第15話
「痛い、実梨さん酷いです…」
熱を持った両頬、腫れてはいないだろうか。伸びた頬をむにむにと捏ね繰り回し元に戻す。
「起きない瑠里ちゃんが悪いからね!?むしろ頬っぺた引っ張るだけで許した私を褒めてほしいくらいだけども!?」
「私のほっぺ付いてます?取れてないですか?」
ジンジンと痛みが引かないまま、疲れて寝てしまったがどれくらいの時間が経っただろうかと腕時計を見ると一時間ほど経過していた。
そういえば先ほど実梨が言っていたが、入学式はいつの間にか終わっていた。
僕にしては早く起きたものだ。昔なら一度寝たら八時間は起きなかったのに。座ったまま寝ていたせいか眠りが浅かったらしい。
「ねえ、誰かこの子をぶん殴っても許される権利が欲しいなぁ…!」
実梨が僕のネクタイを掴み、拳に息を吐きかける。怒りのあまり口調が荒くなっている。これが彼女の素なのだろうか。
そんなことを考えている間にじりじりとにじり寄ってくる彼女。なぜ僕の周りの女の子はこんなにも恐ろしい人ばかりなのだろう。目の前の怒りの化身が涙で滲んでいった。
「そんなに怒らないでください。顎に頭突きをしてしまったことは謝りますから。お願いだからその手を下ろしてください。殴られたら泣きますよ?ええ、それはもう大きな声で人目を憚らずわんわんと。いいのですか入学初日からクラスメイトに暴力を振るったなんて噂が流れてしまえばこれからの高校生活が台無しになってしまうのでは。嫌ですよ、私の数少ないどころか唯一の友人がそんな寂しい生活を送るなんて。いえ、正直に言えば私以外の友人なんて居なくていいなどかけらも思っていないのです。ですからまずは落ち着いてその手を下ろしましょう?」
「早口で何言ってるかわかんないし瑠里ちゃんが泣いてるところみたいから思いっきりいくね。さあ、歯ぁ食いしばって?」
あ、死んだ。僕はこの阿修羅に殺されるんだ…。舞里、婆ちゃん、朝倉先輩今までありがとう。あ、あと爺ちゃんも。
心の中で仲の良かった人に別れを告げ、覚悟を決めて目を瞑り構える。
「ふーん良い根性してるじゃん。その度胸、嫌いじゃないよ。わかった一撃で終わらせてあげる」
緊張の瞬間。
周りのクラスメイトたちも固唾を呑んで見守っていた。
しかし二回の柏手が僕たちの間を通り抜け、張り詰めた緊張が解けた。
一瞬の静寂の後、
「はいはい、そこまでにしましょうね〜。もうすぐチャイム鳴っちゃうわよ〜?」
いつの間にか教台の前に立っていた女性が和やかに笑っていた。
「入学早々、仲がいいのは良いことだけれど喧嘩とはいただけないなぁ。篠咲実梨さん?」
よく見ると口元は笑っているが目が笑っていない。
「げ、先生…予想ではあと五分くらい時間あると思ってたのにずいぶん早い到着ですね?」
「なーんか嫌な予感がしたからね。ばっちり当たってたみたいだけど。それで?篠咲さんは入学初日から停学になりたいのかなぁ?」
「エスパーかなにかですか先生は…はあ、勘弁してください。ただでさえ特待で入って品行方正にしなきゃいけないんですから」
「あら、素晴らしかったわよ?新入生代表挨拶。あんな真面目そうな篠咲さんがまさかこんな本性を隠してたなんて思いもよらなかったけどね。それで?そっちの今にも泣きそうな子は?入学式にはいなかったわよね」
先生と呼ばれた女性は視線を実梨から僕へと移し、目が合った。
女性はスーツをきっちりと着こなし、後ろで一つ綺麗に束ねられた髪と黒縁の眼鏡からは真面目な性格が窺える。おそらくこのクラスの担任だろう。随分の若い先生だ。まだ20代じゃないだろうか。ともかく担任の先生が男じゃなくて良かった、現実逃避からまだ帰ってこれていないのかそんなことを思った。
