第55話 とあるウェイの神の・ニアリーラスト後編

 それからも爺の神は、全く面白くもない、これまでに幾度となく聞いた長話を説教も交えて延々と語り続けた。酒が入り、よく回る舌に悦に入ったこの神は、隣にて大陸より伝わる仏と言う存在の至る、解脱なる悟りの境地を開こうとしている神の様子には気づきもしない。


 ウェイの神が時代の最先端を駆け、今にも神仏習合を成しえようとしていたその時である。全てを受け流していたその耳に、ついと翁の言葉を拾った。


『全く……近頃は荒地の修復ばかり。下界に召集され、嵐の御神と件の祟り神の戦いの痕を直し、精根尽き果てていたところをまた直ぐこれよ。流石の儂も、ちぃと疲れた』


『しばし待たれよ爺。今、何と言われたか?』


 にわかに瞳の光を取り戻し、その輝きをまき散らし始めた若き神に、爺の神は幾分身を引きながらも先の部分を今一度語ってやった。曰く、嵐の御神と祟り神とが繰り広げた戦いの後、この神は上の神々に呼ばれ、下界の破壊痕を常ある形に戻しに行ったのだとか。


『――で、地上の具合はまっさら。ほんに何もなくてのぉ……ありゃあ骨が折れたわい』


『まっさら、まっさらとな。それは、あの祟り神が……?』


『いんや、あの感じからして嵐の御神にあろうのぅ』


『そうか』


 即時否定された問いに、ウェイの神は特に疑問に思うことも無く納得した。しかしそれもつかの間、すぐにまた新しい疑念が浮かび来る。


『……さりとて、祟り神の瘴気にて、下界に尋常ならぬ被害が出ていたことは風のうわさで重々聞く話。だのに、何故太陽の御方はあ奴を御許しになられたのだろうか』


『それは最終的なあれそれの大体全てが、嵐の御神の御業だったからではあるまいかのぅ。あの弟君は折檻部屋に押し込められたと聞く。あれほどのお方をどうこうなされるのは、太陽の御方の他に居られるまいて。数多の意味で。』


『しかして、祟り神の奴もあの嵐の御神を目の前にして、半端な抵抗をしていたわけではあるまい。御神の術によって塗り替えられたとして、やはり天の法を犯すようなことを仕出かしたのも、また確かであろう。うーむ、どうにも腑に落ちぬ。』


 祟り神にだけ一切の咎めもないとは、やはり妙である。


 眉間に山脈をこさえてウンウン唸っている若き神を尻目に、翁の神は己の盃を傾けちびりと舐めた。


『マ、汝がそう思うのも仕方あるまい。これはあれじゃ、御上の事情と言うやつじゃろうのぅ。

 こちらが化け物として滅しようと思えば、アレは当然抵抗することじゃろう。その場合の被害の方が凄まじいと、太陽の御神は踏まれたのではないかの。逆に考えてもみよ、彼の嵐の御方ともあろう方があれほど下界を犠牲にしてもなお、アレは滅されなかったのじゃ。


 ……ほんに、あの痕は凄まじかった。まことに真っ新であったのじゃ。山も谷も森も、何もかもが無い。ただ一帯の死んだ大地が広がって居るのみであった。その様、黄泉よりも更に凄まじき……』


 そこで体をぶるりと震わせた翁の神は、ぐいと一気に酒をあおってやけくそ気味に言い捨てた。


『アレに理性と狂気に染まらぬ心があるというのならば、むしろここに置いて監視しておいた方が良いとご判断されたのであろうよ。それに、恩も売れることじゃしのぅ』




 暫く、老若の間には静寂が広がっていた。どちらも何を言うでもなく、ただ静かに辺りの喧騒を眺めやって、時折己の手に持つ酒を口に含みやる。

 どこからかともなく聞こえ来るは、伸びやかな歌に陽気な囃子。笑い声散る酒の席は、真に賑やかなものである。


 そんな中、ウェイの神は先日の審判を思い返していた。


 ”もしも”と、前に置いて太陽の御神直々に仰せになられたことは、祟り神がこの場より”帰る”ことが出来ないとしたらば、というもの。それに対し、奴は実に真っすぐにこう答えたのだ。


