第141話 しばしのお別れ

 どうやら今年、両親がハイネ辺境伯領に残ることは確定事項のようである。喪に服すのが習わしと言われれば、それを覆すのは無理だろう。

 競馬シーズンを棒に振ったあげく、社交界シーズンまで棒に振ることになるのか。


「ユリウス、そんなにガッカリする必要はないぞ。ちゃんと話はつけてある。王城の調合室を自由に使っていいそうだ」


 お父様が片方の眉をあげてニヤリと笑った。”してやったり”と思っているのかも知れない。

 わーい。でもあんまりうれしくなーい。個人的にはあまり王族には近づきたくないのに、王族の方がこちらに近づいてくる。あまり関係を密にし過ぎると、将来、王宮魔法薬師のメンバーに入れられかねない。


 そうなったときに、俺は自由に魔法薬を作ることができるのか? そしてその魔法薬を自由に世界中に広めることができるのか? 不確定要素が多すぎる。

 その点、ハイネ辺境伯領のお抱え魔法薬師になれば、その辺りの自由が利く。何と言っても領主の息子だからね。領内での権力はトップである。権力こそパワーだ。王城だと上に何人も権力者がいることになる。俺が上にのし上がるのを嫌う人もいるだろう。間違いない。だがしかし。


「分かりました」


 そこまで話が通っているなら行くしかないな。ここで嫌だと言ったら、調合室を使う話を取りまとめたお父様の顔に泥を塗ることになりかねない。お父様からの不興を買うのはよろしくない。


 問題はミラだな。さすがに一緒に王都に連れて行くわけにはいかないだろう。王都に連れて行けば絶対に大騒ぎになる。現在そこまで騒がれていないのはミラが辺境にいるからである。納得してくれるかな? それだけが心配だ。


 王都へ向かう準備が着々と進んでいく。カインお兄様は学園での新学期の準備で大忙しだ。そしてカインお兄様は寮生活なので、王都のタウンハウスには帰って来ない。それはアレックスお兄様も同じである。つまりタウンハウスに一人ぼっちということである。寂しい。やっぱりミラを連れて行くか?


「キュ?」

「ミラとはしばらくお別れになりそうだ」

「キュ!? キュ~」


 ミラが逃がさんとばかりにしがみついて来た。おーよしよし。すごい罪悪感だな、これ。しょうがないので俺の身代わり人形を作っておいた。これを俺の部屋に置いておけば、ミラが寂しいときの役に立つかも知れない。


「お兄様、このお人形、良くできてますわね?」

「作らないからね? ロザリア、ミラを頼んだよ」

「わ、分かりましたわ」


 図星だったのか、ロザリアが視線を背けた。背けた先には俺を模した人形があった。似ても似つかぬその人形に良からぬことをしなかったら良いんだけど。




 王都へ旅立つ準備も終わり、いよいよ出発する日がやって来た。さすがにジャイルとクリストファーを連れて行くわけにもいかないため、王都に行けば俺一人である。いや、クロエとキャロがいるかも知れない。それはそれで色々と大変そうである。


 俺にもアレックスお兄様のように婚約者が決まっていれば大手を振って二人に会うことができるのに。立場が微妙なため、神経をとがらせて会わなければならない。二人に変なウワサが立つと非常にまずい。

 あ、胃が痛くなってきたぞ。こんなこともあろうかと、特製胃薬を作っておいて良かった。


 ミラにしっかりと言い聞かせてロザリアに託した。それを受けたロザリアがしっかりとミラを抱きかかえている。ミラの目は今にも泣きそうである。俺も泣きたい。どうしてこうなった。


「ユリウス、向こうについてからのことは何も心配はいらんぞ。アレックスがしっかりと手配しているだろうからな。カイン、しっかりとユリウスの面倒を見るようにな」

「分かっていますよ、お父様」


 カインお兄様が笑顔でそう答えた。学園に戻るのが楽しみなのか、とても上機嫌である。そんなに楽しいのかな、学園生活。規則ばかりでとても楽しそうには見えないんだけどな。

 俺たちを乗せた馬車が出発した。今回の旅にライオネルはいない。正直なところ不安である。


 ハイネ辺境伯領を出発してから数日後、とある町で一日休息日を設けることになった。

 最新式の馬車に乗っていても、子供にとって体への負担は大きい。よほどの急ぎでない限りは、旅の途中でこうやって休みを一日とるのが普通である。


「ユリウス、この町には温泉があるんだ。確か、まだ一度も行ったことがないんだよな?」

「温泉、ですか? まだ行ったことがありませんね。だからこの町ではこれほど人が休んでいるのですね」

「ああ、そうだ。この町の温泉につかって疲れを癒やしてから先に進むのが普通だよ」


 まさか温泉があるとは思ってなかったな。俺が王都に向かうのは急なことばかりだったので、途中で休息日をとったことがないんだよね。今後のこともかねて、しっかりと休息日を満喫することにしよう。


 俺たちが乗った馬車はレンガ造りの、まるで貴族の別荘のような宿屋へと向かっていった。まさか自分がこんな豪華な宿を使うことになるとは。人生何があるか分からないな。


「今から俺たちが泊まる宿はこの町で一番格式の高い宿だよ。この町で休息日をとるときにはいつも利用している宿さ」

「なるほど。ずいぶんと立派な建物だと思いました。温泉は宿の中にあるのですか?」

「いや、温泉は別のところにあるよ。でもすぐ近くにあるから、いつでも利用できるよ。貸し切りの小部屋があるからね」


 どうやらこの町の温泉は思った以上に大きいようである。たまにはゆっくりと温泉に入るのも良いかも知れないな。十年間使ってきたこの体をねぎらってあげるのも有りかな。いや、まだ十年だぞ? 老朽化するのは早いのではなかろうか。

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