第517話 赤城香織

 王宮を目指し、走る『魔物使い』リズリー。


 失った両腕から滴る血は自ら向かう先の道しるべを残しているが、それに構っている時間は無い。


 リズリーは痛みを感じなくても、出血が続けば命を落とすことは知っている。運動能力の低下は血が足りていないことを示しており、一刻も早く治療を受けなくては命を落とすと分かっていた。


 しかし、逃げると同時に最低限のことはせねばならない。女神の使徒の襲来を『勇者』に報告し、治療を受ける時間を稼ぐ為だ。



(ネズミ共ッ!)


『魔物使い』の能力は魔獣を使役できる能力である。しかし、強力な魔物ほど支配に対する抵抗力が強く、使役する難度が高い。逆に魔力を殆ど持たない非力な小動物などは、呼び寄せたり主従関係を結ばなくとも容易に使役できる。姿を消して追跡してくるであろう、使徒レイの発見と妨害の為に、リズリーは能力を使って街中のネズミを呼び寄せた。



(……追ってきてない?)


 集まって来た無数のネズミは、瞬く間に通りを覆いつくした。姿を消した使徒が近くにいれば、先程のように覆いつくし、その存在が露わになって分かるはずだ。しかし、ネズミ達の様子にそのような変化は見られない。


(どういうこと?)


 リズリーは若い見た目どおりの歳では無く、愚かでも無い。使徒が自分を殺せる機会があったにも関わらず、それをしなかったのは魔物の暴走を恐れていただけではない、他に意図があると疑っていた。女神の使徒は勇者を抹殺しに来ている。本命の狙いは勇者達なのだろう。逃げた自分を追って勇者を見つけるつもりなのは想像がついたが、追ってくる気配は感じられなかった。


(いや、考えるのは後だ。今は急がないと死んじまう)


 予想外の展開に気味の悪さを感じつつも、リズリーは思考を切り替え、王宮へと向かう。



 残念ながら、にいるネズミ達ではレイの存在は捉えられない。レイが空を飛べると知っていたなら、リズリーは鳥類を呼び寄せていたかもしれないが、リズリーがそれを知ることはない。


 …


「開門ッ! アタシだ、リズリーだッ! 門を開けろッ!」


 固く閉ざされた城の正門を何度も足蹴にし、リズリーが叫ぶ。



 門が僅かに開き、リズリーは体を滑り込ませるようにして中に入ると、門兵にすぐに門を閉めて警戒するよう叫んだ。


「早く閉めろッ! 女神の使徒が来る! すぐに警報を出すんだ! それと、カオリ様はどこにいる?」


「は、はっ! カオリ様の所在は私如きには……」


「ちっ!」


 リズリーは舌打ちをして城内へ走る。


 …


「カオリ様はどこだ?」


 城内に入り、目についたメイドにリズリーが尋ねる。


「リズリー様。カオリ様にはどのようナご用件デしょうカ?」


「急用だ! つーか、コレ見てわかんねーのか? いいから早く教えろッ!」


「……カオリ様は『実験室』におりまス」


(どいつもこいつも……)


 リズリーに応対したメイドは、メイドとしては不適切に香の匂いが強く、不自然なほど顔色が悪い。それに、口調もぎこちなかった。腕を切断され出血しているリズリーを見ても、何ら驚くような反応を示さず、リズリーの問いに無表情で答えるだけだった。


 今は夜間。王宮で働くのは不死化アンデッドの使用人と、与えられた命令以外の行動をしない鬼人兵が警備に就いているのみだ。リズリーの望む対応ができる者はいない。



 リズリーは階段を駆け上がり、赤城香織のいる『実験室』に向かう。


 …


「失礼しますッ! カオリ様っ!」


 リズリーはノックもせずに、実験室とドアに書かれた部屋を蹴破った。


「わっ! ビックリしたっ! ……あれ? リズリーさん? こんな夜中にどうし……って、腕が! ちょっ、どうしたの!?」


「夜分にご無礼をお許しください。ですが、緊急事態です! 使徒です! 女神の使徒が現れましたッ! 至急、アキラ様かユウキ様にお知らせしたく! それと、コレの治療を急ぎお願いしたいのですが……」


