第十三話 黒いハプニング

 僕は明莉と一緒にスーパーのバイトから帰ってきた。

 

「じゃ、私は冷蔵庫に買ってきたものを入れたら、洗濯をするね」


「ああ。僕は風呂掃除だな。それが終わったら、夕食の準備を手伝うよ」


「うん、お願い」


 二人で家事を役割分担し、この生活にも慣れてきた。


「アイドルが入るんだから、綺麗にしておかないとな」


 僕は浴槽をスポンジでごしごしとしっかり丁寧に洗っていく。

 指でキュッキュッという音を指で確かめ満足する。


「さて、今日の献立は何かな?」


 風呂掃除を終えて台所に行くと、明莉が玉ねぎを切っていた。


「今日は、サラダと冷ややっこでさっぱりと、メインはペペロンチーノにしようかと思ってます」


「なるほど」


 夏だからさっぱりしつつ、タンパク質や野菜など栄養面も考えられた良いメニューだと思う。

 もちろん明莉が作ってくれるメニューだ。何であろうと美味しいに決まってるのだけれど。


「じゃ、僕はサラダを手伝うよ」


「うん、ありがとう」


 ボウルをテーブルの上に置き、冷蔵庫から野菜を取り出してまずは水洗いだ。

 レタス、キュウリ、トマト、水菜、大根、ワカメを使うことにする。

 大根とワカメでちょっと和風な感じになりそうだ。コーンも美味しいから、次回はコーンを入れて洋風にするかな。

 普段の僕は水菜はあまり使わないのだけれど、明莉が好きなのか買い置きしてある。

 トマトの皮を取りたいので、いったん鍋に水を入れて沸騰させておく。沸騰したら十秒ほどトマトをさっと入れてさっと上げれば、簡単に皮がするりとむけるようになるのだ。ワカメもこの鍋で一緒に煮込んでしまおう。

 お湯が沸騰するのを待つ間、レタスを適当な大きさにちぎり、キュウリは皮むき器で少し硬い緑の皮の部分をこそぎ落とし、スライサーでシャコシャコと薄く輪切りに切っていく。

 大根は千切り状にスライスするが、結構な力がいる。


「トマト、煮上がりました。一口サイズでいいですか?」


 その間に、ペペロンチーノの準備が整ったのか、明莉がサラダも手伝ってくれた。


「そうだね。明莉が食べやすいくらいでいいよ」


「私は、倉斗くんが一番好きな大きさがいいです」


「じゃあ、一口サイズの半分で」


 小さなほうがドレッシングの味も染み込みやすいし。


「わかりました」


 慣れた手つきで明莉がトマトを切り分け、その間に僕はボウルに入れたレタスやキュウリ、それに水菜に塩をまぶして、塩もみする。


「こんなものかな」


 ワカメと大根とトマトを混ぜ、すし酢で味を調え、ごま油をちょっと垂らしてできあがり。

 和風サラダができた。


「ん、アルデンテ」


 明莉のほうはパスタの煮込み具合を確認し、良い感じにできあがったようだ。

 バターで炒めたあさりと玉ねぎとベーコンに、黒胡椒と生クリームを加えたホワイトソースを。

 皿の上のパスタにたっぷりとかけていく。


「美味しそうだ」


「うん」


 湯気と良い香りが漂うのを見て、お互いニッコリと微笑み合う。

 テーブルに皿を並べて、さて、あとは食べるだけ、となったところで、急に明莉が悲鳴を上げた。


「きゃっ、い、いやぁ!」


「えっ、明莉、どうしたんだ!?」


 何かにおびえた様子だが、何なのかがわからない。

 しかも僕に抱きついてきたので、こっちもうろたえてしまう。

 彼女は僕に抱きついたまま、後ろを指さした。


「あ、あそこに、黒い虫が」


「ああ、なんだ、大丈夫、あれはコウロギだよ」


 明莉はGと見間違えたようだが、そこにいたのは長い脚のコオロギだった。


「ああ、なんだ……」


 僕はそいつをそうっと手で捕まえ、網戸の外へと逃がしてやる。


「これで安心だね」


「はい。あの、お恥ずかしいです……」


 明莉がモジモジと手をこすりながら恥ずかしがった。


「まあ、見間違えたんだから仕方ないよ。僕も別の黒いのは苦手だからね」


「ええ、だって、あれは飛ぶ時があるんですよ?」


「まあね」


 素早いスピードで床をカサカサ動かれるのもまっぴらだけど、飛んで向かってこられたら恐怖でしかない。

 僕はその思い出したイメージを振り払うため、パン! と手を打ち合わせた。


「じゃ、夕食にしよう!」


「はい!」


 二人でペペロンチーノとサラダをいただく。


「ああ、このソース、良い味が出てるなぁ」


「でしょう? やっぱり活あさりっていいですよね。砂を吐かせないといけないけど」


「うん」


 それが面倒なので、僕はあさりをあまり食べていなかったけれど、これは好きになりそう。

 氷も入れて冷えた麦茶をごくごくと飲み、明莉とふふっと笑い合う。


 夜、ベランダに出てみると、明莉がまだ起きていた。


「ああ、倉斗くん」


「ダメじゃないか。もう寝る時間だよ。夜更かしは体に毒だ」


「ごめんなさい、もうすぐ寝るから」


「何か心配事?」


「ううん、そうじゃないの。こうしてちゃんとしたレッスンも受けられて、二次予選のステージもこなして、なんだか本格的にアイドルとして活動できてるんだなぁって思ったら、少し気分が高ぶってしまって」


「そう。でも、明莉はよくやってるよ。確実にアイドルに近づいてると思う。ああいや、もうアイドルだったね。ごめん」


「ううん、メジャーデビューはできてないから、それでいいの」


「やっぱり、アイドルになるのは小さい頃からの夢なんだ?」


「うん」


 前に可奈と一緒にステージに上がりたい、そんな話をしてくれたっけ。


「でも、今はそれだけじゃない、かな」


「んん? 何か別の目的みたいなのができたの?」


「はい。握手会をやって、大勢のファンが目の前に来てくれたから。だから、その人たちにも喜んでもらえたらなって」


「ああ、そうだね。ファンを喜ばせるのも、アイドルの大事な目的だと思うよ」


「はい。それと、私、歌うことで誰かを幸せにしたいです」


「幸せ……」


 そこまで考えているとは思わなかった。だけど、明莉の歌にはその可能性はあるし、僕だって聞いていたら心地よくなれる。


「私、アイドルのステージを初めて見たとき、キラキラ輝いてて夢中になって。歌っているアイドルがとても素敵に見えました。そういう子はそんなにたくさんいないかもしれないけど、でもそういうキラキラを誰かにあげられたらなって思うんです」


「いいね。うん、やろう! キラキラをステージでみんなへ振りまくんだ。明莉ならきっとできる!」


「はいっ!」


「じゃ、気合も入ったところで、もう寝ようか」


「ふふ、そうですね」


 明莉がペロッと小さな舌を出したけれど、月夜の明かりにとても可愛く見えてしまった。

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