第476話 使命

「遅かったな、若造。もう終わったぞ?」


「オッサン……」


「セルゲイ殿だっ! ワシの方が先任だぞ? 口の利き方に気を付けろっ! 使徒様に褒美を貰ったからといって、調子に乗るな! 若造がっ!」


「アンタは現役じゃねーでしょ? つーか、何でこの街にいんだよ? 引退したオッサンが出しゃばるんじゃねーよ。あーあ、こんなに汚しちゃって。ったく、何してくれてんだよ……」


「なんだとっ!」


 腕を折った男を通報される前に始末してきたジークは、その足で病院に戻って来たものの、建物の扉に『休診』の看板が掛けられていたのを見て、建物の中に裏から忍び込んだ。ジークには『休診』の意味は分からなかったが、閉店や休憩中といった意味だと判断し、まずは薬を調べようと侵入したのだ。


 しかし、既に院内ではセルゲイの手によって、白衣の女は始末されていた。女は髪が真っ白になり、歯も抜け落ちて、老婆のように皺だらけの姿で息絶えていたのだ。おまけに院内の床は血と汚物に塗れ、異臭が漂っている。どのような拷問をしたのか同じ異端審問官でも想像できなかったが、それより正面から乗り込んだであろうセルゲイの強引なやり方に、ジークは呆れてしまった。


「捕まえて拷問するのはいいが、もう少し、外堀を埋めてからにしろよな~ どうせ、大した調査もしてねーだろ? この女が吐いた情報の裏はちゃんと取れてるんだろうな?」


 得意顔のセルゲイにジークは容赦無く突っ込む。セルゲイは、一応はレイの指示を受けて行動しているのだが、ジークはそれを知らない。ジークからしてみれば、勝手にカーベルの持ち場を離れて独自に行動し、自分の仕事の邪魔していると思っているのだ。


 異端審問官は実力主義だ。優秀な者は他の者より高度な任務を与えられ、それに伴う権限も大きくなる。任命時期で上下が決まるようなことはない。地方の、ましてや引退しているセルゲイは、本来ならダニエ枢機卿と女神の使徒から直接指令を受けている現役でもトップのジークの指示に従う立場なのだ。


 異端審問官にとって、任務は絶対だ。それを阻害する者は、例え同僚であっても粛清の対象になる。ジークがセルゲイを障害とみなせば、その場で処刑する権限もジークは有している。



「なにぃ~?」


「なにぃ~ じゃねーよ。その様子じゃ、教会にとって代わった『ビョウイン』を異端と決めつけて、いきなり乗り込んだってとこだろ? ったく、やり方が古臭ぇーんだよ……まあいい、聞き出した情報を寄こせ」


「ぐぬ……やり方が古臭いだとぉ? 逆にお前達、今の若いモンはなんでも行動が遅いんだ! 慎重といえば聞こえはいいが、ワシから言わせれば単に腕に自信がないだけだろーが! 捕縛や返り討ちを恐れているとしか思えん。全く嘆かわしい! 常日頃からあらゆる神敵を打ち滅ぼす力を養い、異端と判断すれば即断即決! 即座に行動するのみだ! 躊躇してる間に異端はすぐに蔓延するのだぞ! ワシが若い頃はなぁ――」


