第80話 違えるもの

 ただ、筆舌につくしがたいと形容するしか無いほどの、凄まじい応酬が繰り広げられているとのみ解した。

 ――それほどに、あまりに次元を違え過ぎて、何がこの神速の中で行われているのか、ウェイの神に把握することは敵わなかったのである。ぎいぎいと鳴いて暴れる末弟の眷属を押さえて、ただ口を開け放して光景を見つめていた。


 はじめはそう、何か問答していた。それが剣を合わせ、拮抗していたその均衡が崩れたかと思えば、黒い影がもみくちゃに混ざり合ったように見えた。それが二つに分かれた後、一方から幾筋ものの光が飛び出したのだった。

 目前、結界のほろほろと崩れて行く中で、その透明な檻があった場所を、幾閃もの銀の光が飛び回っている。追われるはもう一方――おそらくは末弟。ただ一陣の風となって光の群れから逃れているようであった。銀と黒の色彩が混ざり合っている。さながら残像のごとし。


 光の筋は、黒い影を捉えられずに、幾度も雲の地に叩きつけられた。振動が雲の地を揺らし、暴風を巻き起こす。また、稀に光は影に跳ね返されて宙で破裂する。空に大輪の火花がいくつも咲き誇った。攻防を核として、暴力的な神力の波動と爆風が一帯を襲iい来る。災禍を経て、力を失った神々にとって堪えること甚だし。


 やがて強大な力の余波に耐えるうち、ウェイの神ははたと気づく。戦いの地点が微動だにしていないことに。

 既に崩壊した結界のあったあたりから、その攻防の核がずれることは無い。狭い範囲に集中して力のぶつかり合いが起こっている。――そこから先、神々ひしめく一帯に、ただのひとつも着弾無し。


 と、ついに光の筋の一つが黒き影を捉えたり。

 ひたりと一瞬止まった幾筋もの光の、その全てがただ一点に押し寄せる。それは末弟を巻き込み、螺旋を描いて互いに絡み合うと、ついにぞ光の大樹と成り果てつ。


『、ヤト――!!』


 思わず叫んだその前で、ぼろぼろの末弟がにいと笑った気がした。

 光の大樹に閉じ込められた彼の、その周囲の大気が陽炎のごとく揺らめき出す。揺らめきは末弟だけにとどまらず、とらわる大樹を伝わり、その術の主の回りをすら取り巻いた。


 月の御神が眉を潜められたその刹那、光の大樹ごと全てが歪み、さっぱりと目前より失せてしまったのだ。




 急に恐ろしき神力の圧をなくして、神々はどっと四方に倒れ込んだ。よろめいただけに抑えた業火の男神はさすがと言うべきか、体勢を立て直すと、消えた二柱を探して辺りに目をさ迷わせている。

 しっかりと大地と抱擁を交わしたウェイの神の方も、男神に倣って、腰の砕けたまま付近を見渡した。けれども、群衆の中には黒い影はひとつも見当たらない。


 空を見上げれば、未だ空の二つ分かれた一つは夜のまま。の月の御神が力を開放した以上、この天上界にある限りは、どこにおられようが全天の半分は彼の御神の領域となっているのだろう。朝とも夜ともつかぬ今、これもまた秩序の崩壊が招いたことにあろうか。




 と、遠くで凄まじい金切り声が響き、思わず背筋がぞぞと怖気だつ。つい先に黒いどろどろが発していたような、不快な悲鳴によく似ていたのだ。


 見れば、遠く、その場所だけが黒く染まっていた。天の二分の夜の方、彼方のその地は闇に覆われ、また瘴気の煙が渦巻いている。真っ赤な稲光走る瘴気の雲の奥、突如として銀の光がさく裂した。黒い雲が割れ、狭間より、赤光散りばめるおどろおどろしい化け物の姿が露になる。


 瘴気の雲は、意思を持つかのように形を変えて、山のように大きな蛇の化け物の周りを渦巻いた。頭にそびえる赤い冠、その飾りの長い帯の髭を真っ赤に光らせて、血色の三つのじゃが爛々と輝いていた。その蛇腹の接するところから、土壌がじわりじわりと黒に侵食されて行く。


