第二十一話:力の片鱗

前回のあらすじ!



実に口惜しいが、エリザベスの才能は本物だろう。

敗軍の将が兵を語るべきではないが、よく帝国軍を、私を研究したものだ。ランカスター人でなければさぞ優秀な将軍に育ったに違いない。

アレクシアとのつながりを見落としていた点を差し引いても、私は負けるべくして負けた。


――ソロン=クセナキスの手記 帝国暦98年ころ



アレクシアはやけに自信満々だった。神の奇跡を起こし連合国との戦争を終わらせた、とは聞いていたが。


――エリザベス=ランカスターの手記 帝国暦98年ごろ




――帝国暦98年10月中旬



 空には暗雲が立ち込め、地上には霧が立ち込める暗い朝。流石に塹壕の中は嫌がったアレクシアは、自分の護衛に持ってこさせた天幕の下、毛布にくるまって熟睡していた。

 何故こんなところで、しかも塹壕の中では兵士たちがガチャガチャと準備をする中熟睡出来るのか謎に思っていた護衛の兵士にエリザベス。爆睡するアレクシアの肩を軽く叩いて起こすと、彼女はあくびをしながら起き上がる。


「ふぁ……雨が降りそうですわね。まぁ都合がいいですわ。早く終わらせてお風呂に入りたいですし」


 なんか最近雨女ですわねぇわたくし……と一人呟いて、アレクシアは布に包まれたオーリオ―ン家の大旗を持ち上げた。身体強化も使わず、大旗をその真っ白な枝のような、細い片腕で持ち上げた皇女に、付近に居た彼女の護衛たちはぎょっとした。


「よいしょっと。アルバートを借りますのよ、エリザベス。臨戦態勢は解かないように。何かあった時はわたくしも逃げますので、退路は頼みますわよー」


「は、はい!」


 そう言いながら、アルバートを連れて行こうとするアレクシア。驚いていたエリザベスは彼女の言葉をそのまま了承し、兵士たちに準備をさせた。弾丸の包みは既に半分を切って、惜しげもなく使った爆弾は底をついてきた。アレクシアに祈るような気持ちになったエリザベスは、思わず手を合わせると、この戦争の終結を願った。


「さて、信賞必罰……不忠の家臣にはお仕置きですわね」


「……アレクシア様、どうして俺を?」


「貴方、帝国軍を相当怯えさせたでしょう。わたくしの魔法が整うまでの牽制ですわね」


 勇者に問われた皇女はどこまでもふてぶてしく笑う。ゆっくりと先へ進み、霧が晴れてきた頃。

 彼女は大旗の包みを解くと高く掲げ、拡声魔法で怒鳴り散らした。


「ソロン!! 出てきなさい!! 貴方の行い!! 実におファックですわ!!」



――彼女の大声に、進軍の準備の途中だった兵士たちが、皆手を止めてその方を見た。

 

 

 遠くからでも分かる、虹色の煌めきを放つ髪。そして遠見の魔法で直視した兵士が目を眩ませ、思わず膝をつくような美貌。彼女の周りに寄り添うかの如く迸る小さな紫電。


「『雷神』アレクシア様……お間違い無い、あれは皇女殿下だ!!」


 誰かが発したその声を聞いて、ペルサキスから戻ってこの遠征に参加した兵士たちが次々とその武器を取り落し、跪く。その広がった動揺の波は、陣地の後方で準備をしていたソロンと、彼の率いる皇帝直轄軍にまで及んでいた。


「なぜ!!?」


 一番動揺していたのは勿論ソロン。自らが借りてきたのと同じオーリオ―ン家の、大弓と大槌の交差する大旗。しかし皇帝の娘である彼女の用いる旗には、金糸で刺繍された三連に連なる星が描かれている。

 それを目撃した皇帝直轄軍は武器を降ろし、各々が膝をついた。


「お前たち!! あれはランカスターが用意した偽物だ!! 武器を降ろすな!!」


 怒鳴り散らすソロンの声は彼らには届かない。本来皇帝に忠誠を誓う彼らは、昨日の大敗北、そしてまだ生きている味方を巻き込んで大魔法を放とうとしたソロンに対して嫌気が差していた。


