第521話 撤退

 煙幕手榴弾の煙が薄っすら漂うオブライオン王宮の三階フロア。


 その廊下に、身体の至る所に血の滲む灰色の戦闘服を着た一人の兵士が壁に手を付き、足を引き摺りながら歩いていた。



 その向かいには、強化外骨格を身に纏ったチャーリーチーム短機関銃サブマシンガンMPXを構え、歩いてくる兵士に銃口を向けている。


「……ブラボーチーム? 負傷してるのか……おい、何があった? 何故、誰も無線に出ない?」


 班のリーダーは暗視ゴーグルのバイザーを上げて肉眼で兵士の姿を確認すると、無線をオンにして呼びかける。同じフロアで侵入者の探索をしていたブラボー班は、煙の発生を報告したことを最後に通信を断っており、その動向が不明のままだった。


「……」


 兵士はリーダーの無線に答えない。が、暫くして銃を構えた傭兵達に気付いたのか、歩いてくる兵士は自分のヘッドセットを指差し、無線が故障しているジェスチャーを送りながら、引き摺る足を前に進めた。


「無線が故障……?」


 歩いてくる兵士は強化外骨格を纏っておらず、MPXもスリングで肩から吊っているだけで手に持ってすらいない。敵に襲われて負傷し、逃げてきたように見えるが、正体はそう演技しているレイだ。当然ながら、服と装備の持ち主はもうこの世にはいない。


 傭兵達と同じヘルメットにヘッドセット、暗視ゴーグル、ガスマスクを装備した見た目からは個人を判別することは出来ない。ここにいる傭兵達は皆、正規軍のように戦闘服に張る階級章や名前のワッペンも無く、お互いを識別できるのは顔と声だけだ。しかし、チャーリー班の面々は、歩いてくる兵士が味方だと信じて疑っていなかった。


 なぜなら、同じフロアに同時展開しているはずのブラボー班が、瞬殺されたとは夢にも思っていないからだ。レイがブラボー班の四人を殺したのは時間にして五分も掛かっていない。最後の一人を無血で殺害して服と装備を奪ったのも、強化外骨格を壊して引き剥がすことに手間取りはしたものの、それほど時間を費やしたわけではない。


 ブラボー班の最後の無線連絡から現在まで、班が全滅し、服と装備を奪われたなど、報告があっても傭兵達には信じられないであろう極短時間での出来事だったのだ。


 接近戦において、レイは異常ともいえる強さを誇る。傭兵キャリアの後半を単独で任務を実行出来たのは、このことが突出しているからに他ならない。レイは新宮流の裏道場で世界各国の特殊部隊員を圧倒する実力を持っている。無論、限定された条件でのことだが、そんな者は世界に何人もいないのだ。


 そんな存在の行動を、同じ傭兵としか思っていない彼らに予測できる訳が無い。



 しかしながら、近づいてきた味方に不審な点があれば、流石に疑問を抱く。


「……おい、お前、強化外骨格スーツはどうした?」


 チャーリー班のリーダーは、偽装したレイに疑問の声を上げる。


強化外骨格コイツの脱着は自力じゃ難しかったはず……」


 新型や試作型の装備や兵器には、機密漏洩を防ぐ為に何かしらの措置がされている場合が多い。傭兵達の着る試作型の強化外骨格も、鹵獲防止の為、専用の工具がなければ取り外しや分解が出来ない構造をしていた。レイが服を奪う為に破壊せざるを得なかったのはその為だ。当然ながら専用工具を現場で持ち歩いてるはずは無く、また、戦闘で破壊されたとも傭兵達の常識では考え難かった。


「……?」


 そのことにリーダーが疑問に思ったと同時に、レイが自身の暗視ゴーグルのバイザーを上げた。それを自身の顔を晒し、身元を明かそうとしているとリーダーは勘違いするが、すぐにその間違いに気づいた。


 傭兵達に灰色の瞳をした者はいない。お互いの距離が近づき、その瞳を見たリーダーが気づいた時には、既にレイの間合いに入っていた。レイが暗視ゴーグルを外したのは単に邪魔だからだ。


「敵ッ!」


 慌ててMPXを構え、照準をレイに合わせるリーダー。その動きに釣られ、チャーリー班の他の傭兵四人も同じ様にレイに銃を向ける。だが、他の者は近づいてきた兵士が味方との認識がまだ頭にあり、その動作には一瞬の躊躇があった。傭兵達がレイに照準を合わせ、引金を引くよりも早く、レイは肩から吊り下げたMPXを拾うようにして掴み、そのまま腰だめで銃を連射していた。


