第43話 真夏の天気はいい天気

 天を仰げば、青い空に白い雲。もくもくと聳え立つ巨大な入道雲は綿あめみたいにふわふわだ。辺りを囲う山々からの蝉の大合唱は、大変元気いっぱいでよろしいことである。

 これぞ夏の日。アイス食べたい。


『ってことで、守り神様の神力教えてください!』


『何が”ということで”なのだ、唐突な……』


 何の脈絡もなく隣に腰かける守り神様に話を振れば、困惑したような金の瞳がきろりとこちらを向く。


『はぁ、お主のことじゃ。どうせ何も考えて居らぬのじゃろうの、仕様のない……妾の神力は、雨を降らせるものじゃよ。

 あとお主。前に妾の名を教えたであろう。そちらで呼ばんか』


『あれって名前で呼んでもいいってことだったんです?』


 名前。そういえば別れ際に教わっていたな。あれから随分時が経った上、一度きりしか聞いていなくたって、あれほどの衝撃でもって叩きつけられたのだ。忘れるはずもない。


『えっと、じゃあ……ヒサメ様?』


 ヒサメ。とある物語の主人公の、その相棒の名前。

 守護するべき愛する村を物語のラスボスたる邪悪な祟り神に破壊されつくし、恨みの念に身を焦がされながらも決して堕ちることの無かった誇り高き龍神の名前だ。


 その名で呼べば、幼女姿の蛇神・・は満足げに目元を緩ませ笑った。


『ふむ、悪くないの。わしもお主のことはこれからミコと呼ばせてもらおうかの』


『おぉ、魂ネームの方ですね。最近そっちで呼ばれることが少なくなっちゃったんだよねぇ……です。まあ外で自己紹介するときはヤトノカミで通してるからなんですけど」


『そちらの方がよかったか?』


「いいや、やっぱり前の名前の方がしっくりくるなって実感したとこ。……あ、です。

 ヒサメ様にはそっちで呼んでもらった方が嬉しいかもです。なんてったって故郷の守り神様なんだからね……です」


『……そうかの』


 何をするでもなく、こうして守り神様と二人で物思いにふけるってのも悪くない時間の過ごし方だな。

 再び頭上を見上げれば、相変わらず青い空に白い雲。今日もいい天気だなぁ。




 社の屋根の上なんて目立つところに腰かけている俺も守り神様も思いっきり人外の姿をしているけれど、目の前を過ぎ交う人々はこちらを見向きもせずに通り過ぎてゆく。

 まるでこちらのことが見えていないかのように。……まあ実際そうなのだけれど。


 今はふたり揃って幽霊と同じような体質に変わって、オババのような”視える目”を持つ者の目にしか映らなくなっているのだ。


 下界に姿を現す、つまり干渉するのに、気張って常時神力消費にしなければならない守り神様は、この幽霊モード状態にあることで、完全に世界に”存在”しないほどの割合で”在る”ことで省エネをしているんだとか。

 神力純度100%の神様が下界に存在しようものなら、強制的に神力が垂れ流しの状態になってしまうらしい。適さない世界で過ごすとはそういうことだ。


 下界にいても、特に影響を受けることのない俺が幽霊モードになる必要は本当はないのだけれど、この状態になると、物理法則無視で浮いたり壁のすり抜けが出来るようになって便利なのだ。それにほとんどの人から認識されなくなるってのもミソである。俺のヒトガタの見た目って、結構不気味だと自負してるからね。


 神様に適した環境の天上界で過ごす方が楽であるはずなのに、何故下界で過ごしているのかと問えば、仕事だと返された。自然を司る神であるヒサメは、ここら一帯の土地神として下界のメンテナンスをしているらしい。管理者的な仕事を上から申しつけられているのだとか。

 その時に守り神家業を同時に運営することで人々から信仰を集め、これを神力に還元して下界での存在を保っているらしい。信仰……というか、人々が守り神様に向かって感謝やら何やら念ずるとき、それが力の波動となって伝わってくるんだってさ。

 よく分かんないけど、とりあえず信仰ブーストは結構な力の還元率を持っていて、受けといたほうがお得ってことでいいか。






 ぼぉっと高い位置にあるこの社から村を見下ろせど、行きかう人々の姿に、思い描く人の姿はない。いつでも一緒にいてくれた、この世界での心の友。


 あいつは―――マタヒコは、俺が村を後にして二、三年たった頃に起こったある戦にて戦死したらしい。その戦いで負けたこの村も、領地丸ごと別の大きな国の属国となったようだ。俺がいない間に下界の情勢も刻々と移り変わっていたようであった。今は西の大国が強い強い。東北と西南の国も頑張っているらしいけれど、少し経てばどうなることやら。




