第366話 家族

 深夜。


 レイは客室のベッドで静かに本を読んでいた。ベッド横にある灯りの魔導具で手元を照らし、古びた本のページを一枚一枚丁寧に捲っていく。その隣にはリディーナの姿もある。


「レイ、あのお坊ちゃんに何したの?」


「ちょっとな……」


「ちょっとって、全然別人になっちゃってたわよ?」


「まあな」


 数時間前、クリスは別人のようになって皆の前に現れた。頭髪は抜け落ち、穏やかな表情で誰の指示にも大人しく従い、一言も文句を言うことも無く従順な様子は、以前の軽薄そうな貴族のお坊ちゃんとは真逆だった。


「まさか洗脳でもしたの?」


「いや、ただの催眠術だ。自分を真面目な平民、ローズ家に従順な使用人と思い込んでるだけだ。半年ぐらいで元に戻る」


「催眠術? 洗脳とは違うの?」


「催眠術ってのは、簡単に言えば与えた暗示を刷り込んで行動を誘導するだけだ。あの小僧を、貴族じゃない、騎士でもない、ただの平民の使用人って暗示を掛けてそう思い込ませてある。とは言え、絶対に掛かる訳じゃないし、本人が心底やりたくなかったら催眠には掛からない。まあ、その辺は心を折ってやればある程度コントロールできるけどな。魔力を使って催眠を掛けるなんて初めてだったから、あいつでちょっと実験した。だが、後遺症が残るようなことはしてないぞ?」


「今一、洗脳との違いが分からないんだけど……」


「俺も詳しく説明するのは難しいな。まあ、洗脳と違って、催眠の場合は、行動を強制することはできない。人を殺せって暗示を掛けてもやりたくなければ拒否できるんだ」


「うーん、それだとあのお坊ちゃんがなんであんなになったか説明つかないんじゃないの?」


「あいつも家族は大切だったってことだ。ローズ家の人間に尽くすよう、そういった暗示を掛けたが、心底嫌だったら掛かってない。まあ、掛からなかった時は始末しようと思ったけどな。平民や使用人の暗示はついでだ」


「どうやったの?」


「脳に魔銀ミスリル製の極細の針を刺して、魔力を流して暗示を掛けた。昔覚えた技術と魔法の応用だな。俺が与えた暗示を魔力を使って脳に直接送ったんだ。普通の催眠術はそんなに長く続かないし、自力でも解けるからな」


「昔覚えた技術って?」


「人間の脳ってのは、思考するだけの臓器じゃない。嬉しいとか悲しいといった感情も脳が司ってる。昔の人間はどうにかしてその感情ってヤツを制御しようとしたんだ。軍事的には恐怖を克服するためだけどな。俺が修めた新宮流にもいくつかそのやり方が残ってる。まあ、大概が禄でもない結果になるから実用的じゃないんだが、脳のどの部分がどういう機能を持つかはそれで覚えたんだ」


「なんだかわからないけど、いつもと違って手間を掛けるのね~ ケネスとアンジェリカに同情しちゃったの?」


「別に? 実験したかっただけだ」


「んもう、素直じゃないわね~ あれだけ頭を下げられたんだからいいじゃない」


 リディーナは、レイが自分の実父の病を治したことを思い出していた。レイが本当に冷徹なだけの殺人者だったらリディーナもここまでレイに惚れていない。しかし、リディーナは以前のレイ、鈴木隆だった頃のレイを知らない。以前のレイだったなら、情になど流されず、クリスをあっさり殺していただろう。この世界に来て、リディーナやイヴの存在が間違いなくレイを変えていた。


 ケネスとアンジェリカの自分の身を顧みない家族への想いに、レイは無意識に自分の行動を変えていた。リディーナに指摘されるまで気付かない程に……。


「……」


「でも、あの髪が無くなっちゃったのはどうして? ツルツルだったけど……」


「実験に邪魔だった。剃るのが面倒だったから、雷魔法で脱毛した。少しミスってやり過ぎたから一生、生えてこないかもしれんが……まあいいだろ」


「い、一生?」


「多分な。ついでに両手の親指は腱を切ってあるから剣も握れなくしてあるし、声帯を切除してあるから話もできん。それに、間違いを起こさないようにアッチも機能しないようにしておいた。催眠が解けたとしても何もできん」


「あっち?」


「男のアレだ」


「あー…… ひょっとして、初めからクレアの世話係にするつもりだった?」


「いや、思いついたのは途中からだ。イヴは俺達と今後も一緒だし、いつまでもアンジェリカが付きっきりというわけにはいかんだろ? あいつもこれから大変だろうしな。あの小僧にはクレアを守るよう盾になれとも暗示を掛けてあるし、小僧に世話させる方がまわりの人間は楽だろ」


「ちょっとクレアが可哀そうな気もするけど……それに、アンジェリカが大変になるのは、レイの所為でしょ? 騎士団の再建をアンジェリカに指示したのはレイじゃない」


「腐敗した騎士団の再建は教会の所為だ。そもそも俺の仕事じゃない。それに、騎士の面倒はラークのロダスを呼んでシゴかせろとちゃんと助言もしたし、暗部にも手伝わせるぞ?」


「レイがそう提案したって言えば、喜んで協力しそうよね。あのロダスって団長さん、レイを崇拝してたし、王様も嫌とは言わないわね。でも、他国の騎士を呼んで鍛えるなんて普通じゃないわよ?」


