第436話 水上都市ロッカ③

 レイ達の前に、商会の秘書の格好をした女性がたどたどしく紅茶を運んできた。


 街の中央区画にあるベッカー商会。その執務室に案内されたレイ一行は、応接ソファに座り、ハロルド・ベッカー商会長とその息子レオナルドと対面していた。容姿が整い、貴族のようなレオナルドに対し、ハロルドは恰幅の良い如何にも商人といった印象の男だった。しかしながら、禿げあがった頭に僅かに残った髪の色と、目元が息子とそっくりなことから一目で二人が親子関係であることが分かる。


 しかし、ハロルドもレオナルドもその顔色は良くなかった。特に、レオナルドに関しては桟橋で別れた際に見せた笑顔は消し飛んでいた。


「こ、この度は、息子の命を救って頂き、あ、有難う御座いました」


 レオナルドと共に深々と頭を下げたハロルド。その額には汗が滲んでおり、何度も唾を飲み込む仕草をしている。それに、何日も着替えていないのか、着ているシャツはヨレており、襟元には汚れが目立っていた。


 息子を心配していて身なりを整える余裕が無かったのかもしれないが、レオナルドが帰ってきて数時間は経っている。その間に着替えもしていないのは客を迎える商売人にしては些か不自然だった。



 しかし、それ以前に、レイ達はこの部屋に入ってすぐにその理由を察していた。



(ここに案内してきた従業員も挙動不審だった。俺達のことを冒険者ギルドで調べたからかと思ったがどうやら違ったようだな)


 ハロルドとレオナルドの後ろと入り口の扉には、人相の悪い男達がリディーナとイヴに下卑た視線を向けていた。とても感謝を伝える側の態度ではない。それに、男達は全員が片手剣や長剣で武装しており、着ている商人の衣服と粗野な容姿にも違和感があった。


 この世界では身を守る為に帯剣するのは珍しい事ではない。しかし、仮にも商売をする人間が、短剣以上の武器で武装することは示威行為ともとられるので普通は避ける。例え、商会の護衛の者だとしても、この場に同席するにしては人数も多く、態度も悪い。


「レイ……」

「レイ様……」


「んー、頭はアイツだな。あの一際体格のいい、頬に傷のある奴だ。それ以外はいいだろう」


「「了解」」


 次の瞬間、リディーナの無詠唱による『風刃』が二人の首を刎ね、イヴの『炎の魔眼』により、もう二人の頭が消し炭になった。


 レイは背後にある扉で出入りを塞ぐように立っていた男二人を、振り向き様に黒刀で一閃し、その首を刎ね飛ばした。


「なっ なっ なっ……」


 頬に傷のある男は、その一瞬の出来事に暫し呆然とし、慌てて腰の剣を抜こうとするが、その間に、リディーナの『風刃』が男の腕を切断していた。


「あぎゃあああああああ」


「煩い」


「おごっ」


 レイは席を立って、悲鳴を上げる男に近づきその顎を蹴り飛ばして男を黙らせる。


「「――ッ!」」


 その光景に唖然とするハロルド親子。口を半開きにしたまま声が出ず、ただ固まっていた。


「水賊共か……上手く化けてるが、こいつもだな?」


 先程紅茶を運んできた女に刀を突きつけ、ハロルドに尋ねた。


 その問いに首を激しく縦に振るハロルド。


「待っ――」


 ズッ


 女の命乞いを無視してレイは喉に黒刀を突き刺し、腕を切られた男の元へ戻る。


「コイツは生かしておいてるが、何か聞きたいことは?」


 今度は首を横に振るハロルド。


「そうか」


 ゴリッ


 レイはハロルドに水賊から聞きたいことは無いかと確認した後、昏倒させた男の首を踏んで首の骨を折り、息の根を止めた。


「衛兵につき出さなくて良かったの?」


「他の水賊の情報か? どうせ船で移動してて拠点なんてないんだから無駄だろ」


「それもそうね」


 レイとリディーナの短いやり取りの裏では、イヴが紅茶の中身を床に捨てていた。


「やはり毒だったか?」


「はい。ですが、致死性のものではなく、痺れ薬でした。秘書に化けるなら紅茶の提供の仕方ぐらいは知っておくべきでしたね」


「この親子と違って緊張してる様子も無く、上手く格好も取り繕っていたが、カップの取っ手の向きがバラバラだった。流石に雑過ぎだったな」


 この怪しい雰囲気の中で、他人に出された飲み物を素直に口にする程、レイ達は緩くない。それに、普段の飲食からレイ達は自分達が口にする物はなるべく自分達で用意し、外食の際は、出された飲食物をイヴが『鑑定』することが当たり前になっていた。これはレイが指示したわけではないのだが、イヴにとっては普段から当たり前にしていたことであり、三人にとっては当然のことになっていた。


