第352話 聖女
「「聖域?」」
「ここは、かつて女神アリア様が降臨されたと言われる場所だ」
異端審問官の一人が、リディーナとイヴにそう説明する。
「教会の地下にそんな場所があるなんて……」
「そんな場所をなんで隠してるわけ?」
「二百年前、当時の『勇者』によって封印されたからだ。理由は知らされていない」
((勇者に? なんで聖域を封印なんて……))
…
暫く洞窟のような通路を歩くと、一行は広大な空間に出た。外壁からの光量が更に増し、眩しいほどだ。それに、地下であるにも関わらず空気が澄んでおり、神秘的な光景と雰囲気が漂っていた。
その空間の中央に、ダニエ枢機卿に黒刀を突きつけているレイの姿があった。
「レイッ!」
「レイ様っ!」
「二人共、怪我は無いか?」
「平気よ」
「はい」
「コイツが二人を連れてくると言ったもんでな。人質にして俺に言うことを聞かせようって魂胆かと思ったが……」
「レイがいるなんて聞いて無かったわ。イヴに用があったみたいだけど、危害を加えるつもりならまとめて始末しようと思ってついてきたのよ」
「イヴに?」
レイには不死者に街が襲われている緊急時にイヴを呼んだ理由が分からなかった。自分に対しての人質かとも思ったが、それなら二人が拘束もされずに自由に行動できるはずがない。
「二人には傷一つつけないよう厳命しました」
「……」
「ダニエ様……」
イヴがダニエを見て呟く。常に感情を表に出さず、何を考えているか分からなかったが、イヴにとっては親にも近い存在だった。
「イヴ……。まさか『女神の使徒』様と出会い、行動を共にしていたとはな」
「も、申し訳ありません。言いつけを守らず、この国に戻ってきてしまいました」
「よい。……所詮は人の身に過ぎない私には、神の定めた運命には逆らえんということか……」
「?」
「運命? 何のことを言っている?」
レイは以前から暗部のイヴに対する処遇に疑問を持っていた。『鑑定の魔眼』を持ち、組織の長にとって有用な存在を戦闘力が下がったというだけで手放したこと。暗殺者として教育し教会の裏を知っている人間を処分せずに放逐したことなど、裏の組織としては到底考えられない甘い対応だ。
「できれば、全てを忘れて欲しかった。トリスタンに預けたのも教会に関わらせまいとしたことだったが、これも因果か……」
「どういうことだと聞いている。トリスタンだと? 奴もお前の名前を口にしていたな。どういう関係だ? イヴに何の関係がある?」
ダニエを問い詰めるレイの後ろでは、イヴが胸を押さえて呼吸を乱していた。ダニエの様子から、聞いてはいけない何か、知ってはいけないような話の予感がして動悸が激しくなる。
「イヴは『聖女』です。それを隠す為に、私はその子を引き取り育てました。このことはトリスタンは勿論、誰も知りません。トリスタンは二百年前の勇者を直接知る人物として接点があるだけです。私は勇者の末裔ですので」
「「「ッ!!!」」」
その衝撃的な発言に一同が驚く中、リディーナは細剣を振り上げ、ダニエに向けた。
「育てた? ふざけたこと言わないで! 勇者の末裔だかなんだか知らないけど、この子の背中の傷はなんなの? あんな酷い仕打ちをしておいて、イヴが聖女? よくもそんなことが言えるわねっ!」
「仕方がなかったのです。イヴの背中には『聖女』の印である『聖痕』がありました。それを教会の誰にも知られる訳にはいかなかった……聖痕を焼き、目立たぬよう執拗に傷付けたのは、万が一にもそれが――」
ズッ
「うぐっ」
レイが黒刀でダニエの太ももを突き刺す。
「嘘を吐くな。クレアの体を治療したが『聖痕』どころかシミすら無かったぞ? それにそんなことで子供に傷が残るほどの虐待を加えただと?」
痛みを耐えながら、駆け寄ろうとした異端審問官達を手で制すと、ダニエは言葉を続けた。
「イ、イヴの命と亜人を守る為です。私の立場では他に方法はありませんでした。あの時、私が引き取らなければイヴの存在はいずれ教会の知るところになっていたでしょう。……それに、聖女クレアは『聖女』ではありません。彼女は教会に作られた存在です。聖痕の存在は、二百年前より教会の記録からその一切が抹消され、今それを知る者は殆どおりません。あの娘に痕がないのは当然です」
