第365話 愚か者

「坊ちゃま……」


「エンリコ?」


 実家であるローズ家の屋敷に戻ってきたクリスは、執事であるエンリコの様子に戸惑う。エンリコだけではない、クリスを見る屋敷の使用人全てが憐れみや蔑みの視線をクリスに向けていたのだ。


 どのような状況であろうと、ローズ家の人間に対して家人が向けていい態度ではない。それに、自分の家にも関わらず、屋敷の前で待たされ中に入れようとしないのはどういうことなのか? クリスは戸惑いながらも、屋敷の中から戻ってきたエンリコに尋ねる。


「一体どういうことなんだ? 何故、僕がここで待たされなくてはならないんだ!」


「クリス坊ちゃま、ケネス様は――」


「よい、この愚か者には私から説明する」



「父上っ! それにアンジー姉さん……」


 現れたケネスとアンジェリカを目にしてクリスは安堵の顔を見せる。しかし、すぐに二人の暗い表情に気付き、再度戸惑う。


「二人共、どうしてそんな顔をして――」


「この大馬鹿者っ!」


 ケネスがクリスの言葉を遮り、一喝する。


「お前はもうローズ家の人間では無い。今すぐこの家から出ていけ。そして二度とこの国に姿を見せるな」


 ケネスは悲痛な面持ちで諭すようにクリスに絶縁を宣言する。


「え? な、何言ってるんだよ……父上? 姉さん!」


「クリス……」


 アンジェリカも同じように悲しい表情でクリスを見る。何も言わないのはケネスに同意しているからだ。


「分からんのか? お前は『女神の使徒』であるレイ様を裏切ったのだ。私とアンジェリカがあれだけ厳命したにも関わらず、屋敷を出てレイ様を騎士団に密告した」


「密告だなんて……聖女様を匿うなんておかしいじゃないか。騎士団に報告したのは当たり前だよ。父上と姉さんは、あの子供と亜人の女に騙されてるんだよ?」


「では聞くが、あの方達が何か対価を要求してきたか? 教会が認めた『聖騎士』とやらが悪しき者だった、今の教会は信用ならない、その話で私を騙して一体何の見返りがあるというのだ? お前は、聖女様と一緒にいたアンジェリカの言葉も信じず、一体何を信じておるのだ?」


「うっ そ、それは……」


「神殿騎士団か? 騎士団は女神様の神託を無視して騎士団の派兵を行い、その結果として不死者の襲来を招いた。それに、お前のいた第一大隊はマルセル枢機卿と共に、民と信徒を捨て、神聖国の資産を横領してこの国から逃亡しようとしたのだぞ? 目の前の聖女様と実の姉を信じず、騎士団を選んだのだ。お前が帰る場所はここには無い」


「い、いや、それはっ! ぼ、僕はそれを良しとせず、こうして皆を助けに戻ってきたんじゃないか!」


「だとしても、第一大隊に所属していた者は、マルセル枢機卿とどこまで関与していたかを暗部の異端審問官によって取り調べが行われる。その意味は分かるな?」


「そんな……」


 異端審問官による取り調べ。それは教会本堂にいる者なら誰もが知ることだ。いくら真実を告白したとしても、繰り返される尋問と拷問。暗部に送られて、五体満足で戻ってきた者などいない。


「僕は何も知らないっ! 関係ないっ!」



「それを判断するのはお前じゃない」


 三人のやり取りを裏で聞いていたレイが姿を表した。


「だ、誰だ?」


 クリスはレイの大人の姿に困惑する。薄々、自分を負かした子供のような気がするが、そんなことはあるはずが無いとその考えを振り払う。


「別に誰だっていい。それより、折角、父親と姉が、自分の命と引き換えにお前の助命を懇願してきたんだ。ここで処罰を受けるか、剣と名前を捨てて身一つで逃げるかさっさと選んだらどうだ?」


「なんだと……?」


 クリスはケネスとアンジェリカを見るが、二人は黙っている。否定しないということは、男の発言が事実だからだ。


「ケネスとアンジェリカに感謝するんだな。お前を助ける為に、二人は人目を憚らず、床に頭を擦りつけてまで頼んだんだ。服は勘弁してやるから、剣と鎧を脱いでさっさと失せろ」


