第335話 ローズ家①
神聖国セントアリアの中央区画には、教会本堂を中心に教会の各施設や国の行政を司る機関の建物が並び、その一角には法服貴族の住宅街も存在する。その中で一際大きい建物の一つが『ローズ家』の屋敷だ。
ローズ家は、教会の運営とは別に、国の行政を行う各部門に優秀な人材を代々輩出している名家である。この街以外に領地を持たない神聖国セントアリアの貴族は皆、建国時から聖職者とは別にこの国の運営を担う文官や武官の末裔達だ。
そのローズ家の屋敷に、一台の馬車が近づいていた。
「本当に大丈夫なの?」
御者席に座ってブランの手綱を握っていたリディーナが、隣にいるアンジェリカに尋ねる。中型の馬車の中には、イヴとクレア、ハンク、ミケル、バルメと顔色の悪いバッツが押し込まれるようにして詰められている。バッツは意識が戻ってはいるものの、まだ一人では歩けない状態だ。
宿泊していた宿からこの区画に入る際、国境の検問所のような場所を通ったが、入国の際と同様、特に問題は起こらなかった。城門の時とは違い、ここでは手慣れた神殿騎士が警備をしており、偽装を解いたエルフのリディーナを見ても表情を変えずに淡々と対応していた。リディーナはラーク王国から提供された正式な書類を提示し、ラーク王国のモリソン伯爵の身分を証明すると、馬車の中を確認することもなく通された。
「大丈夫だ。私の実家だぞ? 門にいる衛兵も私の家の者だ。頼むから斬るなよ?」
「あのね……」
冒険者のような格好をしたアンジェリカは、顔の特徴を誤魔化す化粧を落としながらリディーナに自重を促す。しかし、リディーナからしてみれば、いくらなんでも自衛以外で人を殺すことなどしないし、知り合いの家ということも当然承知だ。アンジェリカの発言に心外といった顔をする。
ローズ家の門の前で馬車を停止させると、門番が怪訝な顔で馬車を見てきた。客が訪れる予定も無く、先触れもせずに他国の貴族らしき者が現れれば警戒するのは当然だ。
不審に思っている門番に、御者席からフードを捲ったアンジェリカが声を掛ける。
「久しいな、パトリック」
「ッ! あ、アンジェリカ……お嬢様?」
パトリックと呼ばれた門番は、大きく目を見開き、後退りながら急いで屋敷に駆けていってしまった。
「あら、驚いて行っちゃったわよ?」
「まあ、私が生きているとは思っていなかったのだろう。それに、実家に帰ってくるのは数年ぶりだ。私がクレア様の護衛騎士に任命されてからは殆ど帰っていなかったからな。家の者に知らせにいったのだろう。心配ない、このまま暫し待とう」
「ホント、貴族って面倒よね」
…
ローズ家屋敷、応接室。
「お嬢様、ご無事で何よりで御座います」
「心配掛けたようだな、エンリコ。父上は?」
「間もなくいらっしゃいます、もう暫くお待ち下さい」
「うむ」
エンリコと呼ばれた老執事は、深々と頭を下げて退出していった。
メイドが用意した紅茶を飲みながら一同が暫く待っていると、エンリコと一人の青年を連れて、壮年の男が部屋に入ってきた。
ケネス・ローズ。神聖国セントアリアの四大貴族に数えられるローズ家の当主だ。アンジェリカと同じ赤毛の髪を後ろで束ね、厳格そうな顔立ちと眉間の深い皺が印象的だ。
「アンジェリカ……生きていたのか……」
ケネスは再会を喜ぶでも無く、厳しい表情でアンジェリカを見つめる。リディーナにはそれが不思議に映ったが、イヴはその理由を理解していた。
「父上、アンジー姉さんが生きてたんだよ? なんでそんな顔をしてるのさ?」
口を開いたのはケネスと共に入ってきた青年だ。アンジェリカに似たキリッとして容姿が整った顔立ちに赤毛。ケネスよりも身長が高く、服の上からでも鍛えていることがわかる立派な体格をしていた。
