第八話:勇者と女神
前回のあらすじ!
殺人、強盗、強姦に窃盗……この一ヶ月は本当にひどい。
それに給料も下がって警察隊も士気が落ちている。先日も収賄で同期が逮捕された。
領主様がたは何をやっているんだ。連合国民なんか放っておけばいいのに。
――ある警察官の日記 帝国暦末ごろ。
まずは夫婦、兄弟、姉妹。なるべく住民に怪しまれないように、親族を住ませる。
ゼノンというのが少しは役に立つのなら、こちらで回収してみせる。
アレクシアに対する切り札として扱えるかもしれない。
――エリザベス=ランカスターの日記 帝国暦99年ごろ?
――帝国暦99年1月中旬、ランカスター王都、王立競技場
連合国での火山の噴火は全く関係ないようで、ランカスターはいつもどおりの晴れやかな冬。
ラングビも再開して一月半。年末休みを挟み、週末ごとに行われる本拠地五連戦を全勝で終えたトゥリア・レオタリアは、次は近所の中央大平野で試合を行う……のだが。
「当分アルバート抜きで戦えって!? 冗談きついですよ!?」
「仕方ないでしょう。エリザベスからの命令なのですから」
エリザベスから郵便を受け取ったニケが、試合を終えたトゥリア・レオタリアの控室に顔を出す。手紙を渡されたジョンソンは頭を抱えて思わず叫んだ。
「どうしたジョンソン……ニケ様! どうしてこんなところへ!」
その様子を見た風呂上がりのアルバート。ニケの姿を見て彼も小さく叫び、彼女から手紙を受け取った。
『大至急ペルサキスへ。軍の任務ですのでアンナと、以下の者を連れて来なさい』の記述の後に、十人ほどの士官の名前がつらつらと並ぶ。
それを読んで困ったような顔をするアルバートにニケは微笑んだ。
「アルバート、私の訓練の成果を実戦で発揮する機会ですから。行ってきなさい」
「わかりましたが……チームが……」
逡巡するアルバートの胸をニケが小突く。
「経営者代理として試合を観ていますが、貴方がいないくらい丁度いいハンデでしょうに。負けるようでしたら私が鍛え直しますから」
その発言を聞いたジョンソン他周囲のチームメイトたちが怯えた顔をした。
軍に参加している選手たちはニケの訓練の過酷さをよく知っていて、それを聞いていた農民の選手たちも息を呑んで恐怖を顔に出す。
「……ん? 訓練に怯えているようではまだまだ鍛えがいがありますね。楽しくなるまでやりましょうか」
楽しそうに口角を上げるニケと対象的に絶望的な顔をする選手たち。
アルバート不在の間、地獄の合宿が繰り広げられることになる。
――アルバートの家
「腐るものはもう食べておかないと。夕食を作りますから、あなたは私の分の荷造りもお願いします」
「あぁ。一通り詰め込んどくよ」
家に帰って遠征の準備をしているアルバートに、遅れて帰ってきたアンナが声を掛ける。
夫婦揃ってペルサキス。あくまで今回は軍の任務だが、新婚旅行で訪れた彼の地を思い出して、二人の楽しい記憶が蘇り、自然と笑顔になった。
「コールブランドも持ってけって書いてあるけど、これ何かに使えるのか?」
先月大惨事を起こしたため、大事にしまっておいたコールブランドを恐る恐る握って確かめる。
何の力も感じないそれと、壁の修復跡を見比べて、アルバートは首を傾げた。
「それ危ないんですから、ちゃんとしまっておいて下さいね」
「わかってるよアンナ。エリザベス様がもってこいってさ。それとこいつの鞘が城にあるはずって書いてあるし、王城に行って聞いてくるか……」
夕食までには戻ってきて下さいね。とアンナに言われ、素直にうなずいたアルバートは王城へ走る。
ニケに聞いてみればいいのか、それともエリザベスの家来に聞いてみればいいのか……よくわからなかったが、彼はとりあえず向かってみることにした。
――ランカスター王城
「えっ、買われた!?」
王城の応接室で話を聞いたアルバートが驚きの声を上げた。
なんでも倉庫に入っていた美術品の、値段が付きそうなものは殆どペルサキス家に買われてもう残っていないとのこと。
「ペルサキス家にかなり借金してましたからねぇ……タダで持って行かれなかっただけ優しいんですよ本当は……」
「なるほどな……」
ランカスター家の一族の者、今ではニケの家臣になっている男が、ため息交じりでそう話す。
アルバートは仕方ないと納得して、どうしようかと腕を組む。
「ニケ様をお呼びしますから、直接交渉していただいて……本当に申し訳ないのですが、貴方のラングビの賞金で買い戻すとか?」