 レイは相手を狙って撃ったのではない。連射モードフルオートで弾丸をバラ撒き、相手との距離を更に縮める為の牽制だ。


 近距離で9mmパラベラム弾が無数に放たれる。傭兵達はMPXから咄嗟に手を離し、亀のように体を丸めて防御姿勢を取った。


 強化外骨格に装着されている装甲は、所詮は拳銃弾に過ぎない9mmパラベラム弾を容易に弾く性能があり、正面から銃弾を浴びても致命傷に至る部分は確実に防御できる。しかし、装甲は全身をカバーする程の面積は無く、傭兵達は本能のままに己の身体、命を守る行動を咄嗟に取ってしまう。


 仮に、被弾を覚悟で傭兵達がレイに向かって引金を引いていれば、レイを殺せたかもしれない。しかし、実際に目の前で突然銃を乱射されてそれが出来る者は現実には殆どいない。レイのように尋常ではない鍛錬法で痛みや死の恐怖を克服した者か、薬物によって本能を麻痺させた者だけだ。過酷な戦闘において、興奮状態に陥った場合はその限りではないが、戦闘開始から突然そのような状態になることは無い。


 無論、相手がどんな性質の兵士か分かった上で、レイは行動している。相手が薬物を乱用しているゲリラや民兵なら、初めから演技などせずに離れた距離から射撃、もしくは手榴弾を放れば済む。しかし、相手が特殊訓練を受けた兵士なら多対一での銃撃戦は圧倒的に不利である。どのような手段でも、相手の懐に入り込み、近接戦闘で戦うことがレイにとっての最適解なのだ。



 毎分850発の連射速度があるMPX。三十発入りの弾倉が空になるのは一瞬だ。しかし、その一瞬でレイには十分だった。レイは弾倉の弾が無くなる前にMPXから手を離し、傭兵達に接近すると同時に腰の拳銃とナイフを抜く。

 

 戦闘服を奪った際に傭兵が所持していた拳銃とナイフは、9mmパラベラム弾を使用した新型の自動拳銃SIG SAUER P320と、ベンチメイド社のニムラバス。ニムラバスには市販品とは異なる米海兵隊の刻印が入っており、元の持ち主の前所属を示唆していた。


 黒刀や魔金製の短剣、慣れたコルトガバメントをレイが使わなかったのは偽装の為だ。いずれの装備も身に着けていれば遠目からでも違和感が出る。そうなれば、間合いに入る前に気づかれてしまっただろう。



 レイは先頭にいたリーダーのMPXを拳銃を握った右腕で跳ね上げると、左手に持つナイフで相手の銃を握る手の手首の内側を撫でるように斬りつける。


 どんなに強固な装備でも、動きやすさを確保するなら関節の可動部を完全に防護する機能は現代の技術ではまだ作れない。レイは装備を奪った際に強化外骨格と装甲部の構造を見ており、ナイフの刃や銃弾が通る箇所は当然把握している。


 軍用ナイフはアウトドアショップで手に入るナイフより遥かに鋭い斬れ味と強度を持つが、最新の防護素材を前には力負けする。装甲の継ぎ目である手首の関節を狙って切りつけたものの、その下の戦闘服の防刃性能により切り傷は動脈には達しておらず、出血も僅かだった。


 しかし、リーダーは手首にある腱を正確に切り裂かれ、銃を握るどころか指一本動かすことが出来なくなっていた。レイにとってはそれで十分だ。


 レイはリーダーの手首を切ったと同時に懐に滑り込み、相手の身体を盾にしながらP320ですぐ側にいる傭兵の目を狙って撃つ。


 パァンッ


 銃弾を受けた傭兵の頭が激しく後方に揺れた。暗視ゴーグルは軍用レベルの耐久性があるとはいえ、至近距離で真正面から銃弾を受ければ貫通は免れず、その後ろにある眼球を貫き、脳にまで弾丸が達したのだ。


