第70話 紡がれたブツ

 とんでもねぇヒコボシ(暫定)との遭遇から少しばかり経ち、とんでもねぇ数の神々で、いよいよ場がごった返し始めた。みるみる内に色を取り戻して行く世界は、今や逆に色が足され過ぎて、極彩色を通り越してまだらな蛍光色に光り始めているのであった。とっても目に優しくない景色には、瞼も窄まった縁からめくれ上がりそうなほどである。サングラスが恋しくてしょうがない。


 脳内で黒い眼鏡に愛を囁きつつ、全くさりげなく無く、ぴっとりとオリヒメさんの脇に貼り付いて離れないヒコボシ――ウシヒコというらしい彼のお陰で場に発生する気まずさに、目に加えて内臓までツイステッドさせていると、遠くの方から戻って来る、救いの神ウェイパイセンの気配を角に受信した。

 感激に染まる心のままに振り返ってみれば、相変わらずのノミみてぇな大ジャンプを繰り広げながら、パイセンがイツメンの皆様を引き連れ、こちらに向かって跳んでくるのが見えた。着地地点ごとに他の神々に大迷惑をかけているようであるが、全くもっていつも通りの光景である。




『只今戻ったぞ我が弟よ――ぉおおおぉぉお!?!? そ、そそそそそ、そなたァ!!!』


 しかして、俺の隣に降り立った救いのウェイ様の発した第一声は、驚愕の顔を持って悲鳴へと変貌した。人を指す指でもって、真っすぐにウシヒコを示すと、跳び上がって俺の後ろへと隠れるようにして退いた。


『如何したのです』


『お、おいヤトよ。あ奴だあ奴。機織りの君の傍をうろつく、おぞましき幽鬼よ。其方、奴が何者か知っているか?』


 俺の肩についている甲冑を押さえてガタガタと震える彼に聞けば、そう早口で返してくる。いや、怯え過ぎでは? ウシヒコに一体何されたんだ? このヒト。

 そんなやりとりをコソコソとしていると、不意にねっとりとした”声”が響いた。背筋を走る悪寒に、今すぐにこの場から逃走したい気持ちにさせられる。


『――ねぇ、誰が”機織りの君の傍をうろつく、おぞましき幽鬼”だって? その言葉、こちらの台詞なんだけど。オリヒメ様の傍をうろつく、おぞましき虫けらめ』


 見れば、やっぱりウシヒコが鬼の形相でこちらを見ていた。このパイセン、焦りのあまり、”声”を俺へのダイレクトメール方式でなく、普通に範囲型の方で出してしまっていたのである。

 またもや狂犬モードに切り替わってしまった旦那の様子に、隣に立つオリヒメ様が桃の袖で顔を覆ったのが見えた。おつかれさまです。


 ウェイパイセンは、「ピェ」とその喉ぼとけのついた喉から出したとは考えられないような高い音を出すと、より一層縮こまってしまった。小柄な体躯を縮こませれば、捕食者に付け狙われた小動物のような有様であり、その姿はどことなく哀れを誘う。

 しかし、じりじりとこちらににじり寄る、血走った眼をした狂犬の追撃が止まることはない。


『ねぇ、そういえば君、さっきもオリヒメ様に近づこうとしてたよね。何なの? 君。さっきは見逃してやったけど、やっぱりオリヒメ様を狙ってるんじゃないの? うとましい奴め。なんて忌まわしいんだ。ああ、糸でふんじばって捻り潰してやりたいよ。そうしてやろうか。いやそうしよう。ほら、そこの黒の方、少し脇に逸れて頂いた方が身のため『もうっ! 止まりなさい、”ウシヒコ”!!』――ッ!!』


 鋭い警笛のような”声”が場を切り裂いた。オリヒメ様である。ついに堪忍袋を切らしたか、珍しく”声”を荒げている彼女は、美麗な眉尻を引き上げて一歩前に進み出たかと思えば、”ウシヒコ”の名でもって縛った旦那に向かって袖を一振りした。すると、その桃色の袖口から同じ春の色をした糸が幾筋も飛び出し、ウシヒコの体をぐるぐると巻き上げて行く。


『もう、いつも貴方はすぐにヒトに迷惑をかけて! あの方も困ってらしてるでしょう! 恥ずかしいから止めなさいといつも言っているでしょう!?』


『あ、わ、も、申し訳ございません、オリヒメ様!』


『その台詞は聞き飽きましたわ! そんな安い言葉、何の価値も無いのです!』


 語気を荒げてぎゅうと強くふん縛った旦那は、海老反りに固められている。体を締め上げられる苦しみに、苦渋に満ちた悲鳴を上げる彼だったが、時折若干喘いでいるように聞こえる時があるのは気のせいだろうか。いや、気のせいだ、気のせいに違いない。あったとしても、生理的なものだろうそうだろう。そうさ、顔が赤いのも目が潤んでいるのも、きっと生理的なものなのさ。そうだろうそうに違いない。よっし、ウェイパイセンを慰めに行くかぁ~!