 遠くより見つめるその影は、災禍の後、彷徨う神々照らせし灯の姿と全く同じである。だというのに、の心安らぐ翡翠の輝きは失われ、今は見る者共の恐怖を煽る赫然たる様へと転じていた。


 大蛇がひとつ身の毛もよだつ威嚇音を発すると、赤雷雲が前に向かって放たれた。すると、宙空のある地点で、それは八つ裂きに破裂する。同じ点から銀色の光が瞬いたかと思えば、小山を三つも呑み込める巨大な銀の光球が放たれた。即座に途方もない大きさの大剣を創って銜えた蛇は、光の球を縦に真っ二つに切り裂く。蛇の体を裂けて飛んだ二つの半球は形を保てず力を放出し、背後、広大な範囲を二つの光の柱となって焼いた。その炎が瘴気の煙を燃やして、一帯が炎の海と化す。その様、音に聞く阿鼻叫喚のごとし。

 天上界に突如として現れた、全てを燃やし尽くす地獄の業火に包まれて、蛇は苦しむように凄惨たる悲鳴を上げた。より彼を飾りたてる、赤の輝きが増す。


 そこへ追撃とばかりに中空より、先に見たような、しかしそれよりも遙かに太い光の筋がいくつも放たれた。大蛇にとどめをささんと腕を伸ばす。それを一閃、苦しみながらも横に薙いでかき消した蛇の口に銜えられた剣の形が、あっという間に小球へと収縮した。途轍もない力が丸め込まれ、一気に解き放たれる。灼熱の赤光線がそらを穿った。




 異次元である。

 それがウェイの神の得た感想であった。あまりにも住む世界が違い過ぎた。これが、高位なる神々の戦いなのか。神話に刻まれる伝説が、今目の前で繰り広げられているとでも言うのか。彼方、遠雷のごとく鳴り響く衝突音を聞きながら、ぼうと、にわかに信じがたき光景を見ていた。

 刺激を好む性質のこの神にとっても、最近の一連には腹一杯だった。食傷だった。最早、ウェイの文言も落ちず。


 と、呆ける次元を隔てたその先で、とんでもない大爆発が起きた。新たに放たれた銀の光球が炎の地に落ち、互いの神力と反発し合ったのである。


 大陸の、遠き西のはての天上界にあるという、全天を支える世界樹。その母なる幹がごとき火柱が上がった。

 真っ赤だった。見る景色のおおかたが赤に染まってしまった。それは遠く離れるこちらにも熱を肌で感じる程に。

 ここは一体何処なるか。まこと、天上の世界なりや……? にわかに信じがたし。


 その凄まじき力の奔流には、さしもの大蛇の巨体も打ち上げられて、みるみる内に空の高いところにまで昇ってしまった。そして龍のごとく空を泳いだかと思えば、月と日の境目を通って、見る間にこちらの方へと――




 着々と近づいてくる巨大な影に、ウェイの神は乙女のごとき悲鳴を上げた。


『に、逃げよ~~~!!』


 ウェイの神が言うまでもなく、一帯にひしめく神々は我先にと逃げ出した。空飛ぶ神々で宙は大渋滞となり、むしろ地を行く者の方が少ないまであった。

 ウェイの神は空を”飛ぶ”より”跳ぶ”ほうが得意だったことから、空いた雲の地を”常面”共と楽々突っ走った。その直ぐ上、低空を、膝より下を炎の足とした業火の男神とその眷属たちが行く。


 そんな混沌たる有様の中、かなり太陽の御殿へ接近していた大蛇は、突然濛々たる大白煙に転じた――否、ヒトガタをとったのだ。地獄の業火に舐られ、赤熱たる鉄がごとく鱗の纏った熱を、宙にぶわりと置き去ったのである。

