十九日目

 僕は最寄り駅の東口の改札前にいた。今日はここで、彼女との待ち合わせだ。

 現在、時刻は十一時十四分。待ち合わせ時間は十一時だが、恐らく彼女はまだまだ遅れてくるだろう。彼女が待ち合わせを守ったことは、ほぼ一度としてないからだ。

 今日は晴天。既に気温は三十五度を超えている。待ち合わせ時間の十五分前から来ていた僕は、もう汗がダラダラだった。僕はリュックから、ペットボトルの麦茶を取り出す。この三十分で、一リットルの麦茶を飲み干してしまった。


(一体何を買うのだろう……?)


 今まで彼女が、あんな改まった口調で買い物に付き合え、なんて言ってきたことはなかった。大抵の場合は大した買い物じゃなく、どっかへ遊びに行ったついでに軽く寄っていく、みたいな感じだ。


(もしかしてこれって……これってデート?)


 そう思うと、僕はいやに胸が高鳴った。頬も火照ってきてしょうがない。二十も半ばになって、どれだけウブなのだろうと、自分で恥ずかしくなってきた。


 ……いや、違う。熱中症になりかけているのだ。


 さすがにヤバいと思った僕は、駅のコーヒーショップに駆けこんだ。そして彼女には、「二階のコーヒーショップに避難する」とメッセージを送った。


 だが、どれだけ待っても彼女から返信は返って来なかった。


 チャット欄には「送信済み」と表示されている。彼女のスマホに何かあって見ることができず、改札口に来ちゃった? 僕は不安になり、元の待ち合わせ場所である改札口に戻った。

 しかし、やはりいなかった。

 僕は待てば待つほど、不安が募っていった。駅のコンビニで涼むなどして、何とか待ち続けること二時間。さすがにこれほど遅れたことはない。

 僕は彼女に電話をかけてみた。

 ――出ない。

 かけ直すこと二十回。怒られるかもしれない。だがさすがに、常識的に考えて何かあったと思っていい頃だろう。

 カチャ。

 やっとのことでつながって僕は開口一番、「どうしたの?」と聞く。

 すると、いつになく弱々しい彼女の声が返ってきた。

 ――そして、彼女に言われたことをオウム返しにしてしまった。


「……おばさんが、救急車で運ばれた?」




 僕はバスに飛び乗って、団地から二十分のところにある病院へ急いだ。

 言われた病室の前のベンチに、憔悴した彼女が座っていた。その表情は、僕が見たこともないような痛ましさだった。


「……薬の飲むタイミングと量を間違えて……、一週間入院だってさ」


 彼女は、絞り出すような声でそう言った。


「今までも、何度かあったでしょ? 昔からガサツっていうか、思い込みで薬飲んじゃったりして……。でも、今回はさすがにちょっとヤバかったね……ハハ」

「笑いごとじゃないでしょ」

「……うん、ゴメン。お前も知っているようにアタシの母、メンタルがちょっとアレだから」


 彼女の言うように、彼女の母親は昔から精神のバランスが危ういところはあった。だが彼女の様子からして、さらに良くない方向へ転がっているようだ。


「今やっと落ち着いて、眠ったところなんだ……、だからちょっと会うのは……」

「分かっている。僕が来たことも伝えなくていい」


 ふと、彼女は大きくため息をつく。喋りにくそうに言葉を一つ一つ紡いだ。


「……今日さ、スーツを選ぶのにつきあって欲しかったんだ」


 僕は「スーツ?」と首をかしげた。


「アタシ、一着も持っていないんだ。本気で就活しようと思ったらいるだろ? でも、買ったことないから選び方とかよくわからなくて……」


 僕は驚いた。彼女は僕が思っていたよりもはるかに現状認識ができていて、将来について考えていたのだ。男に女性もののスーツを買うのを見て欲しいと頼むのはズレているけれど、彼女なりに自立しようと動き出していたのだ。


「……お前みたくもっとしっかりしなきゃって、思った矢先だったのになあ」


 僕は、締め付けられるような息苦しさに沈黙した。窓の外はいつの間にか、太陽がかげっていた。


 「嘘」がバレて、彼女と離れ離れになるまで――あと十一日。

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