第478話 オブライオン王国①

 ―『オブライオン王国』―


 大陸のほぼ中央に位置するオブライオン王国は、大陸で最古の歴史を持つ国の一つだ。魔素が薄い平野部が多く、魔物が少ない安全な土地は農耕に適しており、大陸一の穀物生産量を誇る。主要都市は他国と同様に城壁に囲まれた城塞都市が殆どだが、防壁が簡素な農村なども国中に点在し、人口も多い。


 しかしながら、有史以来、周辺国との関係は良好とは言えず、交流や貿易などは王国に不利益な条約が多い。殆ど鎖国に近い状態が長い間続いていた為、文化、文明の発展は他国に比べ数段遅れており、庶民の生活水準も低い。 


 国の立地から考えても、不自然なほど他国から冷遇されているのは、千年前に発した女神アリアの意向が今も根強く残っているからだ。その詳しい意向の内容を覚えている者は既におらず、慣習として引き継がれているだけではあるが、大陸で唯一安定して食料を生産できる国が力を持つことを良しとしない、他国の人間側の都合も大きかった。



 王国の中央、王都の地下に眠る古代遺跡にある『次元時空間転移装置』の存在は、女神から直接聞いたレイと、その遺跡を千年前に使用した古代人『九条彰』しか知らない。


 レイの使命は、その装置を再度使用される前に、九条彰を最優先で抹殺することだ。他の勇者達は女神にとって必ずしも殺害の対象では無くなったが、装置の存在を知った者はその限りではない。勇者でなくとも、装置の存在を九条から聞かされた者は全て始末しなくてはならない。


『次元時空間転移装置』の存在は、この世界や地球だけではなく、全ての世界を崩壊に導く可能性のある危険な代物だからだ。


 女神が装置を破壊できないのは、既に一度、使用されたからだ。その際に転移した者、もしくは者達がいつ、どこへ向かったのかが分かるまでは装置を葬ることはできない。九条彰のように、時と次元を越えて世界を改変しようとする者の追跡が出来なくなるからだ。


 現在、女神アリアは千年前に転移した者達の時間を遅らせることにその力の全てを費やしている。それでも、九条彰のように比較的近い世界、時空に飛んだ者の影響が表れ始めていた。


 女神アリアの行いは、時間稼ぎにしかなっていないのが実情だ。しかし、千年前の天使と悪魔、古代人との闘いの影響と、洗脳された側近の天使の裏切りによって、取れる手段は限られていた。僅かな余力を使って召喚した一人の異世界人に託すか、あるいは全てを無に帰す破壊か。女神としては後者の選択は避けたかった。破壊を選択した場合、事は装置を含む一国を滅ぼすだけでは問題は解決しないからだ。この世界を消し去ること以外に、時空を越えた者の暗躍は阻止できない。国を無くしたところで、過去に戻られたら意味が無く、『今』を破壊しても無意味なのだ。


 女神の言う破壊とは、を葬ることを指していた。


 そのことはレイも分かっている。装置の存在を聞かされ、女神が直接手を出すことに躊躇する理由が理解できたのだ。それまでは、神の力が強力過ぎて、無関係な国や人間を巻き込むことを嫌った為と思い込んでいたが、国を破壊しても意味が無い事に気づいたからだ。


 装置の秘密を知ったレイは、仕事が終われば自身もまた、女神からは抹殺の対象であると自覚している。自分だけ特別などとは思ってはいない。かと言って、それから逃れる術もつもりも無かった。相手は神である以上、考えても時間の無駄だと判断したのだ。それより、自分の死後、勇者が生きてこの世界に残っていたなら、自分が愛する者にとっては脅威になる。その憂いを残さない為に時間を使いたかった。


 それに、女神の依頼を放棄したり、失敗すれば、全ての人間が消え去ることになる。それだけは何としても避けたかった。


 …

 ……

 ………


(全く、とんでもない依頼を受けちまったな……)


 馬車に揺られる面々を見て、レイは内心で苦笑する。この世界に転生した時は考えもしなかったことだ。これまで他人を守りたいとここまで強く思ったことは無い。心の底から信頼できるような存在や愛する者の存在は、今までレイにはいなかった。唯一の肉親である母親にも愛情を向けられたことはなく、愛というものを言葉の意味以上には知らなかった。


 リディーナやイヴは勿論、今ではブランにも愛着を覚える。


(何かを失いたくないと思うのは初めてかもしれないな……)



 ――『タカシ、死ぬのが怖くなったか?』――



 ハッとして、レイは周囲を見渡す。探知魔法にも反応は無く、馬車を引くブランにもおかしな様子は見られない。後ろの馬車ではイヴが仮眠をとっており、後方の荷馬車でもバッツ達はいつもどおりだ。


「どうしたの?」


 レイの隣でミケルの代わりに御者席に座っていたリディーナがレイに声を掛ける。リディーナにも先程の声は聞こえていないようだ。


(空耳……いや、昔の記憶か? 師匠ジジイの声が聞こえた気がしたが……何で今頃……)


「何でもない……」


(ガラにもないことを考えちまった所為か?)