「クリス、お前には分からんのか? なら口を挟むな。聖女様を守れず、おめおめと帰ってきた者など我が娘ではない。アンジェリカ、お前が教会本堂では無く、まずこの屋敷に来た理由は何だ? 護衛騎士としてクレア様を守れなかった責から逃げるつもりか?」
怒りの表情のケネスの問いには答えず、アンジェリカは隣に座るクレアのフードに手を伸ばした。
「「「なっ!」」」
クレアの顔が露になり、部屋にいたケネス達、ローズ家の者達が一様に驚く。
「「「クレア様っ!」」」
「父上、まずは落ち着いて私の話を聞いて頂きたい」
アンジェリカは今までのことをケネスに全て説明した。
…
……
………
「あの『聖騎士レイ』が偽者で、神託にあった『悪しき勇者』だっただと? その上、聖女クレア様をはじめ、多くの神殿騎士達を洗脳していた? その偽者が『悪魔』に変貌し、本物の『女神の使徒』がそれを討ってクレア様を救っただと? ……信じられん」
「全て事実です、父上」
「まあ、信じられないのも無理ないわね~」
「貴方は?」
「その『女神の使徒』であるレイと一緒に冒険者をしているリディーナよ。そこのイヴもね。クレアとアンジェリカを護衛してここまで来たわ。あ、後ろの地味な子達は私達に協力してくれた冒険者とメルギドの職人さん」
「「地味な……子?」」
「私は職人じゃないんですけど……」
リディーナからすれば、中年のハンク達は遥かに年下だ。ドワーフのバルメに至っては
「リディーナ殿は、エルフ国『エタリシオン』の第三王女殿下でもあります。リディーナ殿、父上はこの国の内務大臣だ。隠したい気持ちは理解しているが、この場で身分を隠すのはお互いの為にならない。……申し訳ない」
「まあ、仕方ないわね」
政治的なことに疎いリディーナも、相手の身分が高ければ高いほど、後でバレた時に相手の立場を悪くすることをラーク王国で学んだ。テスラー宰相がプルプルしながらリディーナに頭を下げて暴言を謝罪した時にはリディーナも多少は申し訳なく思ってしまった。
「……」
ケネスはアンジェリカの発言に沈黙で返す。エルフ国『エタリシオン』は、どの国とも親交が無く、国交も結んでいない。目の前のエルフが王女だとしてもそれが本当であるかの証明は誰にも出来ないのだ。それに、この屋敷に訪れた際に乗ってきたラーク王国の馬車に関しても、ケネスは疑問に思っていた。
「お前が乗ってきた馬車にはラーク王国の紋章があったが、あれの説明は?」
「ラーク王国、ローレン・アリエル・ラーク王から提供されたものです。ラーク王はレイ殿に国を挙げて協力することを約束しております」
「あ、それに関しては『メルギド』の七家代表も満場一致で同じです」
バルメが横から手を上げて会話に割り込む。彼女は国を代表している訳ではないが、ドワーフであるバルメの発言には説得力があった。なぜなら、ドワーフ達はエルフ族と違い、人間の国に多くの職人が滞在しており、国交もある。後で事実か確かめることが可能であり、嘘ならすぐに分かるからだ。
「ラーク王国にエタリシオン、それにメルギドが……」
「あっ、でも最初にレイを認めたのは『ジルトロ共和国』よ? それに冒険者ギルドの本部もレイの力を認めて『S認定』してきたし」
「ッ!」
ここまで言われれば、ケネスも信じざるを得なかった。その全てが嘘である可能性よりも、真実が一つだけでもあれば無視できないからだ。
「それが事実であれば、今までの発言は謝罪しよう。……アンジェリカ、済まなかった。よく、クレア様を守り、生きていてくれた」
「父上……」
(へ~ 自分の非を認めて謝罪できるとか、貴族らしくないわね……)
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