「あの旗に槍を向けることは出来ません!! あれはアレクシア様に間違いありません!!」


「もういい!! 直接ワシが行く!!」


 頑なに言い張る指揮官を押しのけ、人波をかき分けながら真っ直ぐに走るソロン。

 大旗に近づくにつれて、彼は確信を持った。これは本物だ、と。

 数十年の昔、自身の恋い焦がれた女と同じ髪、よく似た顔。そして手に振りかざす皇室の大旗。官僚として側で仕えながらも、救うことの出来なかった彼女。まさにその娘が、この老人の眼前に立っていた。


「……皇女殿下、どうしてこちらに」


 こみ上げてきた沢山の感情を整理しながら、ソロンは表情を消して問いかけた。

 目の前のアレクシアは彼を睨みつけながら、凍りつくような低い声で譲歩を迫る。


「どうしてもこうしてもないでしょうに。アイオロスの件、耳に入りましたわ。素直に軍を退かせて、貴方達クセナキス家からの謝罪と賠償が成されれば、この件はこれで終わりにしますが」


「……そうでしたか。では、この後私がどう出るか……おわかりでしょうに」 


「構いませんが、アルバートの姿が見えませんの? この距離ならいくら貴方の得意な魔法でも間に合いませんわよ」


「ふふふ……笑わせるな。このワシがそのような雑兵に遅れを取るとでも?」


「?……なるほど」


 ニヤニヤと笑うソロンに疑問符を浮かべて、アレクシアが振り返った先には既に風の縄で拘束されたアルバート。彼だけは辛うじて立ってもがいていたが、他の護衛の兵士たちは全員、身動きすら取れずに転がされていた。

 

 逃げ出したソロンの背中を見ながら、一人残されたアレクシアは額に手を当てて目を瞑り、軽く天を仰ぐと彼に言い放つ。彼女の髪の構造色が、光に照らされてもいないのに強い光を放ち、再び開かれたその瞳までが虹色に輝いていた。


「このわたくしに恥をかかせましたわね……」


「……武器を取れ!! やはり、こいつは偽物だ!!」


 踵を返して怒鳴り散らしながら、ソロンは颯爽と自陣に引き返していた。彼の態度を怪しみながらも、命令とあって仕方なく武器を取る兵士たち。

 そのもたもたとした動きを見ながら、アレクシアは自らの怒りが抑えきれなくなっているのを感じた。


「往生際が悪いとは、まさにこのことですのよ……生え際もない癖に」


 自分を落ち着かせるように悪態をついて、静かにその手に持った大旗を天に掲げる。上空の真っ黒な雷雲に意識を集中させ、彼女は帝国軍の陣地に向かって大旗を力強く振り下ろした。


「……ブロンテー……ヴァリア……スィエラ!!!」


 まるで天から星々が降り注ぐような黄金の煌めきが帝国軍の陣地を踏み荒らし、一瞬遅れて流星群が地表に叩きつけられたようにいくつもの轟音が鳴り響く。

 呆気にとられ、再び持ち上げた武器を取り落とし静まり返る帝国軍の兵士たち。既に目の前の皇女に許しを請おうと泣き崩れている兵士もいた。


「……愚か者め……(あら……やたら魔法が調子いいですわね。まぁこれで終わるでしょう)」


 低い声でそう呟いたアレクシアの頭に、あら? と疑問符が浮かぶ。自分の思考と口の動きが違う。そしてやけに自分の身体が遠く感じた。いったい自分に何が起こったのか理解できない。

 混乱した彼女を見る者達の瞳に映っていたのは、既に皇女としてのアレクシアではなかった。

 

――それは上空で不穏に光り続ける雷雲を背に、紫電を身にまとった虹色に光り輝く雷神。

 

 拡声魔法も使わずに、張り付いた無表情の美貌の裏にある敵意を剥き出しにして、暗雲のように暗く、吹雪のように冷たい声で、この場にいる者全員の恐怖を掻き立てる神の一柱。


