第9話 とある古墳人の① 不思議の皇子

 その皇子みこ、カガチノミコト様は不思議なお方であらせられました。

 それは幼少期のころより、良くも悪くも他のご兄弟姉妹方とは明らかに浮き出ておられたのです。




 私は、こが国に準ずる小国の一族長の子でありました。王が住まわれるこの村に、長男である私が従属の証として、齢十の時に奉公に出されたのです。


 初めてその皇子様にお会いしたとき、皇子様は数え年で五つになったばかりでございました。

 出会った当初のころより、皇子様は聡明な方でありました。お目通りする機会を頂いて、初めて顔を合わせた瞬間、その圧倒的な風格に胸が打ち震えたのをよく覚えています。


其方そなたが私の側仕えであるか。これより昵懇じっこんに頼もうぞ」


 声をかけられたのだと理解した時には、気品あふれるその姿より発せられし、凛とした気迫に気圧されて、気が付けば己が頭を地に擦り付けていたのです。五つ下のその少年に、この命尽くして一生お仕えするのだと、そう心から思わされたのでありました。


当時の私は、こんな方にお仕えできるなんて我が身は幸せ者である、誠心誠意尽くす所存などと、それはそれは意気込んでおりました。

 とても五つの子供とは思えない言動と振舞い、御父上であられる王の仰せられたことをすぐに吞み込まれて、王もよく皇子様を可愛がられていらっしゃるように見受けられました。

 その有り様は、時たま、私などよりもよっぽど年上であられるように、感じることもあるほどでありました。




 しかし、出会った日から幾ばくかの月が流れたころ、皇子様は弾け飛びなされました。


 それは本当に突然のことでございました。

 朝方、未だ薄暗い広場を通り、私はいつものように皇子様の元へと馳せ参じようと、我が家から王の居館までの道を歩んでおりました。


 その大きな居館の元へとたどり着いたとき、物見台より、東の地より生まれ出づる、金色の朝の日を眺めなさる皇子様のお姿を拝見いたしました。皇子様は御母上様とよく似た容姿をなさっておいでで、東雲の柔い光に照らさせたそのお姿は、この世のものとは思えない天上の美を醸し出しておりました。


 暫しその姿に見惚れておりますと、あちらもこちらに気が付かれなさったようで、階下を見下ろす大きな丸い瞳と私の視線が交差いたしました。


 「あ、おはよー!! 今日もいい天気になりそうだねぇ!」




 一瞬何方どなたであらせられるかと思ってしまいました。我が主を見間違うなど、我が一生の不覚でございます。しかし、それほどまでに前日までと、態度も雰囲気もがらりと変わりなさって居られたのです。


 まず笑い方です。これまで皇子様は淡く口元を緩ませられるような、高貴な微笑みを浮かべることはあれど、かように歯を見せて笑うことなどありえませんでした。

 それが突然の満面の笑み。それは五歳の子供が浮かべる年相応のものではありましたが、皇子様のご尊顔に張り付くものとはとても思えなかったのです。


 それから眼差しです。私が今まで拝見いたしておりましたのは、ゆるりと瞳を細められて、相手の者の心の内を見据えてておられるかのような、鋭いものであらせられました。が、この時の皇子様は元のまん丸の目を見開き、嘘を知らぬ子供のような純粋な眼よりこちらにきらきらとした視線を送られておりました。


 これまでとの差があまりにも大きすぎて、私は情けないことに硬直してしまいました。




 「俺さ、これからはやりたいことやるようにするんだ! 好きなこと、楽しいことをたっくさんして、満足するような素敵な人生を生きて、最期は幸せに大往生して締めくくるんだ!!」