「そうか? 俺がいた世界じゃ、同盟関係があれば、他国の軍が合同で訓練するなんて珍しくないし、外の人間を呼んで指導してもらうのも普通だぞ?」


「へー そうなんだ。変わってるわね~ 騎士なんて気位が高いから絶対そんなの受け入れられないと思うけど……」


「そんな無駄なモンは最初に折ってやればいい。それで逃げ出す奴ならいらんしな」


「アンジェリカは騎士団の再建で、ケネスは国の再建、枢機卿の二人は教会の不正公表、ダニエ枢機卿と異端審問官達はその全部を手伝うなんて大変そうね~ レイは何もしないの?」


「当たり前だ。俺には勇者を始末するって仕事があるからな」


「そうだったわね。そう言えば、私が始末したのは『勇者』だったの?」


「田中真也か。捕らえた本田宗次はそう言ってたみたいだな。念の為、明日、遺灰をイヴに『鑑定』してもらって確認するが、まあ二人共勇者で間違いないだろう」


「でも、逃げちゃったんでしょう?」


「吉岡莉奈あたりの能力持ちが助けたんだろう。何かしらの方法で本田の位置を把握してたんだろうな。空間を瞬時に移動できるのに俺達への攻撃に使わないのは、恐らく移動には制約があるんだ。でなけりゃ、とっくに襲われててもおかしくないからな」


「でも、油断はできない、でしょ?」


「ああ」



 二人は暫しの沈黙の後、話題を変えるようにリディーナがレイが見ていた本について尋ねる。


「それ、さっきから何読んでるの?」


「これか? アリア教の古い経典だ」


 リディーナはレイに近づき、本を覗き込む。


「何これ? 古代語とは違うみたいだけど……」


「五百年ぐらい前の言語らしい。ローズ家が古くから保管していた女神の言葉を記した原本の一つだ。古代語よりは新しいが、これも今では読める者は殆どいないみたいだな」


「ホント、よく読めるわよね~」


「俺が勉強して覚えたわけじゃないから自慢できないけどな」


「でも、そんなに色んな言葉が分かったら混乱しそうだわ」


「まあ、慣れだな。他の言葉に翻訳しろと言われればちょっと考え込むぐらいだ。リディーナだってエルフ語と大陸共通語を使うだろ? 一々、それぞれの言葉を翻訳して考えないだろ。エルフ語で話してる時はエルフ語で考えるし、共通語なら共通語。それと同じだ」


「言われてみればそうね」


「一通り読んだが、原本には聖女の存在や亜人の表記は見当たらない。大分、抽象的な言い回しだから、読み手の解釈次第でどうとでも受け取れそうではあるけどな。良く言えば、時代に合わせて柔軟に対応できると言えるが、悪く言えば、権力者の都合のいいように解釈されて利用される文章だ」


「女神様もはっきり伝えてくれればそんなことにならないのにね」


「仕方ないだろうけどな。文字の読み書きもできない人間に言葉を正確に伝えるのは難しい。それに、神の様な絶対的な存在が細かく指示を出せば、自由な思考も失われる。……例えば、人を殺すなって神が言ったらどうなると思う?」


「悪人がいても殺しちゃダメなら、神を信じる人がいなくなっちゃうわね。……みんな殺されて」


「フッ そうかもしれないな。悪人は殺していいが、善人はダメ。そう言われても、では、悪人はどういう人間のことだ? ってな具合にどんどんキリがなくなる。全てを細かく規定すれば、人は何も出来なくなるだろうな」


「そう考えると、神様も大変ね~」


「そうだな」



「……」


「……そろそろ寝るか」


 レイがそう言うと、リディーナの視線が古書からレイの顔に移る。



「…………ん」


 二人の唇が引き合うように自然と重なる。身体を密着させ、強く抱きしめ合う。



 コンコンッ


 「「……!?」」


 二人がお互いの服に手を掛けたところで寝室の扉がノックされた。不覚にも気配に気づかなかった、いや、さっき言ったそばから警戒を怠っていたことにレイとリディーナは軽い自己嫌悪に陥る。


 それでも、すぐに警戒態勢に入らなかったのは扉の向こうにいる者が誰か、気配ですぐに分かったからだ。


「入っていいぞ、イヴ」


「失礼します。夜分遅くに申し訳ありません」


「どうしたの?」


「その……」


「どうした?」


「あの……」


「「?」」


「今夜は……その……一人……でして……」


 レイとリディーナはお互い顔を見合わせる。


「申し訳ありません……寝付けなくて……その……」


 今まで見たことも無い、イヴのモジモジした様子に何が言いたいか察した二人。


「フッ 久しぶりに一緒に寝るか」


「そうね~ メルギド以来かしら?」


「あ、ありが……ありがとう……ございます……」


「ほら、遠慮しないでこっちいらっしゃい」


 顔を真っ赤にしたイヴは、リディーナに手を引かれてベッドに寝かされる。


 イヴを真ん中にして、レイとリディーナが左右に挟む形で、川の字になって三人は横になった。


(そう言えば、こう見えて、イヴはまだ十四歳だったな……)


(うっかりしてたわ。聖女だ何だって言われて普段通りのわけないじゃない。気付いてあげられなくてごめんなさい)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る