第3章「修学旅行」
第15話「修学旅行」
月日は巡って6月中旬。時刻は午前7時12分。沖縄修学旅行に向かう葉野高校2年生の生徒達は、隣町の河野町立コミュニティセンターの駐車場に集合していた。
全2組という少ない数ではあるが、誰もがが旅行の始まりを告げる鐘の音を心待ちにしていた。
「いよいよ修学旅行の始まりだなぁ」
「向こう暑いかな?」
「あ、パスポート忘れた!」
「いや、パスポートは要らねぇよ」
通常の学校の時間より早く起床することとなり、ずるずると眠気を引きずる者。沖縄という未知の地に足を踏み入れることに、期待と不安で胸が埋まる者。反応は様々であるが、誰もが内心楽しみであることには変わりはなかった。
そして、それは星達の班も同様だ。
「みんな、いきなり割り込んできて本当にごめんね」
「いいよいいよ。この機会に仲良くなろう」
「美妃ちゃんみたいな可愛い子が同じ班になってくれるんだ。賑やかになって楽しいぜ♪」
「クズ仁、口を閉じなさい」
星達も始まらんとする旅に心を踊らせながら、バスの前で他愛もない雑談をしていた。和仁や恵美も唐突に班のメンバーになった美妃を暖かく歓迎した。
「それにしてもでっけぇバスだなぁ」
「僕達のために用意してもらえたなんてありがたいよね」
星達は2年1組の生徒送迎のために手配された貸切バスを眺める。向かう先は沖縄だ。まずは中部国際空港までバスで移動する。空港に到着したら、飛行機で那覇空港へと飛ぶ。約3時間半の大移動だ。
「僕、沖縄初めてだから楽しみでしょうがないよ」
「あぁ、どんな美人が待ってんだろうな♪」
「それにしても、七瀬まだ来ないのかしら」
恵美が腕時計で時刻を確認しようとしたその時……
「ごめん! 遅くなった!」
七瀬が路肩に停まっていた車から、荷物を抱えて慌てながら走ってきた。
「結構時間ギリギリよ」
「昨日の晩、つい旅行が楽しみで眠れなくて……」
「ふふっ、楽しみで眠れないなんて、七ちゃん可愛いね」
「なっ……///」
何の恥じらいもなく『可愛い』という台詞を繰り出す星。直近で食らった七瀬の頬は瞬く間に赤く染まっていく。
「な、何よ! 星君だって小学校の修学旅行で集合時間遅刻してたくせに!」
「あははっ、ごめんごめん。遅刻しなかった今の七瀬ちゃんの方が凄いよ」
「ちょっ、いきなり褒められると調子狂うっての!」
「二人共、早く先生のとこ行くわよ」
恵美が二人の襟を掴んで引っ張る。これ以上砂糖を吐き出させようとする二人の甘ったるい痴話に、若干キレかけている。
「これで全員揃いましたね」
「はい」
担任の凛奈が名簿にチェックを入れる。出発の準備が整い、1組の生徒は次々とバスに乗り込む。星もバスの出入口に足を掛ける。
その時……
「星きゅゅゅゅゅん♪」
2組のバスの方向から、真理亜が猛スピードで駆けてきた。星の姿を確認した途端、まるで獲物を狙う猛獣のごとく飛びかかる。
「うわっ、布施さん!」
「真理亜って呼んで♪ 星君、いよいよ修学旅行だね! いっぱい楽しも♪ 二人で最高の思い出作ろうね!」
真理亜は初対面時と同様に、星の腕に抱き付きながら自分の胸を押し付ける。修学旅行時は生徒全員が私服を着ている。真理亜は薄いレースのワンピースを着ており、胸の感触がより直に伝わる。
「ま、真理亜さん……だから僕達はクラスも班も違うって……」
「えぇ~、真理亜、星君と一緒に楽しみたいの♪」
武器の一つである上目遣いを初っ端から繰り出し、星の男としての理性を揺さぶる真理亜。星がバスの出入口で足止めされ、後ろに並ぶクラスメイトは進めずに迷惑している。当然真理亜はそんな様子を気にも留めない。
「あ、あの……ふ、布施さん、早く自分のクラスのバスに戻ってください……」
「やーだ♪ 星君と真理亜の愛は誰にも引き裂けないのです!」
凛奈が恐る恐る止めに入るも、真理亜は全くもって聞き入れない。それどころか、存在するはずもない彼との間に築かれた愛がどうのこうのと語る。もはや同じバスに乗り始めそうな勢いだ。
「布施ぇ……どこに行くつもりだぁ?」
「げっ、