「反乱などと嘘を吐き、無実の民を虐げた不忠の愚物よ。これが最後だ。首を差し出せ。許しを請うことは決して許さぬ。貴様の兵士たちもろとも、ここで死ぬがいい」


 その神の声に心臓を掴まれたソロンは全てを諦め、吸い寄せられるように虚ろな顔で彼女の下へ裁きを受けるために歩く。彼の周りでは逃げることも諦めた兵士たちが、それぞれ手を合わせて彼女の怒りに怯えながら裁きを待つ。


 なんでですの? とアレクシアは内心で、自分の口から流れ出る言葉が止められないことに驚いていた。経済のために極力殺しは避けてきた彼女。そもそも今回はソロンの弱みを握って、適当に講和して、ランカスターを保護なんて都合のいい事を言って吸収して終わろうとしていたはず。

 しかし今、彼女の口を借りて誰かが言い放ったのは全く正反対の言葉。

 

「アポロンの子らよ。裁きの雷で、貴様らの罪を断罪する」


 これ誰ですのぉぉぉーー!!!??? と意識の中から自分の体を全力で止めようとするアレクシア。とぼとぼと歩いてくる老人。既に自分の意志で動かしていない右手に持った大旗の穂先を彼に突きつけ、自分の口が人間では聞き取れない発音の呪文を唱えだす。

 ソロンだけを殺すなら仕方ない。しかし兵士たちはもう既に戦意を失っている。ここで全力の魔法を放って虐殺してしまえば、絶対に自分は帝国の敵になる。ペルサキスとランカスター以外の一千万人以上の全ての皇帝の民を敵にしてしまう。それだけは絶対に避けたいというのに。


 穂先に集まり始める雷、怒号を上げる天の暗雲を見ながら絶望したアレクシア。

 彼女は自分が追いやられた意識の奥底から、アルバートの叫び声を聞いた。


「待ったああああああああああ!!!!」


「ぐえっ」


 風の縄を引きちぎったアルバートが彼女の背中に突進し、アレクシアは潰れたカエルのような鳴き声を上げて跳ね飛ばされた。

 それとともに穂先の雷はどこかへ消え去り、髪は白金に戻る。ふっ飛ばされてなんとか起き上がる彼女。その瞳も既に元の深い青に戻っていた。


「皇女、何人巻き添えにするつもりだ!! もう奴らの負けだ!!」


アルバートは軽く感電して痺れる身体を震わせながら、声を振り絞る。


「アルバート……感謝しておきましょうか」


 アレクシアは自分を正気に戻した彼に、ほっとした顔で力なく笑った。


「あぁ……これで終わるならそれでいい」 

 

 雰囲気が全く違う……今のは……誰だ? と、そんな彼女の態度に疑問を覚えつつ、アルバートは静かに頷いた。

 頷くアルバートから目線をそらしたアレクシアは、ソロンの方に向き直る。


「……運が良かったですわねソロン。まぁ……とりあえず罪は償ってもらいますのよ」


 彼女は取り繕うように元々の不敵な笑顔で笑いかけると、既に戦意を失い途方に暮れる老人を拘束させ、今だ呆然とし続ける兵士たちを前に、拾い直した彼女の旗を振りかざすと宣言した。


「帝国軍、並びに皇帝直轄軍のみなさん。今回のみなさんの戦いは全て、ここにいるソロンと、その息子のアイオロスが引き起こしたもの……ランカスターに反乱などは無かったと、このわたくしが証明いたしますわ。……引き揚げなさい」



――数時間後



 いつの間にか暗雲が消え去り、高く昇っていた太陽が顔を出す。

 帝国軍が後退を始め、首都へ戻っていくのを街道から眺めるアレクシア。一旦先程の途方も無い大魔法については忘れることにして、彼女の頭はこれからのランカスターの統治についてのことに切り替わっていた。

 

