第327話 ハイネ商会

 翌日、さっそくファビエンヌ嬢がやって来た。どうやら夕食の時間に俺に尋ねたときには、すでに了承の手紙をアンベール男爵家へ送っていたようである。つまり、昨日の話は事後承諾だったわけだ。


 それなら「明日からファビエンヌ嬢が来ることになるから」で良かったのでは? そしたら俺も、アンベール男爵家であった出来事をみんなの前で披露しなくても良かったのに。

 もしかして、はめられた? ぐぬぬ。


「ハイネ辺境伯家へようこそ、ファビエンヌ嬢」

「しばらくの間、お世話になりますわ、ユリウス様。あの、いつのもように話してもらって構いませんわよ」


 うふふ、と笑うファビエンヌ。うん、今日もかわいいな。顔が崩れるのを我慢しながら、みんなが待っているサロンへと連れて行く。出迎えは俺一人である。きっとファビエンヌが萎縮しないように配慮したのだろう。


 少しおしゃべりをしながら緊張をほぐしてあげる。商会で販売する予定の商品について話してあげると、興味深そうに目を輝かせてこちらの話を聞いていた。どうやら新しい取り組みに自分も参加することになるのがうれしいようだ。


 良かった。無理しているんじゃないかと思っていたけど、どうやらその心配はなさそうだ。

 サロンに到着すると、お父様とお母様が出迎えてくれた。


「ようこそ、ファビエンヌ嬢。ここを実家と思って過ごしてもらって良いぞ」

「いらっしゃい、ファビエンヌちゃん。あなたのような素敵な子がユリウスの婚約者になってくれてうれしいわ」

「あ、ありがとうございます。お世話になりましゅ」


 かんだぁ! だがしかし、俺は紳士。何事もなかったかのように、ファビエンヌをテーブル席へと導いた。笑うなよ、カインお兄様。肩がピクピクしているぞ。つられてミーカお義姉様の顔がピクピクし始めたじゃないか。耐えてくれ、みんな。


「ファビエンヌの部屋はもう準備してあるよ。荷物は使用人が運んでくれているはずだから、心配は入らないよ。あとで部屋まで案内するからね」

「それは良いんだけど、そのままファビエンヌ嬢の部屋に入り浸らないようにね、ユリウス」


 アレックスお兄様がニヤニヤとした口ぶりでそう言った。おのれ、自分のことは棚に上げて何を言う! ん、自分のことは棚に上げ?


「ファビエンヌの前で失礼なことを言わないで下さい。アレックスお兄様じゃないんですから、そんなことしませんよ」


 ブフッっと空気を読んだカインお兄様が吹きだした。それにつられてみんなが笑い出す。アレックスお兄様とダニエラお義姉様が赤くなっている。

 悪いのはアレックスお兄様だぞ。俺は悪くない。婚約者を守るのは当然のことだ。


「今日は歓迎の晩餐会を予定している。楽しみにしていなさい」

「はい。ありがとうございますわ。お義父様」


 どこか少し恥ずかしそうにそう言った。それを聞いたお父様はご満悦な顔である。

 これでハイネ辺境伯家の婚姻関係は落ち着いたと言えるだろう。あとはロザリアだけだが、一番問題になりそうな男兄弟の婚姻が片付いたのだ。ロザリアは好きな人と結婚しても構わないだろう。それがたとえ庶民であっても。


 一番の問題は俺だったはずだ。それが男爵家を継ぐことになるので、ホッとしていることだろう。俺もひと安心だ。変に身分が高い貴族の婿養子にでも行ったら、ハイネ辺境伯家とのパワーバランスが崩れるかも知れないからね。


 サロンでのお茶会が終わると、屋敷の中を改めて案内した。ファビエンヌは何度か遊びに来たことがあるので知っていると思うが、念のためである。


「ここで一緒に魔法薬を作ることになるよ」

「やはり実家にある調合室よりも立派ですわね」

「ちょっといやらしい話だけど、お金なら余っているからね」

「まあ」


 ファビエンヌが目を大きく見張った。これまで俺個人の懐に入ってきたお金は膨大な額になっている。しかも、ほとんど使い道がないのだ。レアな魔法薬素材を買うのならまだしも、目立つので現在のところはそれもできていない。


「そうだなー、お金が余っているし、結婚したら二人で新婚旅行に行くのも良いかも知れないね」

「し、新婚旅行……」


 まずい、ファビエンヌが妄想モードに入ってしまった。頭から火を噴きそうなほど赤く染まっている。この状態でだれかに見つかると非常にまずい。

 ネロなら、ネロならきっとこの状況をちゃんと説明してくれるはず。

 そんな頼れるネロはこちらに背中を向けて、見ない振りをしてくれていた。ダメじゃん。


 今にも沸騰しそうなファビエンヌを冷ますために、ホットクッキーを作る手順の再確認を行った。どうせなので、他の魔法薬の作り方も教えていく。


「よ、よろしいのですか? 秘蔵の作り方ですよね」

「良いんだよ。早かれ遅かれ、ファビエンヌには作ってもらうことになるからさ」


 困惑しているファビエンヌ。大丈夫、ファビエンヌの腕なら問題ないよ。そんなことを考えながら工作室や温室を案内して回った。

 工作室ではロザリアとミラとリーリエが待っていた。


「ファビエンヌお義姉様、この部屋は私が案内しますわ」

「お願いしますわ、ロザリアちゃん」

「頼んだよ、ロザリア。おっと、その前に、ファビエンヌに渡すものがあるんだった」


 工作室にある自分の机から例のブツを取り出した。一緒に考えたデザインだし、喜んでくれるはず。大事に布に包んだそれをファビエンヌに渡す。


「約束していた万年筆だよ。壊れたらまた新しい物を作るから、遠慮なく使ってよね」

「こ、こんなに細かい装飾になる話でしたっけ?」

「まあまあ、気にしない気にしない」


 気合いを入れて作ったからね。両家の家紋を、繁栄をもたらすと言われているつる草がグルリと囲む。その間には花が咲き乱れ、小鳥が飛び交っている。金を使った装飾なので、ものすごく光っているな。


「ありがとうございます。大事にしますわ」


 そう言ってファビエンヌが万年筆を大事そうに手で包んだ。これはあれだ。使ってもらえないかも知れない。あとでシンプルなデザインの万年筆を渡しておこう。




 数日後、ハイネ辺境伯家の商会が立ち上がった。場所は領都の一角。中心地からそれほど離れていない、なかなかの立地である。

 商会の工房に道具類の移動は完了している。そこではすでに職人たちが商品の生産を開始していた。


 一般の従業員の数もそろい、しばらくは問題なく運営されていくことだろう。俺の仕事はここまでだな。あとは親方たちが商品を改良したり、開発したりしてくれるだろう。

 日頃使っている品にもまだまだ改良の余地があることに気がついたみたいだし、これからどう進化していくのか、楽しみだな。


 俺は俺で自分のやるべきことをしなければならないな。まずは学園に通う年齢になる前に、身の回りを固めなければいけないな。

 婚約者はファビエンヌに決まった。あとは枝葉を伸ばすかのように、人脈を伸ばしていかないといけないな。

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