 あいつの最期は、部下を守って代わりに矢を受けたって聞いた。心臓を一突き。あっけなく死んだらしい。


 道理で見当たらなかったわけだ。

 村に戻ってからあいつの姿を探せど探せど、それらしき姿はどこにもなかった。

 真相は、俺の様子を見て察した守り神様が教えてくれた。言葉には出していなかったのに、さすがというか何というか。俺の気持ちなんてお見通しなのだろう。


 その事実を口にする時、守り神様は眉根を寄せて、言いづらそうに一言一言話してくれた。

 全てを聞き終えた時、少しさみしい気持ちになったものの、すぐに気を取り直した。


 だってあいつとは、魂タイプの強い縁で結ばれているのだもの。俺はちゃんと村には帰ったし、縁パスは消えたわけじゃない。なら、何時かはまた会えるはずなのだ。だからまだ、約束は破られてはいない。だから、きっとまたいつか会えるはずなんだ。


 そう言えば、守り神様は一層悲痛な顔をした。


『でも何でだろう。あいつの縁の行方、分んなくなっちゃってるんだよなぁ』


 そうなんです。確かに繋がっているはずの親友君の縁を辿ってみれば、途中でファーッと雲散してしまっているんです。はー、困った困った。

 帰ってくるのは、「三つの世界のどこでもない、しかしどこでもある」というバグったような反応ばかり。完全に探知不可能の領域に行ってしまっているらしい。

 だけど、次元を超えた縁の感覚とはまた少し感覚が違った。


 母さんや、自称神のヤローとの縁が途中でぷっつり気配が断たれているのに対して、こちらはもやぁんと途中で霞のように薄れて曖昧になっている。この次元内のどこかにいるのは分かるのだが、なんかこう……すべてに反応があるというか、空気中の成分と同化しているというか……? どこにも確固たる存在がないのだ。でも縁の先端はまとまって、しっかりと俺につながっている。妙な感覚だ。


 『それはおそらく、輪廻転生の間におるのであろうの』


 独り言ちた疑問に、守り神様は答えてくれた。


 『輪廻転生?』


 『すべての魂は次の生を受け、転生して回っていくのじゃ。今はまだ黄泉の国におるかつての王たちも、満足すればいつかは転生していくことじゃろう。今、マタヒコの奴は次の生を受けるために、一度魂が真っ新になっている途中なのじゃ。次に生まれてくるときには、生前の記憶はすっかり消えてなくなっておるだろうの』


 そこまで言って一息ついた守り神様は、今までどこか微妙にそらしていた視線を、しっかりとこちらに向けて告げた。


 『ミコよ。大方、縁を辿って奴に会いに行こうとしておるのじゃろうがの、次に会った時にはお主の知る存在ではなくなっておるじゃろうよ』


 『……ふぅん』


 忘れられてたら、それは悲しいことだなあ。

 だけれど、忘れていようがいまいが会いに行かなくちゃなんないんだ。だって、あいつと交わした”約束”なんだもの。破るわけにはいかないよ。

 それに会ってみれば、もしかしたら思い出してくれるかもしれない。何だかんだ言って忠義の塊みたいなあいつのことだ。”もしかしたら”があるかもしれない。

 どのみち親友の行方については追い続ける。何があっても。

 

 俺の意思が変わらないのを察した守り神様は、憐れみとも悲しみともつかぬ表情を顔に浮かべて、ただ一言『そうか』と言った。






 ぽっかりと空に浮かぶ、綿菓子のような白い雲。アレの正体が水蒸気で出来た霧で、甘くもなんともないなんてことは当然知っているけれど、なんとなく食べたら美味しそうって思う。


 ふわふわとしたそれを口に食むことが出来たならば、一体どんな味がするのだろう。

 思わず空に向かって手を伸ばす。黒い鱗に覆われた手は、宙を掻いて何も掴むことはない。


 近く見えど、実はずっと、ずぅっと遠い。そんなことは知っている。知ってるんだ。


 目を閉じれば、蝉の声。みんみみんみと忙しなく鳴いている。途切れることなく、ないている。

 幽霊の体質を模したこの体は、夏の暑さもすり抜けて何も感じることはない。茹だるような暑さも汗ばむ陽気も、何もない。何もない中に、どこからともなくなき声だけが聞こえる。




 あーあ、今日もいい天気だなぁ。

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