 油断している訳ではなかったが、国境の検問所を抜けて三日。のどかな田舎風景に気が緩んでいることを戒めるかのように、レイはふと、若い頃の記憶が蘇った。当時のレイは人生に対して自暴自棄だった時期であり、師である新宮幸三には死ぬような試練を与えられていた頃だ。真剣をはじめて渡され、いきなり斬りつけられたことは今でも忘れていない。


(ふん。今も師匠気取りか? チートジジイめ)


 かつての師が、この世界で『勇者』として活動していたことを知り、師の異様な強さの一端が分かった気がしていたレイは、一つの疑問が浮かんでいた。


 地球にも魔素があるのか? ということだ。『勇者』の中でも天使系の能力であると思われる『剣聖』の力は魔力に由来しない。日本では師匠が光る剣を生み出しているところなどは見たことは無いが、身体強化を施せたとしたら辻褄が合うような場面がいくつもあった。至近距離から銃弾を避けたりなど、常軌を逸した身体能力は、鍛錬で培われたものだとは到底思えず、魔力による強化ならば納得がいく。


 無論、師の強さは肉体の強化が無くとも、実戦に基づく経験と修行に裏打ちされたものであるのは分かっているが、どうも騙されたというか、ズルされてたような気がレイの中では芽生えていたのだ。苛烈な修行を施された身としては、悪態の一つも出てくるものだ。


(身体強化を施せば、程度にもよるが常人の数倍の力を出せるんだ。さぞ、俺の動きはスローに映っていただろうよ。何がまだまだ修行が足りんだ、くそジジイ)



「怖い顔して、何だか変よ?」


「本当に何でもない。大丈夫だ」


「なら、いいけど……」


(ともあれ、当時の師匠が身体強化を施していた可能性が高い以上、地球にも魔素はありそうだ。そうなると、益々、勇者共を日本に帰すのは無理な相談だな……)


 勇者達のもつ能力がそのまま地球で使用できるとなると、日本に帰った後どうなるかは大体は予想がつく。己の能力を一生使わずに生きていくことができるか? 魔法が使えることを誰にも話すことなくバレずにいられるか? それも、相手は十代の高校生だ。日本に帰った後、将来どのような行動にでるかは予想がつかない。


(まあ、女神が素直に帰すとは思えんし、今更、地球のことなど俺が気にすることでもないな。俺の仕事は九条彰とこの世界に残る者を始末するだけだ)



『アニキ、腹減ったっす』


「もう? ちょっと前に一杯食べたじゃない」


『姐さん、もう無理っす』


「仕方ない。少し早いが、野営の準備をするか」


 国境を越えてしばらくすると、ブランはやたらと空腹を訴えるようになった。この国の地域の魔素が薄い所為だ。


 魔物と他の動物が大きく違うのは、魔素を取り込み力に変える有無だ。人間も睡眠中に魔素を魔力として蓄え、己の力として行使できるが、魔物は魔素を活動エネルギーとしても利用している。地球と重力が同じにも関わらず、龍や巨人のような巨大な生物が、物理法則を無視して飛んだり二足歩行できるのはその為だ。


 活動エネルギーが多い個体、強力な魔物ほど、食事だけではそれを賄えず、魔素濃度の高い地域や場所から動きたがらない。人間と魔物の住み分けが辛うじて成立しているのはそれが大きな理由だ。


 しかし、何らかの理由で生息域の魔素濃度が低下すれば、捕食の為に強力な魔物や集団が人の住む領域にも進出してくる。極稀に起こるスタンピードなどがそれにあたるが、ほぼ全ての都市が城壁で街を囲んで備えているのはその為だ。この世界において、人間は食物連鎖の頂点などではなく、一部の者を除いて大多数が捕食対象の底辺に位置する存在なのだ。


 魔物と魔素の関係をここまで知る者は、現在殆どいない。魔物の生態に詳しい冒険者ギルドであっても、そこまで情報は無いのだ。ブランという強力な魔獣と行動を共にし、会話できるからこそレイにもそれが分かっただけであり、飛竜を使役する竜人達ならそれを知る者もいると思われるが、人々に周知されるほど広まってはいなかった。



「旦那、休憩ですか?」


「いや、少し早いが野営する」


「了解です」


 レイは『鍵』の探知機と地図を取り出し、志摩達との距離を確認すると、脳内の航空写真と、セルゲイが用意したオブライオン王国の簡易地図を見比べる。リディーナの魔法の鞄や荷馬車には十分な食料が積んであるが、ブランの食事の頻度が多く、目的の街までもつか微妙なラインだ。


「あまり立ち寄りたくはないが、どこかの農村でも行って、飼い葉なんかを調達したほうがいいかもな……」


「そうね~」


『オイラ、草は飽きたっす。果物がイイっす!』


「「贅沢言うなっ!」」

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