第39話 世界で一番勝ちたいもの

 一点は先制したものの、ランナー二人は残塁としてしまった白富東。

 だが形としては不恰好だが、一年生二人の力で手に入れた先取点だ。

 実力が近い場合、そして舞台が大きい場合、先取点を取ったチームの確率は高くなる。

 それは統計として分かっているが、だからといって油断しないのが国立である。


 運のいい一点だった。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 この一点を守ろうだとか、そんなことを考えていると負ける。

 先発は初回から全力で投げてもらう。

 そのために耕作を指名したのだ。


 現在の白富東のピッチャー事情は、なんだかんだ言いながら耕作を中心に回っている。

 左のサイドスローで、いくらでも投げられるスタミナを持つ、メンタルの動揺もないキャプテン。

 これを中心にどう回していくか。

 確かに純粋なピッチャーとしての能力は、それほど高いとは言えない。

 だが大きく崩れないピッチャーが一人いるというのは、高校野球ではとても貴重なものなのだ。


 投げられるところまで投げる。

 200球投げても平気なスタミナが、耕作にはある。

 もっと過酷な環境でも、平気で投げることは出来る。

 野球はちゃんとイニングごとに、休憩のあるスポーツだからだ。


 球数をかけたものの、ランナーが一人も出ずに一回の裏を終えた。

 四番の郷田の前にランナーを出さないことを、基本的な作戦としている。

 そして二回の攻撃が始まる。




 よくあれを打てたな、と思うのが白富東の打線である。

 悠木は敬遠されたとは言え、優也の打球も、本来なら簡単なゴロであった。

 それをジャストミートしたのは、正志だけである。


 あっさりと二回の表は封じられて、勇名館の攻撃となる。

 バッターボックスには、四番の郷田。

 千葉県内では悠木と並ぶスラッガーと言われている。

 ただし耕作は、評判で己のピッチングを変えたりしない。

 変えるようなピッチングを持っていないともいう。


 サイドスローから投げられたカーブを、郷田は迷いなく打っていった。

 だがそのミートの瞬間、ミスショットだと分かる。

 レフト側のファールグラウンドで、キャッチアウト。

 やはり強打者には、軟投派が分がいい勝負になる。


 三回の表はまた、一番からの好打順。

 だが先頭打者の九堂は左打者として、ごく普通にサウスポーをじゃっかん苦手にしている。

 引っ掛けた当たりはセカンドゴロでイージーアウト。

 二番の城に回ってくる。


 ショートを守る城は軟式出身だが、内野ならどこでも守れる器用さを持っている。

 今日はサードに優也が入っているため、守備負担は増えるだろう。

 普段は小技を使っていくのだが、ランナーのいないところでは粘っていく。

 勇名館の榎木は、昨日の試合で149球投げている。

 そこまではそれなりに抑えて他のピッチャーも使っているが、果たして体の奥底まで、しっかりと回復しているのか。


 球数を投げさせるのは卑怯だとか姑息だとかいう意見もある。

 だが、ならば高校野球はそれに従ってルールを作ればいい。

 極端な話、中学と同じで七回までに試合をすれば、ピッチャーの投げる球数はずっと少なくて済む。

 それにコントロールを重視して球威よりもコンビネーションでカウントを稼ぐピッチャーなら、球数制限など必要ない。

 球数を制限しなくてもいい技術を磨いてきたピッチャーにとっては、球数制限など一方的なデバフ条件に過ぎない。

 たとえば耕作などは、試合で250球を投げても疲れるだけで、故障する気配すらなかった。


 もちろんただ、球数を増やさせるのが目的ではない。

 そもそも球数を増やすのが嫌なら、申告敬遠をしてしまえばいいのだ。

 三振なり凡打なり、それを目指しているから球数が増える。

 それを出来ないピッチャーが卑怯だとか姑息だとか、それは話の順序が逆であろう。


 14球を投げたところで、結局は歩かせることになる。

 そして初回の先制点の立役者である、正志の出番が回ってきた。




 バッターボックスに入る前の、二度の素振り。

「お願いします」

 そう口にした瞬間から、集中力は完全にピッチャーに向かっている。

 こいつはなんなんだ、というのが勇名館バッテリーに感じさせるものである。


 春の大会に比べても、関東大会やこの夏の大会を映像で見ても、試合が重なれば重なるほど、そのバッティングの精度が増していく。

 どんな球でも打てるというわけではないが、全く隙がない。

 初球はアウトローにスプリットを投げたら、全く反応しなかった。

(雰囲気おかしいな)

(なんか変なんだよな、こいつ)