「あー わかったわかった、どうせ、精進が足りんだの、異端の匂いを嗅げだの言うつもりだろ? それが古いって言ってんだよ。もういいから早く話せよ」


「このぉ……お前達、現役がちんたらやっておるから『ビョウイン』なんぞが蔓延ったんだぞ? これはお前達、現役の責任だ! わかっとるのか?」


「なら、国境挟んですぐ隣の街にいたアンタの責任はどうなんだよ?」


「うぐっ」


「ここでアンタの小言を聞く時間こそ無駄だぜ。こっちは、さっさとやるべきことを済ませたいんだが……その前に一応聞いておくが、ここの防音は済んでるんだろうな?」


「舐めるな若造! 外部で審問の際は防音の魔導具を起動するのは基本中の基本。ワシを何だと思っとるんだ!」


「オッサンだろ?」


「やはり、お前には少し審問が必要のようだな……水ろ――」


「俺は使徒様から直接使命を受けているのを忘れてんのか? 俺の言葉と行動は何より優先される。元暗部の人間なら分かってるよな? さっさと話せ」


「くっ、このやろぅ……」


 その後、拳をプルプルさせながら、セルゲイは白衣の女から聞き出した情報と、証拠の薬について渋々話しはじめた。


 …


「これが怪我用の高位回復薬ハイポーション、そして、こっちが病気を治す万能薬パナケアねぇ。どっちの効能も本当なのか?」


「高位回復薬は、この女で確かめた。拷問の傷がすぐに癒えて従来の回復薬とは比べ物にならん代物だ。女は勇者に与えられた素晴らしい薬だとほざいていたが、二本目を飲ませようとしたら頑なに拒みよった。怪しいと思って新たに傷をつけて強引に飲ませたらご覧の有様だ。傷は治ったが、みるみる老化が進んで寿命が尽きたかのように死んじまった。まあ、聞きたいことは全て聞き出したから問題は無い。問題はこの薬だ。怪我の治療に驚異的な効果があるのは間違いないが、摂取する量を間違えば、命を奪う薬物だ。服用して長期的に安全なものかもわからんし、この女に知らされてない効能が他にもあるかもしれん。万能薬の方は試すことはできていないが、同じようなものだろうな。これを暗部の薬師に送っても、解析には時間がかかるだろう」


「この薬を勇者がバラ撒いて教会を排除したのか……聖職者による回復魔法以上の効果があるなら教会よりビョウインを民が選ぶのも無理はないか」


「しかも、無料だからな。それと、排除したというのは少し違う。なんせ、この女は元聖職者なんだからな。オブライオン王国の別の街で司祭をしていたと白状した。この国のアリア教会の関係者は全て王都に集められ、この薬と奇跡を見せられてアリア教を捨ててビョウインに賛同したそうだ。排除というより取り込んだと言っていい……全く、けしからん……だが……」


 拳を握り締め、怒りを露わにして話すセルゲイ。しかし、最後にはため息を吐いて、椅子に座り込んだ。


 怪我や病気で苦しむ者を救うことは、女神アリアの教えであり、聖職者達の使命でもある。白衣の女がやっていたこと自体は、薬の副作用を抜きにすれば、教会の人間が行っていることと同じであり、女の言葉を信じるなら、善意で人々を救っていたということだ。


「……まさか、この女を尋問して死なせたことを後悔してんのか?」


「馬鹿を言え! そんなわけないだろう! 例え薬で死ななくとも、この女は異端確定だ。確かに、薬を使って多くの人間を救ってること自体は良い行いだ。薬の副作用はともかく、それだけなら異端に値しない。教会を抜けるのも、ギリギリ異端じゃない。まあ、ワシは許せんが。だが、女神アリア様を邪神扱いするのは別だ。それは異端に値する! 神を侮辱し、悪神扱いすることは万死に値する。後悔なんぞしとらんわ! ワシが落胆しておるのは仮にも聖職者が神への信仰の必要性を理解しとらんことだ。便利な薬があるからといって、神を否定する愚かさを、こともあろうに聖職者が率先するとは……情けない」


「教会が提供する治療より、遥かに優れたものを無料で奉仕するんだ。人を救いたい心があれば、女神様より勇者を選ぶ者もでるだろう」


「そう言うことじゃない。お前はわかっとらんな。絶対に正しいと信じる神の存在は、人々にとって怪我の治療よりも重要なことなのだ。人は神という絶対的な存在を意識するからこそ善とは何か考え、悪とは何かを認識できる。決して人が定めた法などではない。我々人間は欲に染まりやすい愚かな生き物だ。心に神の存在が無くなれば、誰でも容易に欲に溺れ、善悪を考えなくなるだろう。そうなれば人は獣と同じだ。食欲や性欲のままに、他者を思いやることが希薄になり、自分本位の考えが支配する種族に成り果てる。その一線を踏みとどませるのが「神が見ている」、「神が側にいる」という心のありようなのだ。人には国家や種族を越えた、絶対者の存在が必要だ。たが、それは世俗の王や支配者、つまりは人であっては務まらない。神のような絶対不変の存在でなければならんのだ。勇者であろうがなんであろうが、人の身で神に成り代わろうなど傲慢の極み、禁忌に値する。仮にも聖職者がそのような基本的な考えを蔑ろにしている現状をワシは嘆いているのだ」


