第49話 とあるウェイの神の・前編

 常春の天上界にその知らせが入ったのは、平穏を好み穢れを嫌う神々が、動乱の世に入っていた下界から暫く遠のいていた時のことである。




 ―――数刻前にとんでもない力を持った祟り神が下界で生まれたらしい。


 突然、倭国の天上界の首都たるタカマガハラに、そんな情報が舞い込んだ。


 祟り神の発生自体はそう珍しくも無く、そこかしこで勝手に生まれては自然に消えてゆくものであったから、常ならばさほど波風立てるような騒ぎになることも無い。


 しかし、今回は違った。みな口々にその新しく生まれたとかいうソレについて好き勝手に語り合い、自分の持ちえる情報を交換してはより多くを求めた。


 曰く、姿かたちは巨大な蛇であり、数里にも及ぶ細長い全身からはおびただしい量の瘴気があふれ出し、既に東の平野の大部分が焦土と化しているのだとか。しかも、その力の強大さから見て、それが自然消滅するまでにかかる時間は数百年を要するとのこと。

 討伐隊編成が考えられるのは当然の流れと言えた。腕の立つ者の名が列挙され始め、全体的にそわそわとした雰囲気がこの天の地に広がり始めていた。




 それだけでも大した一報だったというのに、その数刻後さらに降って湧いた知らせは全天を震撼させた。


 ―――あの三貴子が一柱スサノオが、件の祟り神を連れてタカマガハラにやって来るらしい。


 変わりない日常に飽き飽きしている神々は、基本的に噂話が大好きなのである。常日頃から、些細なことでも刺激を求めていたのだ。

 そんな折にふって湧いて出たその話は、半刻もしないうちに千里万里を越え天界中を駆け抜けた。空を飛んだり術を用いたりと、人知を超えた存在である各々の持てる最速の技術にて数多の神々の神域を経由し、瞬く間にその情報は広まった。


 そうして、国中の神々がタカマガハラに集ったのである。




 その神は、このようにしてこの地にやって来た神々のうちの一柱であり、それなりに古きよりある神であった。

 古に生まれし神々とは、往々にして兄弟姉妹が数十柱単位であることが多い。原初に生まれた高名な神々の兄弟の子孫の系統にあたるその神は、元をたどれば自分が原初の神々の親戚筋であることを、いつも誇りに思っていた。


 その神はいつも仲間内で「ウェイ」という文言を多用し、呼応し合っては気力を高め合っていたことから、仮にこの神を”ウェイの神”と称することとする。




 そのウェイの神が、いつも共にある仲間を引き連れ太陽の神の住まわれる御殿にたどり着けば、既に数多の神々が御殿の周りにひしめき、今か今かと噂の根源の到着を待っていた。


 ウェイの神が着いてそうもしないうちに、その時は訪れることとなる。

 莫大な神力の波動がにわかに真下より近づいてきたかに思えば、金色の雲の地を轟と突き破り、破天荒な嵐司る神が吹き荒ぶ暴風と共に現れた。


 突然にして現れた彼の嵐の三貴子が一柱は、雲の地に何か黒いものを打ち捨てると大股に太陽の御殿に歩み寄り、その戸口を叩き割らんばかりに殴りつけた。


『姉上! スサノオが参った!!』


 その振る舞いは流石はスサノオそのヒトと申すか、前々から神々のうわさを通して聞いていた通りと申すか、何と申すべきか―――そう、”豪快”なものである。


 ウェイの神はこの嵐の神が黄泉に向かわれて以降に誕生した神であったので、実際のその雄姿を目にするのは初めてであった。そうして思わず隣に並ぶ仲間と共に、呼応の文言たる「ウェーイ」の言葉を発してしまう。


 言い伝え通りのその振る舞いに神々の目が集まる中、もぞりと視界の端にて黒い塊が身じろぎをした。天上界にはめったに見ることの無いその色彩。異質なモノ。


 今度はソレに向け、数多の視線が突き刺さった。

 ざあ、と聞こえるはずのない音が木霊したかに思うほど、それは一糸乱れぬ動きで焦点を結ぶ。あまりの眼差しの数に貫かれ、空気が一瞬にして凍り付いたかのようであった。


しかし、槍のように鋭い視線を一身に受けながらも、その生まれたばかりの神は物怖じすることなく自然な動作で立ち上がると、優雅な所作で乱れた装束を整え、凛と背筋を伸ばしてまっすぐに御殿を見据えた。その様、とても狂気に呑まれた者の末路とは思えぬ。