『あらあらまあまあ、あれは怒らせてしまったようですわね』


『うふふ、久しぶりです。あんなに怒ってらっしゃるオリヒメさん見るの』


 若草色と黄色の衣の天女さんたちが、まるで微笑ましいものを見るかのように話しているが、その視線の先に居らっしゃるのは、どう見ても女王様とその下僕である。

 いや、俺の目の方がおかしいんだろうか。本当は、あそこで繰り広げられているのは、微笑ましい光景なのかもしれない。そうか、天変地異を経ても、特に体調に変化は無いとは思っていたけれど、やっぱりどっかがおかしくなってしまっていたのかもしれないな。




『や、ヤトよ……、あ奴、あ奴、何某……?』


『あー、オリヒメ様の旦那様だそうですよ』


『ピ』


『今まで遭遇したことは無かったんですけどねー。ってあれ、ウェイの方? どうかしまし――ってウェイの方!?』


 不意を突いて脳内に流れ込んできた弱小ダイレクトメッセージに、生返事のように応答し返せば、途中でパイセンの霊圧が消えたのに気づいた。振り返れば、吹けば飛びそうなほどやつれたパイセンの姿がそこにはあった。俺の肩に縋りつくようにして辛うじて立ってはいるものの、その目には生気がない。


『君……、そうか。……ふふ』


『ちょ、ちょちょ、え……あっ、

 ――常面の方々。ウェイの方は、どうもご体調が優れないようです。此度の災禍の後、方面を駆けずり回って居られたのでしょう。少し休ませて差し上げては下さいませぬか?』


 付近でおろおろとしていたイツメンの方々へ向けて緊急要請を遣せば、彼らはワタワタとこちらへ駆け寄ってくる。そこで速やかにパイセンの受け渡しが完了すると、彼らは手を振り、何処へか向かって去って行ったのであった。


 ――パイセン、すんません。

 心の中で、誠心誠意込めた合掌でもって、遠ざかるその背をお送り申し上げた。


 ……それにしても、いままでウシヒコに遭遇しなかったことが奇跡としか思えない。あの様子じゃ、何らかのセンサーでもって、オリヒメ様に近づく男に反応してやってきてもおかしくあるまいし。

 もしかして、俺の角が悪縁を無意識に感じ取って、絶妙にウシヒコがいる時を避けることが出来ていたんだろうか。


 まあいいや。彼のいる時には、オリヒメ様に近づかないのが吉ってことだね。はー、えんがちょえんがちょ。




 さて。未だに夫婦喧嘩をなさっている彼らのことは置いておいて、付近に集まってきた知り合いの方々の情報でも集めましょうかね。


 ぐるりと辺りを見渡せば、相変わらずの蛍光色に目を刺され、思わず眉間を摘まんで揉んだ。

 なんだこのキョーレツな色彩は。なんなら、先ほどよりももっと煌めいているようなありさまだ。明度30くらい落としてくれ、頼むから。パンクロッカーでも、こんなにギラついてるこたぁねぇぞ。ああ、やっぱりサングラスが恋しい。


 ゴタゴタとひと悶着あったうちにも、この場に集まる神々の数は、さらに膨れ上がっていたのだった。各地から合流する集団が揃えば、神気同士が化学反応を起こして、そりゃあもう凄まじいことになる。


 ヒトビトの間を縫って歩けば、ざわざわと互いに話し合う神々の話を拾うことが出来た。話題は、この謎の天変地異のことで持ちきりだ。

 やっぱり大多数の神々が、先ほどの嵐の中で一度形を失ってミンチになってから再構成したらしい。そのせいで力の大半を失ったとぼやいている神々もいくらかいた。

 この場を練り歩くうちに遭遇した、昔から天上界に居られるという天津神に聞いた話では、下界が創られた頃から存在していたような彼の神でさえも、こんなことは初めてだと言う。





 さて、それからも幾ばくかの時が経ち、大方皆の混乱も落ち着いてきたころ。誰が言ったというわけではないが、自然と神々の足はタカマガハラの方角へと向かって進みだした。

 タカマガハラには、この日ノ本の名を冠する最高神が居られるのだ。その強大な気配は、縁を感じ取れる取れないに関せず、皆肌で感じること。その強い光に、自然と在る者共の拠り所となる。


 向かうべくは、今も煌々と宙に浮かび輝く光の球、天の中央部。かの光あるところこそ、この世界の中心なのである。

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