真理亜の肩に2組の担任の
「お前はこっちだろうが。全くいつもいつも……」
「えぇ……」
「そうよ、真理亜さん。あなたのバスはあっちでしょ」
七瀬は勇気を出して三神の説教に便乗した。彼女も真理亜の自分勝手な態度には腹を立てている。星を必要以上にたぶらかされ、落ち着いていられない。
「さぁ、行くぞ。あ、浅野先生、どうもすみませんでした。うちのクラスの生徒がご迷惑を……」
「いえ、こちらこそすみません」
「あと、よろしければ向こうに着いたら、どこかのカフェでお茶でもいかがです?」
「えっ!?」
三神は唐突に凛奈に言い寄る。先程まで真理亜を叱っていた様子が嘘のようだ。七瀬はため息を溢して呆れた。
「三神先生まで何やってるんですか!」
「ゲフンッ! すみません。失礼します……」
三神は真理亜の襟を引っ張りながら、2組のバスへと戻っていく。真理亜は星と一緒にいられなくなり、残念そうな表情のまま遠ざかる。
しかし、その表情は七瀬を横切った瞬間に一変した。
「何なのあんた。いつも星君のそばにいて、ウザいんだけど」
「!?」
七瀬は真理亜の方へと振り返る。しかし、真理亜の顔は前髪で隠れており、表情がうまく読み取れない。彼女の口から放たれた憎悪のこもった恐ろしい台詞が、七瀬の汗腺をこれでもかと刺激する。
「……」
真理亜が時たま女だけに見せる本性は、銃口を突き付けられたように背筋がゾッとする。
「七ちゃん?」
だが同時に、七瀬の心からも怒りの念が沸き立つ。こちらも真理亜の態度に迷惑しているのだ。そばにいるから何だと言うのか。自分の大切な仲間である星に、これ以上言い寄らないでほしい。
“何よ、こっちには願いの能力があるんだからね。その気になれば、あんたなんかコテンパンにやっつけられるのよ”
一度生まれた怒りは、また新たな怒りを生み出す。怒りはいつもの七瀬らしくない不純な考えを形成する。
「七ちゃん!」
「あっ!」
星に強く名前を呼ばれ、我に返った。危なかった。願いの能力があるからと、それを利用して他人を傷付けるという、人間の道理に外れた思考に足を踏み入れかけていた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ううん、大丈夫。私の方こそなんかごめんね」
「ううん、いいよ。真理亜さんの方からやってきたんだし」
気を取り直して、二人はバスに乗った。昇る太陽が町を朝へと連れていく。輝く光に照らされながら、2台のバスは発進した。
「恵美、今日の服なかなか綺麗だぜ♪」
「あぁ、ありがと」
和仁が隣の席の恵美へ話しかける。星が七瀬に『可愛い』と言ってみせたように、和仁も思いを寄せる恵美へキザな台詞を考えていた。とりあえずまずは私服を褒めることにした。恵美はあっさりと受け流す。
「あと、今日の髪もいつもより艶があるというか……」
「ごめん。空港着くまで寝るから、しばらく話しかけないで」
「あ、はい……」
恵美は冷徹に吐き捨て、ぐったりと眠りについた。和仁は言いなりになるしかなかった。修学旅行を利用して更に距離を近づけようと計画していたが、彼女は思った通りの難攻不落の要塞のようだ。
「……」
しかし、寝顔を堪能するのも悪くない。和仁は思いの外色気が溢れる彼女の寝顔を、心行くまで眺めた。
「可愛いな……///」
「やっぱり二人ってお似合いだね」
「どうだかねぇ」
二人の様子を後ろから席越しに伺う星と七瀬。バス内は空港に着くまでの穏やかな時間を有意義に過ごす生徒達の活気に溢れていた。バスが振動で揺れる度に、生徒達の浮わついた心も揺れる。
「七ちゃんと一緒に沖縄に行けるなんて夢みたいだよ」
「えぇ、私も」
「一緒に最高の思い出を作ろうね!」
「そうね」
そうだ、日々の性差の悩みや真理亜のことなど、嫌なことは記憶の彼方に放り捨て、純粋に楽しむことにしよう。二人は出会ったばかりの頃のような童心に戻り、いよいよ始まる三泊四日の修学旅行に期待を寄せた。
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