第353話 降臨

 ―『そこから先は我が説明しよう』―



 幼い少女の声が洞窟内に響いた。


「誰だ!」


 レイは周囲に視線を巡らすが、声の発生源は特定できない。マネーベルの大聖堂での状況と同じ四方から聞こえてくる。



 ―『我が名はエピオン。アリア様の忠実なしもべである』― 



「しもべ? 前に聞いたザリオンって奴とは立場が違うようだな」


 ―『裏切者と同列にするな。我はアリア様に仕える最高位の天使であるぞ』―


「天使? 奴は俺の前世の名を知っていた。奴もアリア側の天使じゃないのか?」


 ―『裏切者だと言った。奴は創造主であるアリア様を裏切り、愚かにも人間の勇者に降った。最早、天使などではない。残された時間が少ない故、手短に説明する』―


「方や女神はもういないだの、女神の忠実なるしもべだの、お前らの言うことを信用して聞けると思うのか? 天使だかなんだか知らんが、時間が無いならさっさと女神と代われ」


 ―『相変わらず不遜な男だ……だが、アリア様は今は動けない』―


「動けない?」


 ―『其方を地上に降ろした後、我々はザリオンの裏切りに遭った。神力を消耗したアリア様は隙を突かれ、今は動けない状態だ』―


「神というわりには随分情けないんじゃないか?」


 ―『異界で死亡した者の魂を輪廻から回収し、その魂に整合する新たな肉体を無から創造するのは簡単なことではないのだぞ? 其方が思いどおりに肉体を操り、前世以上の力を発揮できるのは、神のみぞ起こせる奇跡なのだ。その御業に必要な神力は、単なる異界転移などとは桁が違う。その上、アリア様は千年前より、ある理由により常に膨大な神力を消費してこの世界を守っているのだ。愚弄は許さんぞ』―


「恩着せがましいぞ。依頼したのはそっちだぞ? それに、女神が疲れてるなら服ぐらいお前が用意しておけよ。しもべとかいうなら配下の気配りが足りない所為で、俺は女神に不満だらけなんだよ。碌な情報も無く、無一文の裸で放り出されて素直に神に感謝すると思ってんのか? 神だからというだけで盲信するほど、日本人は信心深くないんだ」


 ―『くっ、減らず口を……』―


「それに、たった一年足らずの寿命で感謝しろは流石に無理があるぞ?」


「「えっ?」」


 レイの発言にリディーナとイヴが驚きの声を上げる。寿命が短いかもとは聞かされていた二人だったが、たった一年とは思っていなかったのだ。


 ―『一年? 何のことだ?』―


「とぼけるな。大層な身体らしいが、いくつも封印してあっただろう? それを解かなきゃ一年で死ぬとは聞いてない」


 ―『……なるほど。本来あり得ない封印の解除と天使化、それによる消耗は、お前の所為だな? 始龍よ』―


『……』


 クヅリは話を振られるも沈黙で返す。


 ―『魂と肉体を慣らしもせずに封印を無理に解いたのか……放っておけば自然に融合して天使として永劫の存在になれたのだぞ? それに、封印を解く為に龍の因子を組み込んだな? それでは純粋な天使にはなれない。愚かなことを……』―


「クヅリ、どういうことか詳しく説明しろ」


 レイは手に持った黒刀、クヅリに問い質す。


『わっちが言ったのは人間としての寿命でありんす。あのままなにもしなければ、レイは天使になっていたでありんすぇ』


 ―『それの何が不満だ? 仕事が済めば天使として永遠にアリア様の側でお仕えできるのだぞ?』―


「そりゃ不満しかないだろ。これはクヅリに感謝だな。やはり天使ってのは人間とは価値観が異なるようだ。永遠に女神の隣で「ははーっ」て頭下げ続けるなんて御免だぞ?」


『もっと感謝するでありんす』


「最初からそう説明すればいいんだ。お前はいつも言葉が足りない」


『人間の価値観はよくわからないでありんすから。普通は天使になるのを喜ぶでありんしょう? そうなったらわっちが困るでありんす』


(コイツ、結果オーライだが、自分本位で情報の出し惜しみしてやがるな……)