 頭を撃ち抜かれた傭兵はその場に沈み、その後ろにいた者も間髪入れずにレイから銃撃を顔面に受け、同じように床に沈んだ。


「このッ!」


 リーダーはすぐさま無事な左手で腰にあるナイフを抜くも、レイは傭兵二人を銃撃したP320の銃口をリーダーの脇腹の装甲の隙間に素早くねじ込み、躊躇なく連射する。


 パパンッ


「おぼっ」


 ゼロ距離で発射された弾丸は、内臓をズタズタに破壊しながら体内を高速で貫き、リーダーを沈黙させた。


 瞬く間に三人の傭兵を殺したレイ。リーダーの手首を切ってから五秒も経っていない。



「「Fuck youuuuuu!」」



 チャーリー班の残り二人の傭兵は狂ったようにレイに向けてMPXを連射する。レイはリーダーの死体を盾にしつつ、死体の身に着けた装備品に手を伸ばす。


 傭兵達のMPXは一瞬で弾倉が空になり、二人はすぐに弾倉交換を行う。緊迫した状況でもその手際はよどみなくスムーズだ。しかし、その一瞬の間に、レイは破片手榴弾グレネードの安全ピンを抜き、二人の間に放っていた。


「グレネー……」


 ドォンッ


 破片手榴弾の爆発の衝撃と破片を至近距離で浴びた傭兵二人。一人はまともに食らって即死。破片手榴弾の存在を爆発する直前に気づいたもう一人は、吹き飛ばされはしたものの、咄嗟に防御姿勢を取り即死は回避していた。


 レイは死体を盾に身を屈ませており、当然無傷である。



「うっ、ごほっごほっ」


 強化外骨格の装甲がなければ死んでいた。そう思い、傭兵が立ち上がろうとしたその時、すぐ側にはP320を構えたレイが立っていた。


shitクソ……」


 パァンッ


 …

 ……

 ………


 ―『中尉、応答願います』―


 赤城香織の実験室があるフロアから一階上を捜索していたロビンソン中尉に、監視室から無線連絡が入る。監視チームの指揮官であるロビンソンには各班のリーダーと、パソコン画面から監視カメラやセンサーをモニターしている監視室から逐次報告が入り、相互に連絡を取り合っていた。


「こちらアルファチーム、ロビンソン。どうした?」


 ―『チャーリ―班との通信も途絶しました』―


「くッ!」


 階下のフロアで煙が発生し、その直後にブラボー班からの通信が途絶。チャーリー班を応援に行かせたものの、両班の無線は完全に沈黙してしまった。


 それの意味するところは部隊の全滅だ。初めに実験室に突入させた部隊を含め、レイは最新鋭の装備を纏った十五人の現代兵士をたった一人で全滅させたことになる。


「監視カメラの映像は? 何か分かったか?」


 ―『熱赤外線カメラの映像で発砲らしき熱源を確認しましたが、状況は不明です。三階は煙が未だ充満しており暗視カメラでは捉えられません』―


「くそっ」


(侵入者は単独の可能性が高い……人数も装備もこちらが上。魔法とやらも使えんはず……なのに、何故こうも簡単にやられる?)



 ロビンソンはレイをいくら凄腕でも殺し屋上がりの傭兵としか見ていなかった。射撃や格闘、兵士同士の戦いを自分の知る常識内でしか計れていないのである。傭兵キャリアの後半、特殊作戦を何年も単独で行ってきたレイの経歴は普通ではない。過去に特殊部隊に所属していたロビンソンでもそんな存在は聞いたことが無く、想像も予測も出来なかったのだ。


 レイの強さは古武術を修めているからでも殺しのキャリアでもない。味方も援護も無しに、たった一人で戦場に赴き、多対一でも臆することなく冷静に事を運ぶ異常なまでの精神力だ。


 敵地に単独で潜入するのは、スパイなどの諜報員なら普通の任務ではある。しかし、彼等は必ず情報を持ち帰らなくてはならないという任務の性質上、自身の命や安全の担保を必ず取り、戦闘は決して行わない。身の危険を感じればいつでも現場を離脱する手段をいくつも用意して任務にあたる。


 しかし、レイはそのようなことはしない。決して死にたいわけではない。死なずに生還することを当然考え、己が出来ないことは実行しないが、誰もが死ぬかもしれないという状況、危険に対する安全ラインが極端に低く、現代の常識の枠から大きく外れた行動を取るのだ。


 レイという人間が普通では無いのは、五人の兵士を単独で圧倒する戦闘力だけでは無く、五人の兵士と接近戦で一度に戦うという選択を躊躇なく選べることだ。そして、そんな選択をし続け、生き残ってこれたことである。



(……悔しいがアルファ班だけでは侵入者を排除するのは無理だな……応援を呼ぼうにも本隊とは通信不可能……仕方ない。無駄死には御免だ) 