 単純な強打者というわけではない。何かもっと、執念染みたものを感じる。

 甲子園を目指して日々の練習をしてきたのは、勇名館の選手だって同じことである。


 ボクサーの中に古代ローマの拳闘士が混じっているような。

 単純に甲子園を目指しているとか、そういうものとは全く違う雰囲気をまとっているのだ。


 ストライクゾーンに反応するダボハゼとも違う。

 ツーストライクになるまではしっかりと、難しい球を見逃していくのだ。

 その見逃し方が怖い。

 カットまでなら簡単に出来るという意思を感じる。


 この打席もツーストライクから粘って、ボールカウントを使わされた。

 榎木も、キャッチャーの田無も、投げる球がなくなってくる。

 球数を使わされた状態で、一二塁になって四番の悠木とは対戦したくない。

 ここはゴロを打たせたいのだ。出来ればダブルプレイが理想である。

 しかしこの集中力の塊は、そんな雑なバッティングはしないだろう。


 結局決めたのは、スプリットで打ち損じを狙うこと。

 しかし投じられたスプリットを、正志は上げすぎないように掬う。

 左中間に飛んで行くボールは、さっきよりは少し弱いか。

 センターが必死でジャンプして、ようやくキャッチする。

 ファインプレイに向こうの応援席が大きく盛り上がった。




 ベンチに戻ってきた正志は、コンクリートの壁に額をくっつける。

 頭を冷やすという意思表示だが、あれはいい当たりだった。

 一塁ランナーを進めることが出来なかったが、さすがに今のは相手を誉めるしかない。

 それでも満足しないところに、正志の精神性が表れている。


 三番打者最強論。

 白富東は選手の層にもよるが、多くは三番に最強の打者が座っていることが多かった。

 この夏の大会、正志の打率は悠木とさほど変わらない。

 ただ悠木は、打ちたいときにしっかりと打ちにいっている。


 打ちたい球を引き出すまで、カットして粘る。

 悠木には性質的にないことである。

 難しくても、打たなくてはいけない時は打つ。

 それで結果を出してきた。

(ここは結果を引き出すか)

 ツーアウトランナ一塁というのは、それなりに俊足の城がランナーであるため、長打であればホームに帰ってこれるだろう。

 ホームランまではいらないが、長打。

 歩かされることは仕方ないが、勝負されるなら打っていく。

 

 ここで長打を打つ。

 次が一年坊なだけに、自分の打席で決めておきたい。

 悠木の集中力の高まりを、勇名館バッテリーも感じている。


 五番の一年生は、ピッチャーでありながら打撃も残している。

 サードが怪我で出られないわけだが、守備の専門ではなく打撃力を期待して、スタメンに入れているのだ。

 基本的に野球は、セットプレイでアウトが取れる。

 だが運動神経と身体能力だけで、守備をするような選手もいる。

 ピッチャーとしての成績も含めて、おそらく一年の中で一番の才能がこいつだ。

(危険だけど、悠木で切りたいな)

 幸い悠木は、左バッターの常として、ややサウスポーを苦手としている。

 誤差程度であるが、ストレートを内角に投げればどうなるか。


 内角の打てるボールだが、少し沈んだ。

 悠木の打ち上げた打球は、サードの頭を超えて、三塁線を切ることなく着地する。

 レフトの足は追いつかず、バウンドしたボールはフェンス際で止まる。

 一番深いあたりで、悠木としては理想的な打球だ。


 ただ単にいつもホームランを打つのではなく、必要な時に必要なバッティングをする。

 それが悠木の美意識である。

 セカンドまで進んだ悠木は、左目で城がホームに辿り着いたのを見た。

 これで追加点となった。




 三回の序盤が終わったところで、2-0のスコアである。

 白富東が有利だが、決定的な点差ではない。

 上位打線で期待通りに点が取れている。

 長打での得点もあるが、内野安打でも必死で走って、一点を取っているのだ。


 決勝戦であるから、油断も慢心もない。

 甲子園への執念を、甘く見てはいけない。

 ただし執念ならは、正志が一番上回っているだろう。


 奇跡は何かの代償と引き換えで行われる。

 自分が勝ち進んでいる限り、母はそれを見てくれている。

 そして最後まで勝ちぬければ、そこでおそらく奇跡が起こる。

 なのも論理的な根拠がなく、科学的な根拠もない願い。

 それは一方的に、正志だけが信じているもの。

 誰も保証していないし、胸のうちにだけ秘めているもの。


 だが、だからこそと言うべきか。

 命がけでも甲子園に行きたい、という人間はいるだろう。

 しかし本当に、自分以外の命のために、甲子園に行くというもの。

 それだけの執念や希望、願い、そしてその他の全て。

 全てを賭けて本当に甲子園に行きたいと思う人間が、どれだけいるのだろうか。


 死ぬ気でやればなんでもできる、と無責任に言うものが時々いる。

 だがそういった人間であれも、どうやれば死ぬ気になれるのか、そういったことは知らない。

 バットをスイングするごとに、試合を勝ち進むごとに、甲子園は近づいてい来る。

 

 奇跡は起こる。

 いや、自分が起こす。

 だからついでに、もう一つぐらい奇跡よ、起これ。


 意志の強さ。それに加えて、置かれた状況。

 今日もこの後、病院へ向かうため。

 さっさとピッチャーを打ち込んで、試合を片付けてしまおう。


 正志だけが、他の選手とも全く違う意識を持っている。

 それは間違いなく悲劇的であるが、同時に強烈なものでもあった。

 試合はスコアが変わらないまま、終盤へと向かって行く。

 たった一枚しかない、甲子園への切符。

 その行方がどうなるかは、まだ誰も知らない。

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