「いやあれはもうほとんど残っていなくてな……」
ドラグーンの部品購入に充てた昨年の賞金。それに結婚指輪にアンナと暮らす新居も買った。
次に賞金が入るのはシーズンが終わってから。それまでは軍の給料でちまちまやりくりをしている彼は困ったように項垂れる。
「ま、まぁとりあえず……ニケ様呼んできますね……」
歯切れ悪く話す彼と入れ替わりで入ってきたニケ。
老婆は大きな木箱をアルバートに手渡した。
「鞘の美術品でしょう。今朝アレクシアから返品されてきましたよ。売れなかったからランカスター家に返す、と」
「本当ですか!?」
手渡された箱を開ける。
アルバートは朱色に塗られた鞘に刻まれた文字をよく見ようとしてそっと触れると、指先が熱くなるのを感じた。
「これは……!?」
目を丸くして思わず蓋を閉じたアルバートに、ニケが怪訝な顔をする。
「どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもありません! エリザベス様にもってこいと言われまして」
はぁ……と首を傾げたニケは興味がなさそうに、それでは。と部屋を出る。
一人残されたアルバートは、改めて鞘をまじまじと見つめていた。
「コールブランドの鞘……帰って確かめてみるか」
何れにせよ剣と合わせてみないと何もわからないか。とデタラメに書かれて見える文字を見たアルバートは諦めた様子で、王城を出ていった。
――アルバートの家
「あら、おかえりなさい。それが鞘です?」
「らしいんだが……」
家に帰ってコールブランドと鞘を合わせてみても、特に何も起こらない。
首をかしげる彼の前に、アンナはよそったシチューを置いた。
残っていた渡り鳥の肉と根野菜を鍋に放り込んで、酢漬けの野菜を添えたもの。残していける保存食以外をとりあえず放り込んだそれを、二人はのんびりと食べながら軽く酒を飲む。
「今日はちゃんと寝ますよ。明日出るんですから」
「ん、そうだな。最近寝不足だったし」
毎日のように明け方まで夫婦の営みをしていては。
とまぁすっかりお盛んな新婚夫婦は、食べ終わって荷造りの確認をすると床につく。
「……それ、枕元に置いておくと邪魔じゃないですか?」
「いや、忘れたらマズイし……」
呆れた顔をするアンナ。
コールブランドの鞘と剣を枕元に置いて、アルバートはそう答えてしばらく、いびきをかき始めた。
――
「んん……ここは……?」
アルバートが目を覚ますと、見慣れた王城の玉座の間。
しかしいつもの古城ではなく、まるで新品のように磨かれた大理石の床に、真紅の絨毯。
石壁は汚れ一つなく、壁の燭台は全て磨き上げられた銀に煌めく。
見渡してみれば立派な青銅の甲冑を着た騎士たちが絨毯の横に大勢並び、アルバートの起床を待っていた。
「アーサー様! ようやく起きられましたか! 玉座で眠られるとは、さぞやお疲れだったのでしょう。無理もありません……今度の北伐こそあの憎き……女神アストライアなどと名乗る魔女から全てを奪うのですから」
「……うっかり寝てしまうとは……すまない。皆、準備は万端のようだな」
どこかで聞いたような名前で呼ばれたアルバートの口が勝手に返事をして、身体が勝手に立ち上がる。
剣を掲げた騎士たちが一様に彼の方を真剣な眼差しで見つめると、彼は大声で檄を飛ばした。
「諸君! よくここまで私に……いや、今更かしこまったことはいいか!」
おほん、と咳払いをして、彼は叫んだ。
「俺と一緒に、神に逆らった大馬鹿野郎ども! 既にあの腐った神は包囲した! 最後のひと押しだ! 死ぬまで殺せ! 死んでも殺せ! 奴ら神から人の手に、この世界を取り戻せ!」
自分の口から流れるように出た言葉に、アルバートは驚き、ここがいつで、どこであるかを理解した。
(ここははるか昔の王城なんだ……しかも俺は初代ランカスター王の中にいる……)
「よっしゃいつもの行くぞ! お前ら叫べ!!」
騎士たちが揃って、鬨の声をあげる。
アーサーは腰に提げた剣を抜くと高く掲げ、彼らの声を噛みしめるように歯を食いしばり、左手にその鞘を握った。
「エェェクスゥゥ!! カリバァァァァァァァァァ!!!!」
彼の叫びに呼応したように、鞘の表面に刻まれた模様が黄金色に輝き、刃のない剣の柄から虹色の光が溢れ出す。
玉座の間の天井をぶち抜き、虹の柱が立ち上がった。
(この虹の刃が! コールブランドの本当の姿!)