 『それは困り申し上げる。私は故郷で待つ友に誓ったのです、必ず帰ると』

 

 あの時は特に気にも留めなかった問答であるが、もしかすると御神は彼の神を試していたのかもしれない。


 あの言葉は”約束”をしたということに他ならなかった。なれば、奴は必ずその”友”とやらの元へと帰るのだろう。――そのためになら、何をしてでも、どんな犠牲を払ってでも。


 そこまで考えて、ウェイの神はふるふると頭を振った。

 それはあくまで”もしも”の話。その未来は来であり、今は知らぬ――知り得ぬ話なのである。




『……のぅ、汝よ。本来、堕ちた神は天の空気は毒となる。しかし、何故アレがこの清浄なる天においても平然と存在しうるか、分かるか?』


 嫌に底冷えのする沈黙を破り、ぽつりと翁の神が言う。

 それにウェイの神は知らぬ、と一言気だるげに答えた。


『それはアレが人の子の信仰を受け、和魂にぎたまの性質を得たからじゃろうよ』


『……にぎたま、とは何たるものであるか』


 その答えに、翁の神の面の下から僅かに驚いたような気配が伝わる。


『なんじゃ汝、そんなことも知らなんだか。一概の神ともあろうものが、なんと』


 ウェイの神はむっとして言い返そうとしたが、結局何も言えず、少し顔を赤らめたままうつむいた。

 翁の神も少し呆れたようにしていたが、近くに転がっていた大ぶりの瓢箪をとって己の盃に注ぎ直すと、ふーむと鼻をうち鳴らしながら告げる。


『まぁ、汝は生まれたときからこの天の地にあり、生まれながらに神力を用いていたのだから仕方ないことではあるか。


 よいか、霊力と妖力が陰陽で分かれているように、神力もまた二つにその性質が分かたれておるのじゃ。正しくは、それとはまた別物ではあるがのぅ。

 その二つのうちの和魂にぎたまとは、すなわち調和である。そして、それとは別に荒魂あらみたまがあり、これは破壊の性質を持つ。そして、神力は二つで一つ。どちらの性質が欠けても、神として有ることは出来ぬのじゃ』


 ここまでは良いか、と尋ねる爺の神に、ウェイの神は半ば寄り目がちになりながらも是と答えた。爺は軽くそのふさふさとした豊かな眉を上げ下げすると、仕方がないと言った様子で続きを語り始めた。


『よいか、二つが揃って初めて神力として、ひいては神として成り立つのじゃ。我らもぞ。そして常ある祟り神には、荒魂の性質しかない。それゆえ、存在が不確かであり、何もしなければ自然と崩壊してゆくのじゃ。そして清きこの天の地の空気は、きゃつらにとっては猛毒にも等しい。常ならば一寸と持たずに消えゆく定めよ』


『しかし、この地にも祟り神は少ないながらにも在ると聞く』


『それは、其らが和魂の気を得たからじゃろうのぅ』


 ウェイの神の反論にも、爺の神は動じることなく切り返す。すると、若き神はいぶかしげな表情をして聞き返した。


『和魂を、得る……? そんなことが出来うるのか?』


『出来る。汝、神力をより高めるとすれば、如何する? ああ、修行以外でじゃぞ』


『……そんな都合の良いものなど……あ、もしや、人の子か……?』


 ウェイの神の答えに、爺の神は満足げに頷いた。


『力にはそれぞれ異なる性質が付随しておるが、霊力はどの力でも増幅させることができるのじゃ。その霊力をもつ人の子の信仰、ひいては願いが、本来もち得ぬ力を創りだすことすらある。……まあ、きゃつらの信仰を我らが糧とするには、少しばかり面倒なことがある故、そう簡単にはいかぬのじゃがな』