 とりあえずソロンとその身内の部下数名を捕縛した。アイオロスを返す代わりに彼らクセナキス家には賠償と身代金を払わせるとして、ランカスターからもこの仲裁の礼は受け取らなければならない。



「さて、エリザベス。今後のことについて、そこのハゲ共を交えて話し合いましょう。王城を手配してもらえるかしら」


「わ……分かりました」


 後ろから全てを見ていたエリザベスは、神の如き力を見せつけた彼女の言葉に、ただただ従うことしかできなかった。



――ゆっくりと王都へ戻る馬車に揺られて二日間。



 アレクシアは一人でずっと考え込んでいた。あれがシェアトが言っていた信仰の、神の力なのか、そして彼女の言ったとおり、自分がその受け皿であるのかと。それなら魔法なんか全く便利な道具ではない。制御できない大魔法などただの災害でしかない。


「たまったもんじゃねーですわ。魔法を使おうとしたら暴走するとかありえませんわよ……」


 頭を抱えながらうずくまる。乗り心地の悪いランカスター軍の馬車のせいなのか具合が悪い。


「当分の間、雷の魔法は封印ですわ……アルバートがいなかったら何人殺していたか……扱いやすい魔法を研究しておかないと……」


 恐怖で統治し、君臨するのは手っ取り早いが良くはない。自分の記憶の限りではそういった手段に出た君主の行く末はだいたい碌なものではないのだ。

 あくまでも民の味方として、現体制の敵として。必要以上の損害は避けることが効率的な統治につながるはず。そう彼女は考え直すと、馬車の窓に移る熱帯の密林を眺めて、静かにため息をついた。


「おファックですわぁ……」



 一方、エリザベスとアルバートは彼らの馬車の中。窓に肘をかけて外を眺めるエリザベス。密林の部隊からの報告、そして街道部隊の集計を取りまとめたアルバートが報告を上げた。


「……今の段階では以上です。エリザベス様の作戦のおかげで、十分完全勝利と言えるかと」


「……死者に恥じない戦いは出来たみたいね」


 最低でも千は殺し、こちらの死者は百人にも満たなかった。それを聞いたエリザベスが少しほころんだ表情でアルバートの方を向く。それに対して、彼も安堵の表情で続けた。


「……終わって良かったですね。正直、皇女が来なかったらどうなっていたか……」


「報告ありがと。終わって良かったには良かったんだけど……ペルサキスへの……いや、皇女へのでかい借りがまたできちゃったのよねぇ……」


 とんでもない力を持ったアレクシアが一応味方で良かった、とエリザベスは声にこそ出さなかったが、心から思っていた。

 しかし、アレクシアは金勘定で動く人間だ。今回の勝利に大きく貢献した兵器に食料、物資は全てペルサキスからの供与。その代償に港の利用権を獲られることや商人への優遇を強要されることは間違いない。しかしそれ以上の事を言ってくる可能性もある。


「何を言われるかしら……保護地域にされるとか? ランカスター家も終わりかもね……」


 むしろ政治より軍を率いるほうがよっぽど向いているんじゃないか。とアルバートはこれまでの戦いから思っていたが、窓の外を悲しそうな遠い目で眺める彼女には言えなかった。


「俺たちもやることはやりましたし……悪い扱いではないことを願いたいものですが……」


 アルバートは彼がなんとか止めたアレクシア……のような何かを思い出す。間違いなくあれは彼女に感じた悪意そのものだった。あの戦場でそれは帝国軍に向けられて、自分たちの味方であったが、いつか自分たちに向くかもしれない。

 そして彼女はいつまでも自分たちの味方でいてくれるとは絶対に思えなかった。皇帝を倒した後、革命の最大の敵になるのは……

 そんな考えを巡らせるアルバートに、エリザベスは考え込むなと言ってひらひらと手を振る。


「それをなんとかするのは、王族のあたしの役目だからさ。まぁ、今のところは皇女様の言うことを素直に聞くけど。独立はいつか勝ち取るわ」


「……それが良いと思います」


 彼も、今はそれが一番いい手段だと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る