 その蒸気の中から小さな影が飛ばされた。それは高速を保ったまま落ちて、神々の捌けた土地、太陽の御殿の手前の地に音を立ててめり込んだ。


 巻き起こる土煙が晴れて見れば、襤褸のようにされた末弟の姿があった。よろめきながらも立とうとする彼の神は、腕と足を一つずつ失くし、角は折れ、帯の髭はちぎれ、鱗は削がれ、赤い装束からは同じ色の水を垂らして、今にも倒れそうな有様だった。それがぐぅと一つ呻くや、ぶちぶちと悍ましき音を立てて、手足が戻り、角が揃い、帯が生え、鱗が整って、体の一つも不具合は無くなったようである。その光景には、思わず先のどろどろが思い起こされる。


 絶句する神々の前にて、うつむいたままの末弟は――ヤトノカミは言った。


『この場に混乱を招き、そして再び訪れさせることを許し願いたい。――ここから逃げられよ。もうすぐ彼の神が来る。……存分に力を発揮できるよう我が神域に招いたものの、どうやら気に入られなかったようだ』


 言い終わり、そしてふと顔を上げると、自嘲するがごとくひどく痛々しい笑みを浮かべた。


『……もう、遅いか』




 その三つの赤い眼差しの先を追えば、彼方より、強大な力が迫りくる。

 黒装束に銀の羽衣を纏い、満月のごとく美しき丸鏡を構えた、麗しき三貴子が一柱が。


 その御手の鏡は、超高次元的な力に満ち満ちて、白銀の輝きを放っていた。

 武神でないウェイの神にしても、それが尋常でないほどに高められた凄まじき代物であることを、誰に教えられずとも己の核に知っていた。


 すると、それを見つめるヤトノカミの姿が再び大きくなった。直近、三度天上界に君臨した大蛇は、月の神に背を向けると、するすると太陽の御殿へ向けて這い出した。そして何をするかと思えば、護衛の殿上人を軽くいなして、太陽の御殿の上にとぐろを巻き始めたのである。


 ざわりと揺れる神々の前で、蛇のその黒き体を飾り立てる、光りものどもが金色に染め上がった。

 こちらも強大な力が練り上げられ、巨大な結界が築き上がった。それは、先の騒動で御殿周りから離れた神々と太陽の御殿とを壁となって隔て、また月の御神をまっすぐ迎えるための大路となった。


 その最奥に陣取り、月の御神を見据え、彼の神は高らかに名乗り上げた。


『自らは、おの運命さだめを呪い、仇成す者を祟る神。名をばヤトノカミと申す。


 ――貴様が何処の何某かは知らぬが、この地は私が守護してみせよう!!』


 そこでようやく、神々はこの異質の神の意図するところを知った。

 月の御神の御手、その鏡に込められた力が今にも解き放たんとしていることを。

 彼の御神がヤトノカミを滅ぼすのに、タカマガハラに集った全てを共に葬り去らんとしていることを。

 ――己がこの場の盾となろうとしていることを。




 と、迫り来る黒銀から笑い声が上がった。


『っはは、あくまで我を知らぬものとするか。それに飽き足らず、この我を悪神に仕立てるばかりか、まさか姉上が御殿の上に居座るとは……! っは、ははははは……!


 ――貴様、まこと不敬であるな』


 最後の一言に乗せて、恐ろしき力の波動が凍てつく冷気となって襲う。

 しかし、その冷気は今し方創られた結界に阻まれ、神々に冬を届けることは無い。ただ、結界の壁をなぞるように氷の道が伸び、蛇のとぐろに霜を降ろしたのだった。


 と、ふとその冷気が弱まった。

 そして太陽の御殿のすぐそばにまでやってくると、中空に留まってじろりと場を眺め渡した。


『……しかし、この場においては、如何に見ようとも我が悪いようにしか見えぬなぁ……はは。そうか、汝が』


 先とは打って変わって、どこかあたたかい雰囲気すら醸し出して、彼の月の御神は花がほころぶように笑ったのだった。


『よろしい。ならば、高貴なる祟り神殿に、我が名を教えて進ぜよう。


 ――自らは、三貴子が一柱、月の神。ツクヨミなり。各地に出でし、災禍に乗じて荒ぶる祟り神を、夜の食国ヨルノオスクニより打ち取らんと来たり』




 白銀の満月が、一層激しく輝きを放った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る