『それじゃあ、あの祟り神にも?』


『そうなのであろうのぅ。成って数刻と経たぬ時にすでに和魂の気を得ていたとなれば、アレもおかしいが、信仰を寄せる人の子らの方も大概じゃな。


 ……元より相当に慕われていたのじゃろう。一体、何があったことやら』


 そこまで言って爺の神はぐびりと酒を煽って盃を空にすると、ぽんと己の膝を叩いて軽やかに立ち上がった。


『やれやれ、こんなしみったれた若造の相手をしても疲れが増すだけよ。儂は麗しき花の女神たちの元へ行くからのぅ、せいぜい良い相手でも見つけるのじゃな』


『そちらが勝手に来たのであろうが、くそじじい』


 それには返さず、ただ枝のように節くれだった手を二、三度振って爺の神は去って行く。

 ウェイの神はケッと嫌そうに歯をむき出したが、去り行く爺の神の後ろ姿をどこか優しい眼差しでじっと見つめたままでいた。




『……慕われる、か』


 ふと、その言葉が口からこぼれ出た。

 何故だか急に嬉しくなって、ウェイの文言を用い、ひとり酒を一息に干した。


 しかし、その時である。周囲の喧騒がひときわ激しいものとなり、それが楽しげなものではなく、どこか緊張した空気をはらんでいることに気が付いた。

 はっと祟り神の方を見やれば、騒ぎの渦中にある。何やら酔いどれた神に詰め寄られていたが、その困り果てた様子を見るに、一方的に絡まれているようであった。


 急いでウェイの神が駆けつけて見れば、彼の神は丁度酔いどれに胸ぐらをつかまれて、酒臭そうな息を吐きかけられていた。その問答の”声”の大きさに、意識せずともその内容が頭に入って来る。


『ナァ、オイ、貴様は、まことに祟り神であるか』


『そうだと言っている』


『だったらなぜ、我が父上はあのように狂われてしまったのだ……、何故、お前だけが……!

 ……そうだ、貴様が誠に祟り神であるというのならば、ここで証明して見せよ。貴様からは瘴気のかけらも感じ取れぬ。祟り神とは瘴気を纏うものであろう!』


 眉根を下げた祟り神に、逆上した酔いどれが唾を吐き散らし叫びを上げる。


『貴様がまことに祟り神であるのならば、今、この場でその力を見せて見よ。ほれ、やって見せよ!』


 わあわあと煽る酔いどれであったが、言うことは確かに神々の気になるところであった。

 この黒き神は、身なりは異質なれど、あまりにその祟り神たる狂気の欠片も見受けられない。その正体を信じていないというわけではなかったが、やはり気にはなっていたのである。


 自身の興味の求めるままに。神とはそう在るものだった。

 だから、この場に在る者に、誰ひとりとしてこの騒動を収めようとするものはいなかった。――ただひとり、ウェイの神を除いて。


『待たれよ、待たれよ! それはそ奴には関係のないことであろう! 誰かその酔いどれを離さぬか!』


 しかし、ウェイの神の”声”が届くこと無く、彼の神はとうとう口を開いた。


『貴方が言われたこと。何が起きても怒りなさらぬよう』


 赤光が放たれた。




 瞬間、ソレは場を支配した。凄まじい圧。圧倒的なまでの格の差。

 刹那、理解する。これはだめだ。狂っている。


 怒り。怒りがある。だけれどこれは我らに向けられたものではない。

 誰に? 知らぬ。知らぬが知りえたことではない。知りたくない。

 こんなものを己の内に閉じ込めておいて、歪まないわけがない。壊れないわけがない。――しかしアレは正気だ。


 正気? 奴は正気などではない。狂っている。そうであろう。そうであってくれ。

 この狂気の中に正気で立つアレは狂っている。




 ソレから発っせられたおどろおどろしい瘴気の霞が、その一点を中心として清き天上の地を焦がして行く。瘴気に触れた緑の若草は、萎れ、腐れ落ちて黒くなる。黒く染め上がった地は沸騰している。ボコボコと沸き上がる気泡は次々に爆ぜて、新たな瘴気を生み出した。


 壊れて行く。全てのものが、死んでゆく。


 それは確かに穢れ。怨念の集大成。

 ソレの中身に蠢くもの。怒りであり、絶望であり、狂気である。




 ――ソレは、確かに祟り神であった。

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