じゃなくて、先生に遅刻した理由を説明しなければいけない。入学初日から寝坊とはやってしまった。今更ながら後悔が重なっていく。
「あ、えっと、夏芽瑠里です。朝寝坊しちゃって、あ、あと学校に来る途中に道に迷っちゃって、それで」
「落ち着いて夏芽さん、責めてるわけじゃないから。朝いなくて気になったから聞いただけだから、ね?」
「あ、はい…」
怒られているわけじゃなかったのか。早とちりして随分と緊張してしまった。先生の目が鋭く説教をするときの婆ちゃんに似ていたのもあってとても恐怖を感じた。なんて婆ちゃんに言ったらそれこそ説教だ。
「えっと、ひとまず寝坊ついては気をつけてね。通学は今日でわかったと思うから大丈夫だと思うけどそっちもね」
「はい、すみません」
「よし、じゃあ時間も押してるし皆んな席着いて〜」
騒ついてた教室だったが、先生が仕切ってからは静かなもので順調に日程はすすんでいった。
「私の名前は
こうしてクラスメイトと席に着き先生の話を聞くのは一年ぶりだ。入学式には参加できなかったが無事、入学できたんだなと思うと感慨深いものがある。
女の子の体になって男の人が苦手になって、学校に行くのが怖くなって残りの中学生活を不登校で過ごした。
部屋にこもって寝てるか本を読んでるかの毎日だった僕がこうして学校に通えるまで前を向けたことが堪らなく嬉しかった。
「よし、これで今日はおしまいよ。明日は休みだから来週また元気にきてください。それじゃあ気をつけて帰ってね」
気付くと先生の話は終わり、クラスメイトたちは各々帰宅の準備を始める人やさっそく仲良くなったのか教室に残り席に座って喋っている人など様々だ。
僕も実梨のもとへ行こうかと立ち上がるがそこに声がかけられる。
「あ、夏芽さん。あなたはちょっと話があるからついて来てもらえる?」
「わかりました。えっと…」
先生は他の生徒に聞こえないよう声を落として話す。
「そんなに怯えた顔しなくても平気よ。あなたのことについて理事長から聞いてるからそれの確認を兼ねた面談をしたくてね。十五分くらいでささっと終わる予定だから」
「ああ、なるほど。そういうことなら」
そういえば爺ちゃんから一部の教員には僕のことを伝えてあると言っていたのを思い出した。担任の先生には話を通しておいてくれたほうが僕としても気が楽だし助かる。帰ったら爺ちゃんにどの先生に話をしているのか聞いておこう。
そうして僕は言われるがままについていった。すると教室に入るでもなく校舎を出てしまった。
人に聞かれないように外で話すのかと思っていると先生は立ち止まり指を指した。
「ここよ」
それは校舎を出てしばらく歩いたところに建っていた。
学校内には似つかわしくない建物。周りは木々に囲まれ、校舎からは見えないよう隠されているかのよう。池には鯉が泳いでおり道には石畳や砂利が敷き詰められている。こじんまりとしているがそれはまさに日本家屋だった。
「昔は授業で使ってたんだけどね。滅多に使わないから意外と知られてないの。ここなら生徒には聞かれないし、他の先生も入ってこないから気兼ねなく話せるわ」
先生は扉を開き靴を脱いで中へと入っていく。
「夏芽さんもいらっしゃい」
「あ、えっと失礼します」
僕も足早に靴を脱いで家へと入っていく。人の家にお邪魔するかのような緊張感に襲われながら先生のあとを追いかけていった。
先生が客間の襖を開けるとなんと部屋の奥には爺ちゃんが座っており、お茶を啜っていた。というかめちゃくちゃ寛いでいた。
無気力少女は眠れない 夢見茅 @Yumemikaya
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