第246話 接触

 夜。


 轟々と音を立てて燃え盛る炎を、レイは上空から見ていた。宿の窓から見えた細い黒煙は、今では近隣に広がり大きくなっていた。激しく燃えている建物を中心に、四~五軒の建物から火の手が上がっている。


 火災に関して、その消火方法は地球とこの世界も殆ど同じだ。周囲の建物を壊し、延焼を防ぐ。消火よりも延焼を防ぐことに重点を置くのは、上下水道が未発達で、消火栓など都市における災害対策の設備がない都市ではどちらの世界も同じだった。近隣の住民が桶に水を入れ、しきりに火に水を撒いているが、燃え盛る炎が消える気配は無い。


 街の衛兵が野次馬をかき分け、周囲の建物を壊している。衛兵に連れて来られた水魔法を使える魔術師が火災現場に水球を放つも、人数が足りておらず、散発的な放水では火の勢いを止められない程、延焼が広がっていた。


 燃焼の三要素。火が燃え続けるには三つの要素が必要だ。可燃物、酸素、それと温度だ。三つの要素のうち、一つでも断つことができれば、それ以上の燃焼を防ぎ、消火することが出来る。可燃物を断ち切る除去消火法、酸素を断ち切る窒息消火法、温度を下げる冷却消火法があり、これらを燃焼の三要素に対する消火の三要素という。


 可燃物を除去する除去消火法は、今まさに衛兵達が行ってる破壊行為だ。これ以上燃え広がらないように、周囲の可燃物である木造の建物を取り壊し、延焼を防ぐ行為だ。自分の家は燃えてないのに何故壊すのかと、衛兵に詰め寄る住民を無視して、衛兵達は総出で建物を壊している。


 すでに周囲にまで燃え広がっている状況から、密閉して酸素の供給を止めるような窒素消火法も使えない。


 温度を下げて消火する冷却消火法は、水を掛ける行為がその代表的な方法だが、魔術師による水球や、住民が持ち寄る水を掛けるも、火災の規模に対して、放水量が圧倒的に足りていない。


 室内で発生した火災の場合、炎が天井を回った時点で、消火器があろうと個人での消化は非常に困難だ。消火栓などの放水設備が無い以上、周囲の可燃物を除去して延焼を食い止めるしか手立ては無い。


 (あれじゃ、消火は無理だな……)


 レイは、自分の姿や行動が目立たない夜ということもあり、消火に協力することに決めた。このまま延焼が広がれば、今後の自分達の活動にも影響があると思ったからだ。災害が広がれば、普段開いている店が閉まっていたり、災害の対処で衛兵や住民の行動も変化する。土地勘の無い街で、イレギュラーな人の動きは、人を探す上で障害になるのだ。


 レイは消火の為に水球を生み出す。それと同時に、火災現場の人々を注視する。


 この世界には、調理などに使う火が出る魔導具はあるものの、一般に普及している物は着火する程度の性能しかなく、薪中心の生活様式だ。それに、魔導具に込められた魔力自体は可燃性という訳ではない。強風が吹いている訳でもなく、乾燥している気候でもない。可燃性ガスは勿論、石炭や石油系燃料を一切使用しないこの世界で、これ程急激に火事が大きくなることは自然なことではなかった。


 魔法、もしくは魔導具によって意図的に引き起こした火事であることは明らかで、レイは不審な人物がいないか、周囲の人間を観察していた。


 「放火犯が野放しじゃ、俺達の邪魔だからな……」


 火災現場の周囲には、火傷を負った人々や、煙を吸い意識のない者が衛兵や住民によって運び出されていた。顔に布が掛けられた遺体も路地に寝かされており、中に取り残された家族がいるのだろうか、燃えている建物に向かって叫んでいる者や、呆然として座り込む者、燃えている建物に入ろうとして、周りに止められている者もいる。



 怪我人を集め、馬車に搬送している衛兵達の動きに、一人逆行して火災現場から遠ざかる人影がいた。怪我人なのか、子供の様な小柄な人間を運んでいるようだが、向かっている先は治療院のある方向ではない。まるで逃げるようにコソコソと人目を気にしているような男の挙動に、レイは不審に思う。