「オマエ性格悪いぞ? ……まあいい、俺のことは後だ。まずは聖女についてだ。まだ女神が俺を騙していた疑惑は晴れていない。説明しろ。といっても、エピオンと言ったか? お前のことを信用するかは分からんがな」


 ―『最高位の天使である我と話すだけでも人間にとっては代えがたい天祐だというのに……仕方ない』―


 その言葉を最後に、洞窟内に光が溢れた。


 やがて光が凝縮し、二対の白い翼を生やした金髪の少女が姿を現し、ゆっくりと舞い降りてきた。その姿は神々しく、紛れもない『天使』そのものだった。


「「「……天使様」」」


 ダニエをはじめ、異端審問官達が一斉に地面にひれ伏した。


 姿を顕現させ、地に舞い降りたエピオンは、リディーナに抱きしめられたイヴの元へ向かい、そっと手を頬に伸ばす。


『其方が生まれた時からアリア様はずっと見ておられた。辛き境遇により、己を悪魔の子、アリア様の声を悪魔の声と疑心に思い苦しんでいたことも全て。神が直接手を差し伸べられないことをどうか許してほしい……』


 イヴに対して謝罪の言葉を口にしたエピオンは、イヴの頬に手をあてて慈しみの表情を見せる。


「わ、私は……」


『其方は紛れもなく、女神アリア様の愛を受け取れる神の子。悪魔の子などではない』



「今更、何言ってんのよ? この子がどれくらい辛かったか知ってたんなら、なんで助けなかったのよ? アナタ、天使なんでしょ? それに神様ならなんとでもできたでしょ?」


 エピオンとイヴの様子を見ていたリディーナが物申す。


『全てに救いの手を差し伸べることは出来ぬ。人だけではない。生きとし生ける者全てに対して、我々はそれをしてはならないのだ』


 その言葉に地球の歴史を知るレイだけは納得してしまう。


 生き物は他の生き物の命を奪って生きている以上、誰かを救うことは誰かの生きる糧を奪うことになる。虐待はそうではないから救えるだろうと思えるかもしれないが、特定の者だけを救う行為は偽善に他ならない。誰かを救えば他の者も救わなければ神は自ら差別を生むことになるのだ。神が全てを救うことになれば、それはもはや誰もが生きているとは言えない世界になるだろう。神が真に平等であるなら人間だけを優遇することや、特定の誰かを救うことなどできるはずがない。


 しかし……


 ドゴッ


『ぐはぁ』


 レイの蹴りがエピオンの横っ腹を打ち抜く。


『ごはっ はぁ 神霊体である我を蹴る……だと? ……そうか、貴様も天使の因子を持っていたのだった……それより貴様、一体何の真似だ?』


「神側の理屈としては理解できるし否定はしないが、それと俺がどう思うかは別だ。俺の大事な仲間が困ってるのを、見て見ぬふりしてたことにムカついただけだ。今更イヴに謝っても遅いんだよ。……イヴ、気が済むまでコイツ殴っていいぞ?」


「無理ですぅ!」


 顔を青褪めたイヴが悲痛な叫びを上げる。その隣ではリディーナが代わりに殴りたそうな顔をしていた。


「……まあいい。おい、さっさと続きを話せ」


『くっ、なんて男だ……』


「文句は俺を選んだ女神に言え」


『うぐっ……』


 女神を出されて文句が言えなくなるエピオンは、話題を逸らすように先程のレイの問いに答えはじめた。


『せ、聖女についてだったな。アリア様のお声は、アリア様の存在を強く認識できる者なら受け取ることができる。だが、人の社会で育ち身についた価値観でそれを認識することは不可能だ』


「それはそうだろう。見たことも無いものを認識なんてできっこない。教会にある女神像なんてアリアと似ても似つかないしな」


『それが生まれながらに認識できる者が『聖女』なのだ。しかし、人間はアリア様の声、その聖なる波動を受け取る技術を生み出した』


「教会が行っていることか」


『そうだ。生まれながらにその力を有している者はこちらも把握しているが、勝手に受け取っている者に関しては我らは放置していた』


「黙認か。さっきの話のように、おいそれと介入できない、教会が悪用してないなら神の声を勝手に傍受してようが、ちゃんと伝えていればどうでもよかったってことか。だが、平時ならそれでもよかったが、今みたいな状況になるなら放っておいたのは拙かったな。聖女以外に傍受できるなら、俺に有益な情報を垂れ流しにはできないからな」


