第3話 ぎこちない朝

カチッ。


義足の装着音が、目覚めの合図だった。

咲良は、静かな部屋で身支度を整えながら、深く息をついた。


(ちゃんと動ける。昨日より、少しは慣れてる……はず)


階段を降りると、すぐに熱気と騒音が咲良を包んだ。


「悠、牛乳戻せってば!俺が先に取ったんだぞ!」

「ねーお兄ちゃん、僕の靴下片方ないんだけど!」


「陸ー!ランドセルどこやったか知らない?」

「知らねぇよ!人の持ち物まで把握してられるかっての!」


朝から兄弟たちが全力で騒いでいた。

まるでリビングが部活の朝練のような賑やかさ。

咲良は圧倒されながら、そっと食卓のそばに立った。


「咲良ちゃん、おはよう!」

五男の凛がすぐに気づいてにこっと笑う。

「イス引くね。足、大丈夫?」


「ありがとう……大丈夫」

ぎこちなく笑うと、すぐに陸がパンを持ってきてくれた。


「トースト焼いたよ!ジャムとマーガリン、どっち派?」

「え、じゃあ……マーガリンで」

「はい、了解!」


彼らの優しさは、温かくて、少しだけ気恥ずかしかった。

母がいない朝でも、誰かが代わりに動いてくれる。

それが家族の形なら、きっと悪くない。


――だが、その空気を断ち切るように、背後から声が落ちてきた。


「……お前、いつまで人の手借りてんだよ」


咲良の背中が凍った。

振り返ると、蒼が制服にジャージを羽織り、玄関の方からこちらを見ていた。


「一人でやれよ。義足だろうが関係ない。甘えるな」


食卓が一瞬、静まり返る。

咲良は言葉を失ったまま、手にしたスプーンを見つめた。


「蒼、それは……」

長男・颯真が止めかけるが、蒼は無言でその手を制すように視線だけ向ける。


「介護されてるみたいにされて、恥ずかしくないのかよ。

義足ってだけで、みんなに気を使わせて、それで“優しい家族”ごっこしてるなら……それ、ただの依存だ」


言い終えると、蒼はゆっくりと玄関へ向かって歩き出した。

手には小さなスポーツバッグ。


(部活……)


咲良はその背中を、何も言えずに見送った。


玄関のドアが閉まる寸前、彼は振り向きもせずにこう言った。


「……甘やかすなら、俺は距離置く」


バタン。


扉の閉まる音が、まるで冷たい風のように部屋の空気を変えた。


「……あいつさぁ、ほんと不器用なんだよな」

凛が小声でつぶやいた。


「むしろ誰より気にしてるくせにな」

陸が苦笑した。


咲良は黙って、冷めかけたスープをひと口すすった。

蒼の言葉は刺さった。だけど、なぜか全否定はできなかった。


(一人でできるようになりたい。……でも、優しさに頼るのは悪いこと?)


心の中に、答えの出ない問いだけが残った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る