 「この角度からじゃ、顔もよく分からんな」


 レイは、大きな水球をいくつも火災現場に放ち、ある程度の火を消し止め、これ以上の延焼が起こらないように周囲を水浸しにすると、光学迷彩を施して、不審な人間を追った。


 …


 「はぁー はぁー はぁー 一体何キロあんだよ、この爺さん……」


 ラルフは額に汗をかき、息を乱しながら路地を歩いていた。ゴルブの尋常じゃない体重に弱音を吐くも、街の住民に見られないよう、周囲の状況に気を配りながら足を進める。だが、上空から透明になって接近してくる存在までは、気づくことは出来なかった。



 「どこかで見た顔だな?」


 「――ッ!」

 

 突然の声に、ラルフは全身の毛が逆立つ。街灯の無い夜間の路地裏とは言え、人が近づいて来れば分かる。例え、相手が気配を消していたとしても、看破できる自信がラルフにはあった。だが、その自信はたった今崩れ去った。


 動揺し、その場で立ち止まったラルフに、再度声が掛けられる。


 「たしか、バッツとかいう冒険者パーティーの一人じゃないか? マネーベルの冒険者が、こんなところで何してる? 背負ってるのは怪我人か? 火を着けたのはお前か?」


 「ち、ちがっ ……って、俺のことを知っている? 誰だっ!」


 ラルフは身体を動かすことなく、目線だけで周囲を観察するも、誰の姿も発見できなかった。不可思議な状況に困惑しながらも、ラルフは静かに腰の裏に装備した短剣に手を伸ばす。


 「マネーベルの宿をお前らに警備して貰っていた者だ。それで分かるか? お前が何をしたかは知らんが、抵抗は無駄だ。やめとけ」


 「なっ! ひょっとして、レイの旦那ですか? はぁー 助かった……」


 「?」


 ラルフはその場で両膝を着き、安堵の息を漏らす。レイへの伝言を伝える任務もあったラルフは、色んな意味でレイから接触してきた状況に幸運を感じた。


 「ラルフと言います。バッツさんの冒険者パーティー『ホークアイ』のメンバーです。この街には依頼を受けて来ましたが、あの火事は俺じゃありません。旦那には色々伝えなきゃならないことがあります。ですが、その前にこの爺さんを治療させて下さい。あの火事の犯人を知る証人です。俺の宿に回復薬ポーションがあるんで、それを取りに行かせて下さい。かなりの重傷なんで、助かるかは分かりませんが……」


 レイは、光学迷彩は解除せず、ラルフが背負った人物を見る。子供だと思っていたが、ドワーフだったようだ。


 「ドワーフ? まさかとは思うが、ゴルブとか言う本部の「S等級」か?」


 「そうです。この街の支部にいるらしい『勇者』を確かめる為に来たらしいですが、俺はその成り行きを見届けるよう、マリガンの旦那から依頼を受けてました。爺さんを監視してたんですが、突然火事に巻き込まれてこの有様です」


 「「S等級」の冒険者が火事で大怪我? 随分マヌケな話に聞こえるな。もっと詳しく話せ」


 「俺は建物の外にいましたから詳しくは分かりません。ただ、建物から火の手が上がってすぐに、若い男女の三人が笑いながら出てきたのは確認してます。一人は冒険者風でしたが、酒場の従業員らしき二人は、血の付いた剣や魔術師の杖を持ってました。俺は、建物が火事になってもゴルブの爺さんが出て来なかったので、中に入って倒れていた爺さんを発見して連れ出しました。ゴルブの爺さんは胸と両腕に深手を負っていたので、火事の前にはその三人にやられていたのは間違いないでしょう」


 「……」


 よく見ると、ラルフの衣服は所々焼け焦げており、火事の現場でこの爺さんを助けたのは本当のようだ。だが、他の「S等級」の実力を知らないレイは、仮にも本部の「S等級」冒険者が、若い冒険者にやられたというのが腑に落ちない。騙し討ちか、毒でも盛られたか、それとも単に油断してやられたか、いずれにせよ犯人らしき若い三人が笑いながら出てきた状況と結びつかなかった。


 (笑いながらってことは、殆ど一方的だったんだろう。この爺さんが弱いってことも考えられるが、その三人、『勇者』じゃないだろうな?)


 「とりあえず、その爺さんから話を聞くか……」


 レイは、ラルフの背後から光学迷彩を解除して、姿を現した。

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