希さんッ!」
「大輔っ!
「了解っ!」
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