第77話 黒歴史・イズ・闇の煮凝り

『腹切って御詫び致す』


『止めよヤトぉおお!! かようなことしても、其方が痛い思いをするのみよ!』


『ワァァァ!! 止めないでください!!』


 剣の切っ先を腹に向けて構えるとウェイのパイセンに羽交い締めにされて止められてしまった。しかし、沸き上がる激情のままに、それを断固固辞させていただく。


『ウェイウェイウェーイ、面白くもない冗談は止めよ! おぅい誰か手伝ってくれ!! 我の力では押さえきれぬ!!』


 なぜかほどけてしまっている髪を振り乱して暴れていると、胸にもぞもぞとした感触を得る。すると懐から黒いカエルが這い出してきた。


 それは俺の頭にまでぺたぺたと吸盤を使って登って行くと、ぽんと音を立ててアニウエの姿に戻った。意識を失う前は鎧の胸部分にひっしとくっついていたアニウエであったが、いつのまにやら懐の中に避難していたらしい。

 そのアニウエは、ペチペチと俺の頭をその吸盤の前足で叩いて、しゃがれた蛙のような鳴き声を上げた。


「ギョエッギョエッ!!」


『……! おお、よきかな蛙。そのまま続けよ!

 ほれ、其方の眷属も止めておろう。いたずらに己を痛め付けるでない!』


『止めるなアニウエ。私はもう、もう……わあああ!!』


 ぽとりと。くるくるせわしなく色を変える剣が、手から滑り落ちた。顔面を覆って嘆き崩れれば、前かがみになった拍子に、ぽとりとアニウエが足の間に転げ落ちる。

 動かなくなった俺の様子を見てとったか、パイセンの腕の力も少し緩くなった。




 完っ全に寝ぼけていた。マジで。寝ぼけて、"声"の伝わる精度を上げすぎたのだ。

 そのせいで、心の声までが意思としてこの神々の公衆の面前に放たれていた、らしい。なんと言う恥だろう。末代までの恥である。もぅマヂ無理。ハラキリしよ。。。


『そうだすぐ死のう今すぐ死のう。ア、俺祟り神だから死ねないんだった☆』


『黒いの……また漏れでてンぞ……』


 いつの間にか傍にいらっしゃったホタチさんがぼそりと言った。

 このヒトとはそれなりに長く付き合ってきたつもりだったが、こんなに萎えた”声色”は聞いたことがない。誰だこのヒト。

 というか、漏れ出てるって何が? ……”声”が? またかよ!


『ああ、やはり私は死ぬべきなのだそうなのだ。これ以上恥を重ねる前に死ぬしかあるまい。つーか、なんでこんなゆるっゆるになっちゃってんだよ俺の”声”ェ……もぅマヂ無理。リスカしよ。。。

 アッ! ホタチ様その手のエクストリーム釘バットで私のこと磨り潰して下さいませぬかそれはもう木っ端微塵にこの先千年は復活出来ぬようお頼み申し上げる』


 どうしてだか、ゆるゆるガバガバになってしまった”声”の機能は、何か話そうとするたび余計な部分まで赤裸々に大暴露してしまう。テンパった脳みそはぐるぐる空回りして、もうマトモに動いちゃいない。


 そんな混乱極まった状態の俺の頭をポフポフと撫でる手があった。パイセンである。

 彼の数多いる弟を統べる兄神は、アルカイックスマイルを浮かべながら、実に見事な兄ムーブをしてくる。


『ヤトぉ、失敗は誰ぞだってあるものよ。此度、彷徨えし八百万の神々の灯台役を務めた其方の恥を笑うものは、この場には居まいよ。いたとしても業火の男神が天誅下す故、かような顔をするでない』


『吾が下すのか』


『其方の”声”の調子がおかしいのも、少しびっくりしたからであろう。一度落ち着いて見よ。な?

 あ、ほれ、ウェイの文言を唱えて見よ。ウェーイ、ウェエーイ! ほれ、ヤトよ。我に続けて言ってみよ。ウェーイ』


『……うぇーい』


『さりさり。よく出来た。この文言を唱えれば、きっと全てがよくなるであろう! ではもう一度言ってみよ。それ、ウェーイ!』


『ウェーイ!!』


『そら、大きな”声”が出たな。良い子だ!』

 

 一際激しくわしゃわしゃ頭を撫でつけられてはたまらない。

 俺はバブちゃんか。いきなり始まった羞恥プレイに、宇宙を背負うのもやぶさかではないぞ。


 俺の気の乱れを感じ取ってか、アニウエもギョエギョエと鳴き声を上げ始めた。そんなパッチリお目目がグロテスクな彼を、粘土のごとく揉みしだくことで何とか落ち着きを保とうとしていれば、背後から突然聞こえ来た騒音に、はっと目が覚めた。




