第435話 水上都市ロッカ②

 ―『水上都市ロッカ 最高級宿』―


 レイ達は船を降り、保護した住民達と別れてロッカの最高級宿にやってきていた。ここは、レオナルドから指示されたベッカー商会の人間に案内してもらった、この街一番と評判の宿だ。


「ふぅ~ やっと、落ち着けるわね~」


「なんだか、まだ揺れてる感じがします……」


「私もよ。数日ゆっくりしたい気分ね。それにしても、凄い眺めね~ この寝室もまわりが全部ガラスよ? まるで外にいるみたい」


「これ程大きなガラスをこんなに使ってるのは贅沢ですね……開放的過ぎて、少し恥ずかしい気もしますが……」


「隣の部屋とは距離もあるし、微妙に建ってる方向をずらしてあるみたいだから、心配しなくても覗かれないわよ」


「そうですね」


「水の上にいるみたいで素敵な部屋ね~」


「絶景です」



「さっきまで船の上で何日も同じ景色見てたのに何言ってんだ?」


「んもう! こういうのは雰囲気なの!」


 この宿は街からせり出した桟橋に独立した水上コテージが並び、部屋の四方には大きな窓ガラスがはめられ、大河の眺めが一望できる部屋だった。まるで南国の高級リゾートのような他の街では見られない部屋にリディーナとイヴはご満悦だが、レイは気に入っていなかった。


対戦車ロケットRPGでも撃ち込まれそうな部屋だ」


「あ、あーる? って何?」


「なんでもない」


 レイは、こうしたポツンと独立した建物が好きではない。周囲に障害物が何も無く、どこからでも狙われやすい上、この部屋のような水上コテージは、水中から容易に接近されてしまうからだ。探知魔法が使えないのは街中でも同じだが、敵が水中にいる場合、視線や気配を感じることも難しい。


 移動中に気を張って警戒するのは苦ではない。しかし、宿泊する部屋となると、落ち着けるようで落ち着けないというのが嫌なのだ。


「どうしたの? そんなソワソワしちゃって。私も油断してるわけじゃないけど、『勇者』の注意は魔導列車に向いてるんでしょう?」


「『勇者』は関係ない。こういった部屋が落ち着かない性分なだけだ。普通の宿なら、入り口と窓の二方向の警戒で済むが、この部屋みたいに四方から丸見えだとどうもな……」


「丸見えって、視界に建物はないわよ?」


「川があるだろ? 誰にも見られずに全方向から接近できる」


「それが出来るのはレイぐらいだと思うけど?」


「なんでだ?」


「前に水賊を討伐した時にも思ったけど、水の中を泳いで行動する人って普通いないんだけど?」


「は?」


「レイ様、水中には危険な魚型の魔物もおりますし、泳げる人も滅多にいません」


「マジかよ」


「泳げる人がいない訳じゃないけど、あんなに長時間泳ぐ人なんていないわよ? 水の中じゃ、どんなに強い人でも碌に動けなくて襲われたら死んじゃうもの」


「長時間? あれで? ひょっとして、二人は……」


「私は泳げないわよ」

「私も泳げません」


「二人共、よく平気な顔で船に乗ってたな……」


 地球でも泳げる人間というのは実は少ない。義務教育で生徒全員が泳ぎを教わるなんて日本ぐらいだ。国の文化や地域によっても割合は変わるが、全国民の八割以上が泳げる日本人は世界でも特殊な民族だと言える。


 それと、泳げることと水に入れないことは全く違う。リディーナやイヴも、川で水浴びをしたりはするが、泳ぐことはしないということだろう。日本人の殆どが授業のプールで泳ぐことを教わるが、流れや水温の変化がないプールで慣れているため、川や海でも同じように「泳げる」と勘違いしている者が多い。


 川や海は、プールとは全く違う。当然だが流れもあるし、水深によって水温も変化する。プールと違い、泳いでいて急に水温が下がることもあるのだ。人間が泳げる適温というのは外気温と水温を合わせて五十度以上、外気温と水温との差が六度以内というのが目安で、水温が二十度を切ると人間の身体は「冷たい」と感じ、十度を切ると、筋肉が強張り、十分と保たずに身体を動かせなくなる。泳ぎが上手いと言われる人間も碌に泳げずに溺死するのは主にこれが原因だ。


 その上、この世界には魔物の存在がある。自由に動けない水中では、水生生物の餌食になり易く、地球でも野生動物により泳ぐことが危険な水域や海域はいくらでもある。この世界では尚の事、川や海で泳ぐ文化など生まれるはずも無かった。



「レイは水の中が怖くないの?」


「そりゃ怖いさ。自分の力量と自然の仕組みを理解してれば大分気が楽になるってだけだ。後は慣れと訓練だな。……魔物の存在は考えてなかった」


「呆れた。レイなら大丈夫そうだけど、あんまり無茶しないでよね」


「ああ」


(地球なら、地域の危険生物の分布なんかは網羅されてるから準備や対策ができるが、この世界じゃどんな生き物がいるのかわからないんだった。ブランがいると魔物と遭遇しないから少し油断してたな……)


 レイはデッキに寝そべるブランを見て、最近魔物に対する危機感が薄れていることを反省する。


「デッキも広いし、少し体を動かすか……」


 …


 数時間後。


 コンコンッ


「失礼します。お客様、ベッカー商会の方がお見えです」


 ノック音の後に、扉の外から宿の従業員の声を掛けてきた。


「この宿に案内してくれた人が言ってた件ね」


「ああ、断ったのに面倒な」


「レイ様、相手からすれば、そう言われて何もしないということは出来ないと思います。しかも相手は商人ですから……」


「そりゃ分かってるけどな」


 レイの常識からすると、御礼は言いに来るものであって、言われに行くものではない。身分の違いがあるこの世界では、例えどんな理由でも身分が高い者が低い者の元へ出向くということはしない。ダニエ枢機卿や、ラーク王のレイへの対応が異例であり、レイ達のことを知らない、この街の顔役であるベッカー商会の者が呼びつけるのは、この世界ではおかしいことではなかった。


 レイとしては気分が悪いというより、単純に面倒臭いだけだ。親しくも無い人間に、御礼をしたいと言われて接待されるのは、基本的に庶民であるレイにとっては肩が凝るだけで、嬉しくもなんともない。


「船の件もあるし、子供達のこともちゃんと面倒を見てくれる人達なのかの確認もするって言ってたじゃない」


「まあな。あのレオナルド坊っちゃんや作業していた従業員を見る限りは、クソみたいな商会じゃなさそうだったが、一応確認しないととは思ってるよ」



 その後、レイ達は商会の者の案内に従って、ベッカー商会へと向かった。

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