「遺憾ながら、任務を放棄する。この城を脱出し、本隊と合流する」


 形勢は不利。己と部下の命を優先し、任務を放棄する判断は、傭兵ならではの思考だ。大半の傭兵は、金が戦う理由である。国や家族を守る大義や名誉の為ではない。死んでも国から勲章を貰えるわけでも家族に保証が出る訳でもない。自分達の命を賭してまで任務を完遂するのはナンセンスなのだ。


 ロビンソンはアルファ班の面々に脱出を指示し、無線機のスイッチを押した。


「こちらロビンソン。監視室、応答せよ」


 ―『こちら監視室』―


「撤退して本隊と合流する。急いでそこを引き上げろ。ポイントA3で待つ。五分で来なければ置いていくぞ」


 ―『りょ、了解!』―


(報酬は惜しいが、生きて帰れなければ意味は無い。戦力が削られた以上、このまま化け物屋敷ホーンテッドマンションに留まるのは危険だ。後はここのバケモノで何とかするんだな、ジャップのキッズ共)


 ロビンソンはバックパックからフック付きのロープを取り出すと、身に着けているハーネスのカラビナにロープを通し、懸垂降下の準備をする。アルファ班の面々もそれに追従し、同じように準備に入った。



「おい、そこの兵隊ども」


 準備が完了し、廊下の窓を開けて降下の体制に入ったところで、ロビンソン達に声が掛けられた。


「これはミスター高槻」


 ロビンソン達の前に、全身鎧を纏った巨躯の騎士を引き連れた高槻祐樹が現れる。重装備の騎士とは対照的に、高槻は裸に薄いガウンを着ているだけのラフな格好だ。


「このフロアで何してる? ここは立ち入り禁止だと言っただろう? それに、どうして照明が切れた? お前達がやったのか?」


「侵入者の報告は上げていたはずですが?」


「それは聞いている。自分達に任せろと自信満々に言っていたこともだ。それで? 侵入者は捕えたのか?」


「いいえ。保護対象であるミス赤城は殺され、私も部下を大勢失いました。誠に遺憾ながら、我々監視チームは撤退します。魔法とやらを封じれば無力化できるといった情報は些か疑問です。お気を付け下さい」


「おいおいおい、とんだ役に立たずじゃねーか! 香織が殺された? それがどういうことか分かってて言ってんのか? 何、しれっと報告してんだよ!」


 赤城香織の作る若返りの薬や、病院で無償提供される回復薬は、この国を根幹を支える重要なものだ。赤城が死んだということは、高槻にとって致命傷とも言える一大事だ。そんな重大な事を、淡々と報告するロビンソンに、高槻の怒りが一気に膨れ上がる。


「文句は我々に標的のデータを提供したミスター九条に言ってください。情報が不正確なデータを提供されては困ります。それに、監視システムの構築も満足にできないのであれば、対処が遅れるとも申しましたよ?」


「……もういい、消えろ」


「では、失礼します」


 ロビンソンとアルファ班はロープを握り、体重を預けたその時……。


「消えろってのはそう言う意味じゃない……『火炎』!」


 窓枠にいたアルファ班に一瞬で巨大な炎が襲いかかった。


「「「はぎゃああああああ」」」


 激しい炎に包まれ、瞬く間に傭兵達が焼き尽くされる。傭兵達に繋がれていたロープも燃え尽き、ロープに体重を掛けていた傭兵達はそのまま地上に落下していった。



「ぐはっ……はぁ はぁ はぁ くそっ、なんだアレは……」


 辛うじて息のあったロビンソンは高槻の放った魔法に驚愕する。一瞬で部下が燃え上がり、耐火素材の戦闘服も全く意味が無かった。自身は一早く降下していてなんとか即死は免れたものの、体中に大火傷を負って立ち上がることも出来ない。


「うう……ちゅ、中尉……助けて……」


 ロビンソンのすぐ側には、落下してきた部下で同じく即死を免れた者がいた。しかし、重度の火傷により助かる見込みは無い。見渡せば、落下してきた者達で息があるのは自分とその部下だけだった。


「こ、こちらロビンソン……か、監視チーム……応答せよ」


 監視室にいた部下に救援を求める為、無線で呼び出すロビンソン。


 ―『……』―


 しかし、無線に出る者はいない。


 「ま、まさか……」



 ドシンッ



 ロビンソンの前に、全身鎧を着た巨躯の騎士が飛び降りてきた。


(バカなッ! 三階だぞ? 強化外骨格を着た俺達とは違――)


 騎士は巨大な大剣を振り上げ、ロビンソンの頭上でピタリと止める。


「ま、待ってくれ!」



 ズドンッ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る