「た、大変っ! 待ってて、今、薬を持ってくるから」


「申し訳ありません、実は少し前に服用したばかりでして……」


「え? じゃあ、時間を置かないと薬は拙いよね……とりあえず、魔法で止血だけでもしないと」


「お手間を掛けします(ちっ、止血だけか……)」


 …

 ……

 ………


(早くしろ、このブスが! ちんたらしてたら使徒が来ちまうだろ!)


 回復魔法を唱えて腕を治療している赤城香織にリズリーは苛立つ。止血に時間が掛っている。お世辞にも赤城の回復魔法は優れているとは言えなかった。


(しかし、なんだコイツ等は……?)


 治療中、何もできないリズリーは、ふと部屋を見渡し、異様な光景に気づく。部屋には男達が拘束され、壁に磔にされていた。数人は血走った目で赤城を凝視して身じろぎし、残りは項垂れて息をしていなかった。


「あ、この子達? ちょっと実験中なの。気にしないで」


「じ、実験?」


「うん」


「内容をお伺いしても?」


「んー まあ、リズリーさんなら女の子同士だしいっか。でも、誰にも言っちゃダメだよ? ……あのね、『惚れ薬』ってやつを作ってるんだけど、中々うまくいかなくてね。少し前から私になんでも思いどおりの『薬』が作れるって分かったでしょ? それで色々な薬を作ってきたけど、思考や行動を思い通りにするような薬は加減が難しくて全然上手くいかないの。それでこの子達に協力してもらってるんだ~」


(は? 惚れ薬?)


「薬を飲んだら理性が無くなっちゃったり、誘導した事柄以外の行動をしなくなっちゃったりして普通じゃなくなっちゃうんだよね。私が望んでるのはそんなんじゃなくて、自然に好きになってくれるような薬なんだけど……」


(そんな危ねー薬、このブス誰に使うつもり――)



「くひっ! これが完成したら祐樹君も……」



「え? 今なんて……」


「んーん、何でもない。それより、このことは誰にも言っちゃダメだよ? リズリーさんだから教えたんだから。同じ女として好きな人に振り向いて貰いたいって気持ちは分かるでしょ?」


「は、はあ……」


「はい、止血完了。腕の再生は薬の方が早いから明日にでも――」


「カオリ様、至急、アキラ様かユウキ様に使徒の襲来をお知らせしたいのですが」


「あ、そ、そうね……でも、九条君は地下の遺跡にいるからすぐには会えないし、祐樹君は夜に会いにいくと機嫌が悪くなるんだよね」


(おいおいおい、何言ってんだ?)


 自分達を殺しに来る者がいるのに、危機意識が希薄の赤城にリズリーは呆れる。


「いや、使徒が来てるんですよ? 緊急事態なんです! 大至急、お目通りを!」


「う、うん。じゃあ、すぐに行こ。多分、祐樹君は寝室にいると思うから……」



「……外したか」



「「え?」」


 赤城とリズリーが揃って声を上げた瞬間、赤城の首が宙に舞う。


 そして、すぐさま頭と胴体に無数の線が入り、瞬く間に細切れになって赤城香織はただの肉片と化した。


「あひぃ!」


 突然の事態に、リズリーは驚き尻餅をつく。



「九条の所に向かうと思ったが、当てが外れたな。まあいい、お前も邪魔だ」


「ししし、使徒? なんで? いや、待てっ! アタシを殺したら――」


「知るか。もうお前に用は無い」


 声の元を探し、リズリーは部屋を見回すも、直後に視界がぐるりと回転し、やがて暗転した。

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