 瞳を朝日に煌めかせ、宣言するように語られました。そしてくるりと一つ、踊るようにその場で回ると、その姿を完全に現した、生まれたての日輪に面と向き合いました。


「俺はぁ! この生をぉ! 素敵に生きるぞぉお!!」


 そう叫ぶ皇子様は、今まで見たどの皇子様よりも輝いておられました。そこですとん、と私の中で落ち着いたわけです。

 この皇子様こそが、本物の皇子様であらせられるのであろうと。






 それから皇子様は宣言通りに変わられました。


 まず、口調が先のような砕けたものへとお変わりになられました。その唐突な変化に、王は当然のことながら驚き、何とか止めさせようと奮闘なさっておいででしたが、何とか村の外の者への態度を今まで通りになさるよう言い聞かせるのに精一杯で、村の民には皇子様の面の下の本性が知れ渡ってしまうこととなりました。


 といいますのも、後から分かったことですが、皇子様はよく王の目を盗み、粗末な布を巻いただけの姿となって、黙って下民の中へ紛れに行きなさるのです。そこで出会う民らと共に土にまみれ、田に稲を植え、機を織り、子供たちと遊び、大人も巻き込んだその輪の中で、それはそれは愉快そうに声を上げてお笑いになられることが多々ありました。


 その度に居館の方では行方不明の大騒ぎとなるのですが、初めて脱走騒ぎを起こして一年ほど経った時のことです。幾度目かの脱走の現場を取り押さえることに成功致し、どこに行きなさっているのかと問い正しましたところ、皇子様は内緒だぞ、と口に指をひとつ当て、いたずらっ子のように微笑まれたかと思えば、私の側仕えの装束を引きはがすと粗末な布を被せなさいました。そして同じく粗末な恰好になった皇子様は、私の手を引き下民の住まうところまで連れて行きなさったのです。


 乙女のような叫び声をあげてしまったことへの恥ずかしさに顔を覆っていた折、皇子様は居館の外では私に皇子様と対等に接するよう命じられました。

 初めは恐れ多いことと恐縮したものでございますが、ならばと床を縦横無尽に転げまわって大暴れなさり、蝉のようにひっくり返っては凄まじい声量で泣き喚き、このままだと誰かが来てこの情けない姿を見てしまうぞ、私のせいで王の一族の株が下がってしまうぞ、などと脅された時点で―――


 全てがどうでもよくなった。




 元来、私は小国ながらその王の子として、世に生まれ落ちた。

 皇子様のお振る舞いが如何様に他の目に映るのか、それが分からぬほど落ちぶれたつもりはない。


 半ば自棄になった私は側仕えの態度をかなぐり捨て、もと祖国にありしころの私の口調で接した。否、怒鳴りつけた。


 いい加減にせぬか、と。




 本来それは途轍もない不敬に当たる行為である。一つ間違えれば、反乱の意思を持ったと捉えられかねないほど深刻なものであった。

 しかし、そう言わずにはいられなかったのだ。それほどまでに皇子様の子の行動は常軌を逸していた。この大いなる国の頂点に立つその一族の御子がこのような醜態をさらすなど言語道断、ありえない。


 その時は自棄になっていたとも言える。半ば絶望すら感じていた。床に転がる恥さらしを、眼力いっぱいに睨めつけた。


 しかし、あろうことか皇子様は、私のその態度を大変御気に召されたようで、にやりと悪い笑みを浮かべたかと思えば、直前までの癇癪をぴたりと止めるとすくりと起き上がり、何事もなかったかのように居住まいを正した。


 「外では俺のことはミコって呼んでよ。それならばお前も呼びやすいでしょ? これからはお前も共犯者なんだからな、自覚をもって真の有様で励むように!


 よろしく頼むぞ―――我が友よ」


 クク、とその幼い面持ちに色気すら醸し出し、喉を震わせ笑った。






 皇子様、もといミコは本当に酔狂なお人である。

反抗的な態度をとる、こんな取るに足らない小国の王の子である私を、対等に扱かおうとしたのだから。


 その時の私は、何か得体のしれぬものとしてミコを見ていたように思う。それはきっと態度にも表れていたであろうし、今となっては申し訳ないとは思っている。

 が、それに合わせ、あの行動をとる方も大概であるともまた思っているのだ。

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