「コイツら馬鹿なのかしら? レオナルドを連れて来たってことは、私達に拉致した水賊を倒す実力があるって分かりそうなものなのに」


「馬鹿だから水賊なんてやってんだろ。それに誘拐なんて大馬鹿がやることだ」


「「?」」


 この世界ではそうではないのだが、レイにとっては身代金目的の誘拐は、極めて成功率が低い犯罪であり、頭の悪い者しか犯さない犯罪の代名詞だった。現代の先進国では成功する確率はゼロに近く、途上国などでの組織的なものに関しては狙う相手にもよるが、人質の安否はともかく、犯人は治安部隊に掃討される運命からは逃れられない。仮に取引が成立し、一時的に大金を手にしても、残す痕跡が多過ぎて捜査の手から逃れるのは今の時代は不可能だ。



 レイ達は、部屋に入ってすぐに、男達がレオナルドを襲った水賊の一味だと看破していた。


 …


 瞬く間の討伐劇から、ようやく落ち着きを取り戻したハロルドは、再度、レイ達に頭を深く下げて感謝の言葉を伝えた。


 レオナルドの商船を襲った水賊達は、レオナルドがベッカー商会の御曹司だと分かると、身代金を要求しに一部の水賊達が商会を訪れ、ハロルドを脅迫したまま居座っていたのだ。レオナルドを連れ帰ったレイ達をハロルドに呼び出させて、事情を聞いて始末しようとしたらしいが、そんなことがレイ達に出来るはずも無く、見事返り討ちに遭ったというわけだ。


「息子が戻ってきたことには驚きましたが、水賊達は私共の商会に居座っておったのです。要求された身代金を用意する為に時間を稼いでいたことが裏目に出たと後悔しましたが、助かりました。この御恩は一生かけて返させて頂きます」


「そんな重苦しいものはいらん。俺達が保護した住人達の面倒と、馬も運べる小型船の手配だけしてくれればいい」


「そんな! そんな程度では末代までの恥で御座います!」


「なら、さっさと手配を頼む。俺達にとってはそれが一番の恩返しだ」


「は、はあ……しかし、村の住人達の保護は勿論、船もすぐにご用意できますが、ここより下流には現在出航できません。もう暫くこの街に滞在なさった方が宜しいかと……」


「出航できない? なんでだ?」


「『水竜』が現れたとの情報があり、冒険者ギルドが対応中とのことですが、未だ討伐の連絡はありません。私共の商船も出航できないままで御座います」


「「「水竜?」」」


「はい。ここより下流域で目撃情報があったとのことで、全ての船舶は下流への出航がギルドから禁止されております」


「水竜ね……どれぐらいの大きさだ?」


「詳しくはギルドに行かないとなんとも……私共も直接目撃したわけではありませんので本当に『竜』が出たのかも確信はありません」


「結構、曖昧だな」


「レイ、『竜』に関しては他の魔物より危険だし、その素材が貴重だから情報の公開には慎重なのよ」


「素材目当ての馬鹿が出るからか?」


「そんな感じね。素人が中途半端に手を出して、怒った魔物が街を狙うこともあるし、抜けた鱗なんかを拾いに行く人も後を絶たないのよ」


「ふーん……まあいいか。ハロルドって言ったか? とりあえず、船の手配を頼む」


「は、はあ……あの……一体どうなさるおつもりですか?」


「どうもこうもない。船が手に入り次第、出発するだけだ」


「へ?」


「レイ様、冒険者ギルドへは通知しないでもよろしいのですか?」


「別に必要ないだろ」


「そうね~ 討伐を頼まれても面倒だし、なんか嫌な予感もするから顔は出したくないけど、でも、一応、『竜』かどうかの確認はしておいた方がいいと思うし、私達の邪魔するなって言っておいた方がいいんじゃない? 他の冒険者が討伐依頼を受けてたら現地でモメるわよ?」


(討伐を頼まれる? 他の冒険者が邪魔?)


「他の冒険者なんて邪魔してくるなら殺……無視すりゃいい」


(ころ……?)


「なんか、私達が水賊扱いされそうね」


「ちっ、仕方ない。情報だけでも聞きにいくか」


(この人達、ちょっとヤバイのでは……)


 ハロルドは長年、商会の長を務めてきた経験から、レイ達には絶対に逆らってはいけないとすぐに判断し、助けてもらった恩義よりも恐ろしさが勝っていた。


(水賊や他の冒険者はともかく『竜』と聞いても全く動じないのは何故だ? 一体何者なのだ……?)


「(レ、レオナルド、彼らは一体――)」


 ハロルドがレオナルドに小声で話しかけるが、彼の息子は、水賊達の遺体を目にして嘔吐していた。


(我が息子ながらなんと情けない! おい、しっかりせんかっ!)


 それにレオナルドはレイに助けられたものの、レイ達の戦闘を見たことは無いし、レイ達も自分達のことはレオナルドに殆ど話していない。ハロルドが息子に尋ねても無駄だった。分かっているのは自分達の命の恩人だということと、八人の水賊達を瞬く間に殺せる者達だということだけだった。



「悪いが誰かこの街の冒険者ギルドまで案内してくれないか?」


「はいっ! 喜んでっ!」

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