『そのとおりだ。アリア様がお前に聖女は二人だと言ったのは、勇者側にも神託が漏れていることを危惧したからだ。勇者のもつ異能の中には我々天使の能力も確認された為、神託を受け取れる可能性があった』


「なら、帝国の聖女か、イヴに直接神託を出せばよかったんじゃないのか?」


『特定の人間に神託を出すにはアリア様の『聖女の証』が必要なのだ。それが無ければ直接のやりとりはできないようになっている。それを所有している聖女のいる帝国はオブライオンとは距離が離れ過ぎていて、神託を出してもお前に伝えるのは数か月かかると予想された。イヴはそれを所有しておらず、直接伝えることは叶わなかった』


「『聖女の証』?」


「これです」


 ダニエが立ち上がり、懐から純魔銀ピュアミスリル淡紅色金剛石ピンクダイヤモンドがはめ込まれたロザリオを差し出す。クレアが持っていた物と同じ形だが、ダイアモンドの輝きがゆらゆらと揺らめいており、別物だとすぐに分かった。


「クレアが身に付けていたものと同じネックレスだな」


「あれは精巧につくられた偽物です。本物のこれは遥か昔、教会にあった本物のとすり替えた物なのです」


「人為的に聖女を作り出したからか?」


「はい。亜人の聖女を認められない教会は、偽の聖女を生み出しました。それを良しとしない先人達が本物を偽物とすり替え、秘匿してきたのです」


「イヴが聖女だと知ってたならさっさと渡しておけば話が早かったと言いたいが、イヴを聖女と祭り上げるのを躊躇したってとこか……」


「申し訳ありません」


 一連の話にイライラしたレイがついにキレる。


「そもそも、女神が俺にきちんと情報を出してれば聖女に頼る必要もなかったんだ。なんだあの地図は? 自分がどこにいるかもわからん衛星写真が何の役に立つと思ってんだ。魔法の知識だって肝心の部分が無くて意味が無かったんだぞ。何が「すぐに使えると思います」だ。本当に勇者を殺して欲しいのか甚だ疑問だぞ?」


『くっ、口が過ぎるぞ! アリア様は――』


「それに、お前だ、ダニエ! イヴが大事なら何でオブライオンに行かせた? 下手すれば勇者に殺されてたぞ?」


「そ、それは、当時はそこまで状況が深刻だとは認識できなく、勇者に関しても情報が曖昧で、鑑定の魔眼を持つイヴしか事の信憑性を確かめることが難し――」


「言い訳はいい。お前も後で説教だ。どいつもこいつも話を聞かずに言葉が足りないから後手に回ってんだ! 慎重なのは分かるが、情報の出し惜しみせず、暗殺に必要な物を実行者の俺からちゃんと聞き取りして用意してればもっとスムーズに終わってたんだ! お前等分かってんのか?」


『……』

「……」


 エピオンとダニエが揃って黙りこくる。


「ちょっ、レ――」


 落ち着いてと言いかけたリディーナの声を遮り、なおもレイは止まらない。


「いいか? 最低でも地図に俺の現在地と勇者の位置をマーキングしてれば、とっくに始末できてたんだ! いくら強力な能力持ってたって石を投げりゃ殺せる程度なんだぞ? 二百年前の勇者には銃や刀を用意した癖に、なんで俺はすっ裸なんだよ? いくら神力とやらを消耗してたからって、下手すりゃ森で迷って野垂れ死んでたぞ? 遊んでんのか?」


『……確かに至らぬことが多々あったのは認めよう。しかし、こちらにも全てを明かせぬ事情がある……事は……そう……た、単純……デ……ハ』


「おい、どうした?」


 エピオンの様子が変わる。言葉が途切れ途切れになり、小刻みに痙攣し出した。体の端から灰色に染まり、何かに浸食されるように体の色が変化していった。


『ど、どうやら……限界……のよう……だ。我も……マタ……汚染……さ……レ』


「汚染? 何言ってんだ? おい!」


『ノ、ノコル……チカラ……ズベテ……オマエニ……ありあサマを……シンジろ』


 エピオンから強烈な光が伸び、一直線にレイにぶつかった。

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