(3)

 夕食に明莉特製のカレーをたっぷり食べたあと、僕はリビングで満腹のお腹をさすり、至福の時を味わっていた。


「次のニュースです。新人アイドルがストーカーに付きまとわれ、顔を切られるという事件が発生しました」


 思わずぎょっとしてテレビの画面を見る。顔を切られただって? しかもアイドルが。


「犯人は以前から熱心にファンとしてつきまとっていたということで、警察では傷害の容疑で動機を詳しく調べています」


 それも犯人がファンだなんて……

 以前の僕なら、アイドルをファンが傷つけるのは理解不能だったが、今なら理解できる。その男は、アイドルを愛しすぎて、独り占めしたかったのだろう。アイドルは誰にでも優しさと愛想を振りまく存在だ。僕も今日は明莉が別の男と握手するのがちょっと嫌だった。それがファンとアイドルの交流だとわかっていてもだ。


「倉斗くん、お風呂、空いたよ」


「ああ、わかった」


 明莉とは一番風呂に誰が入るかで一度揉めてしまったので、交代制にしている。パジャマ姿の明莉を見られるなんてファンなら垂涎ものかもしれないな。しかも風呂上りで少し髪が濡れている。その姿を見るだけでちょっとドキドキしてしまう。


 ただ……、僕がこのままずっと明莉のマネージャーをやれるわけではないだろう。今は夏休みで学校がないからこそ手伝えるのだ。

 もし、二学期が始まってこの家から明莉が去ってしまったなら……いや、そうなったとしても僕は明莉を傷つけることなんてしやしない。それより、僕が明莉と一緒に住んでいるなんてことが熱心なファンにバレてしまうと危険な気がしてきた。好きな女の子が、ほかの知らない男と一緒に家に住んでいるなんて、もうそれだけでファンにとってはスキャンダルだろう。しかも風呂上りに親しげに話していたり。僕ならちょっと許せない。


「明莉、もう遅いし、戸締りはしっかりね。網戸には近づかないようにしてくれ。ちょっと玄関の鍵を確かめてくる」


「ええ? 急にどうかしたの?」


「ああいや、何でもないけど、ちょっとね」


 ニュースのことは明莉には内緒にしておきたかった。無駄に不安がらせても怖いし。

 玄関の鍵を確認してから、僕は脱衣場で服を脱ぐ。


「く、倉斗くん」


 急に脱衣場のドアを明莉が開けてきたので僕もちょっと驚いた。


「えっ」


「あっ、ご、ごめんなさい」


 明莉は、僕の上半身が裸なのを気にしたようで目をそらす。


「ああ、いいよ、そんなの。下はちゃんと穿いてるんだし。それより、どうかしたの?」


「う、うん。それが、さっき、車の音がして、浦間さんが帰ってきたのかと思ったんだけど、裏庭で物音がして……ひょっとして泥棒かも」


「ええっ、泥棒? わかった。ちょっと見てくる」


「だ、ダメ、危ないから」


「大丈夫、様子を見るだけだ。すぐ警察に連絡するから」


「う、うん」


 完全におびえてしまっている明莉を見ると、僕が何とかしなきゃという思いが強くなった。変に勇気が湧いている。

 本当に泥棒だったなら、何か武器があったほうがいいかもしれないな。

 間違っても明莉にけがをさせるわけにはいかない。

 マネージャーとして。そして明莉が好きな一人の男子としても。

 武器がないか、廊下を見回すが、いいものがない。


「こんなことなら、野球でもやっとけば良かったかな……、ああ、そうだ、モップが使えるか」


 武器としては非常に心もとないが、相手がナイフなどの刃物を持っていた場合、リーチがある得物のほうがいい。さすまた・・・・のように使えるかもしれないし。

 僕はモップを握りしめると、裏庭が見えるリビングへ足音を立てないように近づく。

 ズリッ、ズリッ

 ――聞こえた。

 何かはわからないけど、何かを引きずっているような音が裏庭から聞こえてくる。

 何だろう?

 木製バット?

 いや、木製のバットでもカラカラという音がしそうだし、これはもっと重い感じの物を引きずる音だ。

 じゃあ、死体?

 いやいやいや、なんで他人の家に死体なんて持ってくるの!?

 それも違うはず。違っていてほしい。


「く、倉斗くん、お願い、戻ってきて。早く警察に」


 消え入りそうな声で後ろから明莉が懇願してくる。

 確かに、おかしな物音がして誰かが不法侵入しているようなのだから、大人しく警察に連絡するほうがいいだろう。

 だけど、それも何を引きずっているのか、確かめてからだ。

 これは普通の泥棒とは思えない。

 ひょっとして、過激なファンの行動?

 僕にはニュースで見た犯人――陰険な目をした眼鏡男と、昼間デパートで握手会をやったときに一番乗りしてきた眼鏡のファンの顔がダブって見えた。

 とにかく相手の異様な行動の正体を確かめなければ。

 このとき僕は義務感に駆られていたのだろう。

 結果としてそれが――


「おう、倉斗、手伝ってくれ」


 裏庭に知った顔がいて、僕は力が抜けた。


「なんだ、叔父さんか……なにそれ」


 叔父さんが長い棒のようなものを引きずっている。


「フフ、竹だ。ちょっと山に入って切ってきたぞ」


「なんでそんなことを。ああ、明莉、大丈夫、叔父さんだよ」


「ええ? 良かった……」


「なんだ、裏庭に泥棒が入ってきたとでも思ったか? ハハハ、悪かった。ま、それくらいの警戒心はマネージャーとして持っておいてくれよ。それより、なんで裸なんだ、倉斗」


「そりゃ、さっき風呂に入りかけてたからだよ。人騒がせだなぁ」


「ああ、そういうことか。それならさっさと風呂に入ってこい。オレもあとで入らせてもらおう。見てみろ、どうだ、いい竹だろう。こいつをな、半分に割って中の節を取れば、どうなると思う?」


「さあ? どうなるの」


「ったく。流しそうめんだよ、流しそうめん!」


「ああ……」


「どうだ、夏の風物詩に、良い感じだろう」


「そうだね。こっちは肝が冷えたけど」




 翌日、斜めにセットした竹にそうめんを流し、流しそうめんをみんなで楽しんだ。

 わりと本格的で見栄えもいいので、写真を撮って明莉のアイドル公式アカウントにアップロードしておいた。


「いいね!」「おいしそう!」


 ファンの反応も上々だ。

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