 ―――あれが件の祟り神なのだろうか。それにしては瘴気の一つも無く、まるで健全。


 不浄の者であっては、存在を保つことすら出来ないであろうこの清浄な空気の流れる天上界にあっても、一切苦しむそぶりを見せない。それはすなわち、その者が祟り神と言う尋常ならざる身に在りながら、完全に己を取り持っているということの証明でもあった。


 自分の社を持ち、それを媒介として民の信仰を受ける者ならいざ知らず―――そういう例はこの天上界にも幾例かあった―――この生まれて数刻と経っていない者が其処まで至っているという光景は、最早異様と言うほかにない。


 異質。真に異質である。

 己自身を削りながら、それを対価として莫大な負の力を得ているはずの祟り神。当然、禁忌に当たるその行為の代償として、精神は狂気に堕ちるはず。そのようにして瘴気を噴き出すその身は清浄と対極の位置に在り、この天上の空気は毒とすらなることだろう。


 この天の地に在れる祟り神の条件としては、民の祈りによりその崩壊した精神を取り持つことである。何らかの力によって、その存在が保護される必要があるのだ。


 つまり、この者は何者か・・・の力によって守られていることになる。


 生まれて数刻と経たない祟り神にそのようなことがあってたまるものか。理から外れた存在に、人は自然と厭忌の念を抱くであろう。それに人々が直ちに信仰の念を送ったところで、狂い果てた祟り神がそれを素直に受け入れることなどあろうか。常ならば、まずこんなに鎮魂の儀式が円滑に進むことはない。


 祟り神に関する理論の一切を覆して成り立っている目の前の存在は、新しい物好きのウェイの神にとって実に興味をそそられる相手であった。それは気質の似た彼の仲間も同じ。






 その後の問答を恙無く終えた祟り神は、共に来し嵐の神の暴れながらに連行される様を見て、どこか困惑したようにぽつねんと佇んでいた。


 異質の祟り神に対する問答は実にまともであった。いや、むしろ其処らの神々と比べてもなお、しっかりとした倫理観と道徳的思考を持ち得ていた程である。

 だというのに、その隣にあった古の高貴なる神の受け答えの方が、問題より他に無かったというのは如何なる有り様か。


 各言うウェイの神も問答に誘発されてここ数百年の自らの行いを省みてみれば、多少思う点がいくらか見つかったものだから、整った顔をしわしわと窄めてその顎に梅干しを生やした。そしてふと周りを見れば、同じ考えに至ったであろう仲間達が皆同じように丸めたちり紙のような顔をしており、いつのまにやら周囲は鈴なりの梅干し畑と化していた。


 神には縛られることがないので、各々やらかした記憶が少なからずあり、時間差で心に酷い打撃を受けたのである。




 さて気を取り直したウェイの神は金色の雲の地を一蹴りすると、一飛びにひとり取り残された祟り神の元へ向かった。諸々引きずらないのがこの神の長所であり短所でもあった。

 その後を数名の仲間達が追って行く。


 ウェイの神とその愉快な仲間達はなかなか新しいもの好きであったが、その中でもウェイの神は初対面だろうが気になったもののところへ迷いなく突撃しに行くような足の運びの軽さを持ち、交流力の大変強い、話好きの神として仲間内で有名であった。


『其方の名はヤトノカミと言うのか』


 最高神との対話の中で挙げられたその名を告げて見れば、件の神はこちらをくるりと振り返ると、血のように赤い虹彩をもつ三つ目をこちらに向けた。天上界の明るい日差しを受けて、その瞳孔は猫のように細くなっている。


『如何にも、私がヤトノカミにございますが……』


 怪訝そうにこちらを見やる様は、どこか警戒しているようにも思える。耳の後ろから生える帯のような形状をした器官が、一度ゆらりと揺れ動いた。と、その美しき絹の紫の中にほんの一瞬、一筋の橙の光が散る。

 それにウェイの神は瞳を輝かせた。


『おお、そのひらひらするは何ぞ。いと美しき紫にあるな。触っても?』


 そう言うなり、ウェイの神は返事も待たずに祟り神のその装飾を鷲掴みにした。

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