「「なっ!」」
イヴが胸を押さえてその場で膝をつく。呼吸が激しくなり、顔を青くしながら、レイとリディーナに悲痛な視線を向けた。
「も、申し、わ、わけ、ありま、せん……わ、私、は……はぁ はぁ はぁ」
過呼吸に陥り、謝罪の言葉を口にするイヴ。
その様子に、イヴはクレアが聖女ではないと以前から知っていたことをレイとリディーナは察した。
「おい、落ち着け」
「ちょっ、イヴ?」
レイは黒刀を引き抜き、リディーナと共にイヴに駆け寄りその身体を支えるが、イヴの動悸は治まらず、目の焦点も合っていなかった。イヴはクレアが本物の聖女ではないと今まで二人に黙っていたこと、そして今、ダニエから自分が聖女であると言われ、自己嫌悪と罪悪感、衝撃の事実で平静を保てなかった。
「大丈夫。大丈夫だから……」
リディーナがイヴを強く抱きしめる。
「混血とはいえ、亜人であるイヴが聖女であると教会に知られれば、その子が殺されるのは勿論、亜人の存在を教会は排除しにかかるでしょう。古くから、聖女は人族からしか選ばれない、そのことが当然の認識である教会とアリア教の信者達は、自らの権威と選民思想を変えることなどできるはずがないからです」
傷口を押さえながら痛みに耐えるダニエにレイは苛立ちながらも、その見立ては正しいとも思った。人の価値観を変えるのは難しい。それも、今まで信じてきたことが、新たな真実を突き付けられて覆されるのだ。その真実が現在の自分達の優位を脅かす事実であれば、到底素直に受け入れられるものでは無い。既得権益を守る為には、真実を抹消し、それを知る人間を抹殺して闇に葬るのが人間だ。
葬る側の人間だったレイは、そのことをよく知っていた。
「もし、イヴの存在が公になれば、人は亜人に対してどのような行動を起こすか容易に予想できます。亜人を同じ人間とは思わず、虐げてきた過去の悲惨な時代に逆戻りになるのです。それは絶対に防がなくてはなりませんでした。……私に出来ることは、その存在を隠し、生きる力を与えて教会から遠ざけることだけでした」
その理屈は理解できるレイとリディーナだったが、だからと言ってイヴへの仕打ちを容認できるものでもなかった。
「先程、レイ様に申した私達の罪とは、聖女が亜人からも選ばれる事実を隠してきたことです。その事実は遥か昔から存在していましたが、時の教会は都度、亜人の聖女を闇に葬り、偽りの聖女を生み出してきました。私達教会は、大陸中にいる何も知らないアリア教徒は勿論、女神様をも冒涜してきたのです」
「生み出した? それに神託はどうなんだ? 少なくとも俺に関する神託は女神しか知りようのない事実だったはずだ。クレアが聖女でないならそれをお前等が知るすべはないだろうが。辻褄が合わんぞ」
「神託は聖女のみが受け取れるものではないのです。そもそも神託とは、女神アリア様の存在を強く認識できる者であれば、女神様が発する御言葉を受け取ることが可能なのです。それが可能なのは本来、神に選ばれた者だけのはずでしたが、教会は薬物と洗脳により聖女を人為的に生み出す方法を確立し、神託を受け取ることを可能にしてきました」
「なんとも胸糞悪い話だ。マルセルって枢機卿が麻薬と子供を調達してたのはその為か? マネーベルでクレアが行方不明になり、新しい聖女を仕立てようとしたのか。教皇もそれを知ってるんだな?」
「仰るとおりです」
「そいつらは後でまとめて始末するからいいとして、それでも辻褄は合わない。俺がこの世界に来る直前、女神は神託を受け取れる人間は二人だと言った。オブライオンで殺された聖女は本物の様な言い方だった。イヴが本当に聖女だとしても、お前等教会が神託を受けていたのなら女神の発言はおかしい。帝国にいる聖女、クレア、そしてイヴ。俺がこの世界に来る時点で、神託を受け取ることが出来た人間が三人いたことになる」
―『そこから先は我が説明しよう』―
どこからともなく、洞窟内に幼い少女の声が響き渡った。
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