 道徳観や倫理観の考えや教育がなされていない世界では、国が法を定めたからといってそれを守らせることは容易ではない。文字の読み書きすら満足に教育されていない人間が殆どなのだから当然だ。大抵の国や自治体では、武力による強制力を以って法を守らせ、社会を成り立たたせている。しかし、どんなに優れた統治者であっても、人間である以上、寿命や限界はある。王が変われば悪法が生まれることもあるだろう。全ての人々に等しく悪行を踏みとどまらせる最後の支えは、心の中の『神様』なのだ。


 無論、神の存在があっても、全ての人間が踏みとどまれるわけではない。逆に神の名のもとに他者を虐げることも起こる。だが、多数の人間が神の存在を信じるからこそ、意識、無意識に関わらず、自分の思考や行動を己で問い、理性ある社会を保っているのだ。人間が他の生物とは一線を画すのはまさにこれがあるからだ。人々の中から『神』という存在が消えれば、人は獣と同じ、弱肉強食の原則で生きることになるだろう。


「神を蔑ろにする愚か者を排除し、神の存在を人々の中に維持するのが我々異端審問官の真の使命なのだ」


 アリア教会の暗部の長は、女神アリアを絶対不変の存在として人々の心の中に在り続けることを第一の使命として代々引き継いでいた。教会の教えを守る為ではなく、神を貶め、その存在を否定する存在を抹殺して理性ある人の世を失わせないことを理念としていた。教会はあくまでも人が作ったものであり、頂点にいる教皇でさえも、所詮は人間に過ぎないからだ。


 しかし、そのことは全ての暗部の者に周知しているわけではない。教会ではなく女神を第一にという考えは、教会権力者の解釈によっては教会の教えとは異なると疑われ、裏切り行為ともとられかねない。教会の暗部は教会全体からすれば小規模な部署に過ぎず、暗殺や諜報などの汚れ仕事を行う部署はいつ潰されてもおかしくない。理念を前面に打ち出すことは憚れた。セルゲイの言う、真の使命とは、異端審問官でも限られた者にだけ教えられるものだった。


「へえ。アンタも暗部の長直属の者だったのか? ただの田舎のオッサンだと思ってたぜ」


「ふん。ワシはお前の先任だと言っただろう。次から口の利き方に気をつけろ」


「なら、死体と部屋の掃除は任せたぜ。セルゲイのオッサン。俺は証拠品のいくつかを頂いて、もう帰るからよ。後始末はよろしく!」


「部屋の清掃はするが、死体はこのままにしておくに決まってんだろっ!……お前は後でたっぷり説教してやるからな、覚えておけ!」


「は? 何言ってんだ? どこに勇者の目があるのか分からないんだぞ?」


「ふん、だから若造なんだ。この女の変わり果てた死体を見ろ。死体の側に空の薬瓶をいくつか転がしておけば、人々に薬の危険性と疑惑を向けることができるだろうが。ワシらが綺麗に証拠を消してやる必要は無い」


 ―『浄化』―


 セルゲイは浄化魔法を唱えて床の血や汚物を綺麗にすると、薬の小瓶を数本床に捨てて、女の死体に一本を握らせた。


「長居し過ぎたな。ワシはもう行くから証拠品は自分で選んで持って行け。じゃあな」


「おい、待て! 勇者が出てきたらどうすんだ! 死体が残ってれば調査しにくるかもしれないんだぞ!」



「奴らの能力を調べるのもお前の仕事だろう? 勇者が出張って来るなら好都合だ……では、火を放った方がいいかもしれんな……ふーむ。やはり、異端者は火あぶりにしないと気が済まんから、火をつけよう」


「それが古臭ぇーんだよ! さっさと帰れ!」


(ちっ、なんでオッサンが、この街にいるのかと思ったが、俺の任務を知ってるってことは、使徒様と接触してやがるな? 食えないオッサンだぜ……)

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