「ふざけるな……ふざけるな! ふざけるなぁぁぁあああ!」


 クリスは何を血迷ったのか、剣を抜いてレイに襲い掛かった。


「僕はっ!」


 ブンッ


「ローズ家の次男だっ!」


 ブンッ


「神殿騎士団! 第一大隊! エリートだっ!」


 ブンッ


「名を捨てる? ふざけるなっ! この僕が平民になんかなるわけないだろっ! 何処の誰だがわからん下賤な者が誰に口を聞いて――」


 パキンッ


 レイが剣の腹に掌底を放ち、剣を折った。大振りで素人丸出しのクリスの剣を素手で折るのは、身体強化をせずともレイには簡単なことだ。唖然としたクリスに、レイは、正面から打ち下ろすように掌底を顎に打ち、クリスの意識を断った。


「殺した方が簡単だし、手間も掛からないが今回はお前等の顔を立ててやる」


「申し訳ありません。お約束どおり、私の首を……」


「そんな意味の無いことはしなくていい。アンジェリカ、お前もだ。その代わり、コイツは俺が預かる」


「レイ殿、弟をどうするつもりなんだ?」


「顔を立ててやると言ったろ? 殺しはしない」


「「……」」



(……まあ、本人が死にたいと言うなら殺してやるけどな)


 …

 ……

 ………


「……?」


「目が覚めたか?」


 クリスが目を覚ますと、見慣れた風景がそこにあった。屋敷の鍛錬場だ。クリスは四肢を椅子に縛られ、鍛錬場の中央に置かれていた。そして目の前にあるのは簡易的なテーブルと、その上に置かれた無数の極細の針の山だ。


「な、なんだっ! 何をする気だっ!」


「ここは人払いをしてあるし、誰も来ないように言ってある。いくら大声を上げても誰も助けには来ない。言いたいことがあるなら最後に聞いてやるぞ?」


「お前は誰だっ! 父上は? 姉さんはどこだっ!」


「最後の言葉がそれでいいのか?」


「最後? 僕を、こ、殺すのか?」


「殺しはしない。お前の父親と姉が自分の命と引き換えにした頼みだからな」


 その言葉に一瞬顔が弛緩するクリス。


「……で?」


「え?」


「最後の言葉だよ。何も無いのか?」


「だから最後って何なんだよ! 殺さないんだろ! 早くこれを解けよ!」


「お前を殺しはしないが、そのおしゃべりな口は塞がなくちゃならないだろうが。舌を斬り落とすか、喉を斬られるか選んでいいぞ。おすすめは喉だ」


「なっ!」


「自分の状況をまだ理解してないようだな。俺とクレアを騎士団に密告した事自体は別に大したことじゃない。屋敷の全ての人間が黙ってるとも思ってなかったからな。だが、ケネスやアンジェリカが責任を感じていたのはどこの部分か分かってるのか?」


「何言ってるんだ? 知る訳ないだろ!」


「あれだけ自分は貴族だ騎士だの言ってたのに、自分の立場と、その立場の人間が知り得る情報の重要性を理解してないとはな。支配者層の貴族なんだろ? なら、自分の迂闊な発言で人が死ぬことが想像できないのか? 軍人である騎士が機密を漏らせば、友軍の騎士が死ぬこともあるんだ。単なる使用人の証言なら騎士団は動かないが、貴族の子弟の発言なら話は違う。自分が発した言葉や行動の影響を自覚していない奴は、金持ちや権力者ほどタチが悪い。貴族に生まれただけ、剣を握れるだけでは貴族にも騎士にもなれないんだよ」


「そ、そんなこと平民に言われたく――」


「それに、さっき、自分が殺されないと言われて安心したな? 俺が態々、ケネスとアンジェリカの名を出し、二人がお前を助ける為に自分の命を差し出したと言ったにも関わらず、二人のことより自分を優先した。貴族として、騎士として、なにより家族に対して恥ずかしいとは思わないのか? お前を逃がせば、二人は暗部送りなんだぞ? それでもお前の命だけは救いたかったんだ。何故それをすぐに理解出来ない?」


「ううぅ……」


「ほら、最後に何か言え」


 レイは腰から魔金オリハルコン製の短剣を抜いて、早く言えとクリスを促す。


「や、やだ、死にたくないっ!」


「はぁ……せめて、家族への言葉を聞ければプランを変更するつもりだったが、性根を叩き直す必要があるな……」


 レイは短剣をクリスの喉に刺し、声帯を切除する。すかさず回復魔法で傷を塞ぐと、クリスは口をパクパクするも声が出せなくなった。


 続いて、レイはテーブルの上にあった極細針を掴む。


「殺しはしない。拘束して閉じ込めておくこともだ。これからは人の為、家族の為に役に立てるような人間にしてやる」



「……その前に、髪が邪魔だな」

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