神話の一部分を見たアルバートが、アーサーが感じていたであろう高揚感に身を震わせていると、急に場面が切り替わった。
――
雪が降る田舎街の広場で、アルバートは立っていた。
周囲には大勢の屍が転がり、積もった雪も真っ赤に染まる。
この地で行われた激戦を思わせる広場の中央。傷だらけの甲冑を着た騎士たちと共に処刑台を囲む彼らの、そしてアーサーであるアルバートの視線の先には。
「アーサー。わたくしは永遠に恨みますわ。貴方を。わたくしを裏切ったこの世界も」
アレクシア!? とアルバートは驚く。黒髪で真紅の目をしていることを除けば彼女にそっくりな女が、処刑台に磔にされていた。
ボロの服を着せられ寒さに凍え、既に散々陵辱されたであろう痕が残る彼女は、それでも目の光を失わずに自分を睨みつけている。
「……この期に及んで見上げた女だなアストライア。お前の魔法はもう尽きたはずだ。お前を崇めるものがいなくなったからな。神を騙っていたお前の神官どもも、一足先に地獄へ行ったぞ」
嫌悪の表情で吐き捨てるアーサー。それを見たアストライアは嘲るように笑う。
「魔法? そんなものじゃありませんわ。これは、わたくしの最期の……あぐっ!」
囲んでいた騎士の投げた石が顔に当たり、アストライアは痛みに顔をしかめ、そして彼女は血と一緒に呪詛の声を吐いた。
「……二度とその力を自由に使えないように……わたくしは死して本物の神に……■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
彼女が続ける言葉が次第に人間では聞き取れない言語になっていき、けたけたと笑い出す。
その呪詛に急に不安を覚えたアーサーがエクスカリバーを抜いた。
「口を閉じろアストライア!」
「あはははははは! 愚者どもめ! 楽園を出た罪を償うがいい!」
焦ったように飛びかかるアーサー。狂ったように笑うアストライア。
エクスカリバーの虹色の輝きが急激に薄れるとともに、彼女の力が抜けた。
――
また場面が切り替わって真っ白な空間で、アルバートは気がついた。
彼の正面には先程アストライアと呼ばれた黒い女が立っている。
真っ赤な瞳で彼の目を見据える彼女に、彼は尋ねた。
「お前は……さっきの女……?」
「否定する。この姿は、我に呪いをかけたもの。我を縛り付けたもの」
「違うのか。じゃあお前は誰なんだ?」
眉をひそめて聞くアルバートに、黒い女は告げる。
「我は意志なき意志の力。我は神祖アポロン。そしてランカスターの神。そしてアンドロメダの主神ゼウス。人の意志とは神そのもの。お前は選ばれた」
選ばれた……? とアルバートが首を傾げる。
彼女はそんな彼に、冷たく暗い、抑揚のない声で続けた。
「アストライアが遺した呪い。それは天秤。神の器はふたつ。どちらも新たな神が誕生しないように、神に……あの女に近づけないように、お互いを殺し合う。帝国と王国の争いはその結果。しかしあの女は自ら規則を破った」
言っていることがよく分からん……! とアルバートの頭が沸騰する。
しかしそんな彼に、黒い女は淡々と話し続ける。
「アストライアは、アポロンの末裔に目をつけた。だから我はお前を選んだ。それを止めてもいいし、止めなくてもいい。その力は既にお前のもとにある」
「よく分からんが、コールブランドの力があれば、その神の器? の人間を斬ることができるってことか? 皇帝なら、こんな力なくてもそうするつもりだが」
アルバートはなんとか話の端っこくらいを理解して、彼女に尋ねる。
それに返答しようとして、黒い女は急に息苦しそうに喉を押さえてうずくまった。
「……我にそれを教えることはできない。……アストライアが……」
心配したアルバートが慌てて駆け寄る。
背中をさすろうとしたその時、彼女は急に首を持ち上げてアルバートの瞳を見据えた。
「ふむ。封印が解けた途端にわがままな剣ですわね。自分で掛けた呪いとは言え、厄介にもほどがありますわ」
先程の夢で聞いた悲壮な嘆きとは違う、どこかで聞いたような強気な女の声。
「なるほど、お前がアストライア本人か」
そのとおりですわ。と黒い女は立ち上がると一礼する。
口調も相まって、ますますアレクシアにそっくりだな……とアルバートが感じていると、彼女はその光のない真っ赤な瞳を向けた。