 放り出した剣を手に取り素早く振り返れば、戦装束に身を包んだ戦神数柱と、黒々とした汚泥の塊のような化け物とが交戦しているのが見えた。

 しかし、戦神がいくら攻撃しようとも、タールのような流動体の体は破壊された傍から再生するばかりで、ダメージが通っているのかどうかは判別のつきがたいところだ。そればかりか、黒い化け物はもやもやと瘴気をまき散らしては雲の地を腐らせ、周りの神々に被害を加えている。




『あれは……?』


『……アレぞ。真性の祟り神は』


 またも意図せず滑り出した俺の”声”に応えたのは、ホタチさんであった。眼光鋭く化け物を睨みつける様は、何時もの威風堂々とした業火の男神の風格を取り戻していた。


『あンな風に崩れ落ちて、天上の空気こそ奴にとっては猛毒となる。まこと、悍ましき存在だ。

 ……こうして見れば、其方のような本地祟り神、であったか? とは全く諸相が違うな』


 フンと鼻を鳴らした彼の横で、パイセンがソレぞと黒いのを指さしながら言う。


『ヤトよ。其方、あの黒いどろどろと戦っているうちにおかしくなったのだが、何か思い出せるか?』


『……あ、はい。なんだか少し思い出してきたような気がします。殿上の神々のお話を拝聴していた際、何もない空間から急にあいつが出て来た……んでしたよね?』


『おお、その通りだ! 思い出せたか!』


 パイセンに促されるままにぽつぽつ話していれば、段々と意識を失う直前のことが思い出されてくる。

 そうだ、そうだった。確か、あいつの出した瘴気を味見したら、何だかモーレツな空腹感に襲われて……それからの記憶があいまいになっている。絶対ここで何かやらかしたんだろうな。ウッワ、知りたくないなぁ……!


『どうやら少し……あれの瘴気に当てられてしまったようです』


 苦虫噛み潰しフェイスを披露すれば、ふと思い出したかのようにパイセンが言った。


『そういえば、最初にまき散らされたあの莫大な瘴気は、其方が祓ってくれたのか?』


『ああ、あれなら集めて美味しく頂きました』


『そうかいただき……頂いた!? そ、彼方、アレを喰ったというのか!?』


 問われたから返しただけなのに、パイセンはその目ん玉転がり出るんじゃないかと言うほど大きく目を見開いて、こちらを凝視した。


『えっと、そうですが……』


『何をしているのだ、この馬鹿!!』

『何してンだ、この馬鹿者ばかもンが!!』


 事実なので肯定すれば、ふたりの"声"が揃って響いた。

 直後、つかつかとホタチさんが詰め寄って来る。


『そんなもン喰うから、おかしくなるンだ。吐け! 今すぐ吐けェ!!』


『そうだぞヤトノカミ。キリキリ吐け』


 ガクガクと洗濯機みたいに揺さぶられる感覚にデジャヴを感じていれば、ウェイパイセンも便乗してバンバン背中を叩いてきた。

 アニウエは、洗濯機攻撃が始まる前に既にホタチさんの頭の上に退避済みである。アッアッ、そんな汚物を見るような目で見るなよこの薄情者めぇ!


『で、ですがあぁ、瘴気をくら、喰らうのはいつものことでですしいぃ、も、もう消化しちゃって、あ、ありませぇんよおぉ!』


『ハァ!? いつもだとぉ!? 貴様、いつの間に……!?

 ――おい、何時もどうやって瘴気を払っているか気になってはいたが、まさか喰っていたのではあるまいな!?』


『その通りですねぇえ』


『ウェッヘイ馬鹿者! もう其方馬鹿者! 如何なる故して、そんな突拍子もないことを!!』


 ふたりして頭を抱えだし、洗濯機・うぃず・背中バンバンの刑の止まったその隙に、素早く距離を取った。

 な、なんだよそんなに責められることでもないじゃん!!


『だって信じられないかもしれませんけど、俺にとって瘴気は御馳走なんですよ! 美味しいんです! それに俺、こう見えて祟り神なんですよ? アレと同族なんですから!』


 言い返そうと、黒い化け物を指して言ってみたものの、まるでこの世のものとは思えない、身の毛のよだつような叫びを上げては、この清らかな天上界を汚していく化け物の様子には、思わず苦虫百匹噛み潰しフェイスを披露してしまう。


『前言撤回です。アレと同じ存在なんてまっぴらご免ですよ』


 そういえば、全くだと、揃ってため息をつかれたのだった。

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