第200話 妖精憑依

 「いでよ! 死告の妖精バンシー!」


 エリクの前に、黒のローブを纏った青白い顔の女が現れる。その姿は全体が黒い霧のようなもので覆われ、輪郭がはっきりしない。エリクは、無表情なそれに向かって再度叫ぶ。



 ―『妖精憑依フェアリーポゼッション』―



 黒いローブの女が、エリクに吸い込まれるようにして、その姿がエリクに重なった。


 赤眼だったエリクの瞳が真っ白に変わり、身体に黒い靄を纏ったエリク。



 『フフフ……。失われたエルフの英知。妖精を使役し、顕現させることができるハイエルフ、いや、神に選ばれた者のみ御することのできる秘術だ! 刮目せよ! 数百年の時を経て、蘇った古の秘術だ! その目にすることを幸運に思えっ!』


 不気味な姿と声に変わったエリクが声高々に叫ぶ。その様子を城壁の兵士達が驚愕の目で凝視する。エリクの側にいた兵士長は恐れおののき、後退る。


 

 『どれほど『墨焔の魔弓すみほむらのまきゅう』に強力な呪詛があろうと、妖精に寿命は無い! 『死告の妖精バンシー』と一体化した私に副作用など通じぬが道理! 吸血鬼などに身を堕とした愚か者共! この私がエルフの面汚しである貴様らに罰を与えてくれる!』


 エリクが魔弓を引くと、黒い炎の矢が出現する。エリクは吸血鬼の群れに向かって躊躇なくそれを放つ。


 放たれた矢の直線上にいた吸血鬼十数体が、瞬時に消し炭になり崩れ去る。


 『フハハハッ! 素晴らしいぃ! 素晴らしい力だっ! 今私は『伝説の勇者』を越えたっ! 勇者が使えぬ魔弓を、私が使いこなしているのだ! 逃げるなよ? 吸血鬼共! 全て殲滅してくれるわっ!』


  エリクは、続けて魔弓を引き、黒炎の矢を放ち続けた。黒炎の矢は、周囲を燃やすことなく、触れた物体を瞬時に消し炭まで炭化させる。射線上の物は全て炭にになり、吸血鬼と共に、城壁周囲の森も次々と灰になっていく。


 

 「も、森が……」


 兵士長の呟きに、同じ思いの兵士達も揃って目の前の光景を呆然と見つめていた。


 …

 ……

 ………


 「離せーーー!」


 エリク公の屋敷から、一人の子供が二人の兵士に両腕を抱えられ、連れ出されていた。


 「こらこら、暴れるんじゃない!」

 「いい子だから、お父さんとお母さんの所へ帰ろうなー」


 子供相手ということもあり、兵士達の対応は侵入者としてではなく、悪戯をした子供を諭すような物言いだ。


 「お姉ちゃぁぁぁあああん!」


 次の瞬間、二人の兵士が音も無く前のめりに倒れる。その背後から、レイとイヴが静かに姿を現した。


 「シャル、偉いぞ。よく頑張ったな」


 「お兄ちゃぁぁぁあああん!」


 シャルの涙腺が崩壊し、泣きながらレイに抱き着く。その頭をレイは優しく撫で、すぐ隣のイヴにシャルを預けた。


 「シャル、イヴと一緒にここで待っていろ。すぐにリディーナを連れて戻る」


 「ぐすっ、うん。わがっだ……」


 レイはイヴに目配せすると、自身に光学迷彩を掛けて、屋敷の敷地へ飛び去って行った。


 イヴは泣きじゃくるシャルを優しく抱きしめ、レイと同じように頭を撫でる。


 「頑張りましたね。シャル」



 「イヴねえちゃん……」


 …


 透明になって屋敷の敷地内に入ったレイは、真っ直ぐ屋敷を目指す。リディーナがどこに囚われているかは分からないが、屋敷内の警備や使用人を片っ端から締め上げるつもりだ。


 (エリクとか言う奴に聞くのが一番早いが、この構造だと、態々そいつを探すより、リディーナを探した方が早いな……)


 王宮のいかにも西洋の城だった構造に比べ、この屋敷は同じ構造が三階建てに積み上がった箱型の建物だ。屋敷の主人の部屋を探すより、直接リディーナを探す方が早いとレイは判断した。


 ガシャン


 手近な窓を強引に足で踏み抜き、大きな音を立ててガラスを割ると、レイはその窓と反対側へ向かって歩き出す。警備の兵士や使用人がガラスの割れた音を聞きつけ、現れたのを確認して、レイは人が出てきた扉から屋敷内へ入れ違いで入っていった。


 この街の殆どの建物が石造りの建物だが、例外なく外壁の半分以上が蔓のような草木に覆われていた。室内についても至る所に植物が植えられ、まるで植物園だ。ソフィ達を置いてきた集落も、巨木をくり抜いて作られた家々が立ち並び、ファンタジーな雰囲気を感じたレイだったが、今はそれに浸っている余裕は無い。


 廊下の先で使用人らしい人影を見つけたレイは、周囲を確認し、その男に近づく。光学迷彩の魔法は、透明になるだけで、存在が消えているわけでは無い。レイは相手と自分の歩調と呼吸を同調させることで、音と気配を最大限殺し、男に接近する。


 レイは、近づいた男の背後から腕を首に回し、軽く絞める。残った空いた手で相手の腰ベルトを掴み、身体を密着させる。人間は、首全体を絞められると、咄嗟に大声を出せなくなり、身体を密着されることで、急な反撃も出来なくなる。


 「ッ!」


 「リディーナ・エル・エタリシオンはどこだ?」


 「な、何者……カッ」


 「どこだ?」


 「し、知ら……」


 「言わなければ、このままお前を殺して、次にエリクに聞くぞ?」


 「……」


 普通は、この様な状況を想定して普段から訓練してなければ、自身の命と主人の命、その他の情報を咄嗟に天秤には掛けられない。三択の内、自然に優先順位の低い情報を話してしまう。身動きを封じられたこの状況で反抗出来るのは、腕に自信のある者か、考え無しのチンピラだけだ。


 「……部……屋まで……は……わか……」


 レイは、直後に男の頸動脈を絞めて失神させ、無人の部屋へ放り込む。


 「ハズレか……。だが、この建物で間違いないみたいだな」 


 …

 ……

 ………


 「どうか、手当てをさせて下さい!」


 「ならん! 言い付けを忘れたか!」


 「し、しかし、エリオット様。……あのままでは、姫様があまりにも……」


 「自業自得だ! まったく……」


 「あ、あんなにお腹を……姫様がお子を産めなくなったらどうするのですか?」


 「ッ! ……あ、あれぐらいでは大丈夫だ! たかが数度、腹を殴られたぐらいでダメになる訳が無いであろう! それにだ、人間と交わった女など、王族ではない!  くっ、坊ちゃま……なんとおいたわしい。あのような軽薄な女を妻に娶らねばならんとは……」


 「そ、そんなっ!」


 屋敷の廊下で、メイドと老執事が言い争っている。単に手当ての進言をしているメイドに対し、老執事の発言は、偏見の塊のような物言いだったが、そのやり取りを、レイに聞かれていたのを二人は知る由も無かった。

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