「アルバートとやら。わたくしの邪魔はしないことですわ。あれから数百年……やっと見つけたわたくしの器。わたくしだけの器。この地に再び顕現する好機、絶対に掴んでみせますので」
「邪魔って言われても、勝手に選んだのはそっちだろ」
その言葉に、まぁ確かに……と顎に手を当てて考え込む素振りを見せる彼女。
しばらく二人の間に無言の間があって、彼女は口を開いた。
「この剣について、少し説明しましょう。これはあの忌々しい略奪者アーサーが作った兵器。わたくしを殺すためだけに作ったものですわ。今は神……つまりわたくしに近づくものを殺すための呪いが掛けられていますが」
ふむ。とアルバートは軽く頷き、彼女の話を聞いた。
「アポロンはこれの呪文を書き換えて、百年も力を弱めたのですわねぇ。ランカスター王家に代々伝わる美術品、なんて嘘をついて王城に隠しておいたとか……本当にやり手でしたわあの男は。結局わたくしの一部になりましたが……」
「ちょっと待て。封印が解けたってさっき言ってなかったか?」
少し遠い目をして、昔を懐かしむように目を細めるアストライアに、アルバートが聞いた。
あぁ、と彼女は手を叩き、説明をする。
「貴方、虹の刃を見たでしょう。誰か神の力を持つものが、アポロンが書き換えた呪文を解読したのですわ。一度封印が解けたら、もう封印するのは難しいでしょうねぇ……そもそも絶対に傷がつかないあの鞘に、暗号化して刻み直すなんて芸当は彼くらいにしかできないでしょうし」
口を開けたままのアルバートに、まぁそれはいいでしょう。と切り上げた彼女。
その横顔の美しさに彼は一瞬だけ見惚れたが、もう一つ気づくことがあって尋ねた。
「……ランカスター王家が何度も反乱を起こした理由って……まさか……」
「勘がいいですわね! 神の器たるアポロンの子孫を殺そうとしたのですわ。最も、弱まった力では憎しみを呼び起こすことしか出来なかったでしょうが」
目を丸くし、手を叩いてアルバートを褒める彼女。
その無邪気な笑顔に、彼はふつふつと怒りが湧いてきた。
「じゃあ、ランカスター人が今までずっと弾圧されていたのは、お前のせいか」
「わたくしのせい、というよりはアポロンのせいですわね。ランカスター人をエクスカリバーの呪いの犠牲者になるように仕組んだのは彼ですし」
ほう……とアルバートは苦笑いで、一度目を閉じる。
深呼吸をして、再び彼の目が開かれた時、その瞳は怒りのあまり虹色に輝いていた。
「人のせいにしやがって! 呪いはお前が掛けたんだろうが! 再び顕現だ!? お前みたいな神に支配されてたまるか! お前の器ごとぶっ殺してやる! アストライア! 絶対に許さんぞ!」
大声で怒鳴るアルバートに、アストライアは一度びっくりしたような表情をして、すぐに不敵な笑顔を浮かべる。
彼女の表情に彼は怒りが強まり、その黒髪もきらきらと虹色の光沢を放つ。
「なるほど! いい度胸ですわね! それなら公平に公正に教えて差し上げましょう。わたくしの器は、まだわたくしの事を知りませんの。哀れにも自分の力で世界を変えると息巻いている、可愛らしい少女ですわ。貴方に斬れますの?」
何も知らない少女を使う? どこまでも腐った奴! とアルバートは唇を噛んだ。
しかしアストライアは彼に微笑み、挑発するように人差し指を立てて振る。
「さて、ここまでにしましょうか。貴方の夢も覚めますわ。器の娘が貴方に逢うことを、楽しみにしておりますの」
待てこら! と大声をあげようとするが、薄れていく夢の途中、彼女には届かなかった。
――朝
「アルバート、朝ですよ。珍しいですね、あなたが私より遅く起きるなんて」
アンナに揺さぶられて目が覚める。
いつもなら覚えていない夢が、はっきりと記憶に残っているアルバートは、げっそりした顔で起き上がった。
「……夢見が悪くて……あれ」
ふと、枕元のコールブランドが目に入った。
剣の柄と鞘で分かれていたそれが、まるで剣を収めているようにしっかりとくっついている。
「コールブランドが、くっついてる……」
あっけにとられていると、既に支度を終えたアンナが北部の冬用の防寒具に着替えながら彼のことを呼んでいた。
「そんなことより早く出ますよ。今回はプテラノドンを使うんですから、ちゃんと厚着して下さいね」
「あぁ、すぐ行く!」
ペルサキスへ飛び立つ二人。
皇帝の弟ゼノンとの戦いが幕を開ける。
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