第117話 アンベール男爵夫妻
大事そうに魔法薬を抱え、ファビエンヌ嬢が廊下を進んで行く。俺は静かにそれに従って歩いた。
アンベール男爵家はハイネ辺境伯家よりも広くない。半分くらいの大きさだろうか。それでもアンベール男爵夫妻の寝室までの道のりが長く感じられた。
「ここがお父様とお母様の寝室ですわ。ここにお父様が寝ていらっしゃるはずですわ」
夫婦の寝室に入るのには緊張するのだろう。俺も同じだ。よほどのことがない限り、両親の寝室にはそう簡単に踏み込めない。
一つ息を吸って、ファビエンヌ嬢が扉をノックした。コンコンという高い音が響く。一呼吸おいて扉が開いた。扉の隙間から使用人の顔が見えた。
「旦那様、奥様、お嬢様とユリウス・ハイネ辺境伯令息様がお見えになりました」
扉の向こうからは困惑するような空気が伝わって来た。俺がドキドキして待っていると、許可もないままファビエンヌ嬢が扉を開けて強引に部屋の中に入った。
「失礼しますわ」
慌てて俺もそれについて部屋の中に入った。魔法薬を作ったのは俺だし、説明する義務があると思う。部屋の中には驚いた様子の夫人と、ベッドに横たわるアンベール男爵の姿があった。
「これはこれは、お見苦しい姿を見せてしまって……」
「いえ、そのままで。お話はファビエンヌ嬢から聞きました」
ベッドで身を起こそうとしたアンベール男爵を手で制した。それを聞いた夫人の目が若干つり上がったように見えた。その目はファビエンヌ嬢を見ている。
「お母様、ユリウス様が化粧水やハンドクリームの作り方を教えて下さったことはご存じですよね?」
「え? ええ、もちろん知っていますが……」
自分のにらみにも動じない様子のファビエンヌ嬢に困惑する夫人。ファビエンヌ嬢の目にはますます力がこもっていた。自分を落ち着かせるかのように、再び息を吸った。
「ここだけの秘密にしていただきたいことがありますわ」
「ファビエンヌ、それはお前が腕の中に持っているものと関わりがあるのかな?」
優しい口調でアンベール男爵がそう言った。どうやら今のやり取りで察したようである。それに気がついた夫人が目を見開いて、口元を手で隠した。
「その通りですわ。お父様。ユリウス様は本物の魔法薬を作っておりますわ。そしてその魔法薬は、実際にハイネ辺境伯家でも使われているそうです」
そこまで言って俺の方を見るファビエンヌ嬢。その視線を受けて一歩前に出た。
「ファビエンヌ嬢が手に持っている魔法薬は解毒剤と初級体力回復薬です。どちらも我が騎士団で正式に使用しているものです。品質と効果は保証しますよ」
努めて空気が柔らかくなるように笑顔でそう答えた。それを聞いたアンベール男爵夫妻は信じられないのか、魔法薬をジッと見つめていた。これはこの場で俺が飲んでみるべきか? 初級体力回復薬なら数本あるけど、解毒剤は一本しかないんだよね。
「ユリウス様を疑うわけではありませんが、魔法薬はちょっと……色々と試してもダメでしたからね」
眉をハの字に曲げたアンベール男爵がそう言った。これはアレだな、ピーマンが嫌いな子供と同じだな。魔法薬イコールまずいものになってる。だがしかし、これはゲロマズ魔法薬とは違うのだよ。
「心配は要りませんよ。この解毒剤は甘くしてありますから。こちらの赤色の魔法薬が初級体力回復薬です。シュワシュワして、とても飲みやすいと好評ですよ」
俺はニッコリと答えた。そんな俺の様子を見たアンベール男爵が唾を飲み込むのが分かった。ファビエンヌ嬢がグイグイとベッドに近づいた。夫人もベッドに近づいている。無理やりにでも飲ませようという構えなのだろう。きっとそうやって魔法薬を飲ませてきたんだろうな。ご愁傷様です。
「旦那様、せっかくユリウス様が持って来て下さった魔法薬ですよ。お飲みになって」
「そうですわ、お父様。ここで飲まなければ、ユリウス様に失礼ですわ」
「大丈夫ですよ、アンベール男爵。騎士たちの間では『女神の秘薬』と呼ばれてますから」
「め、女神の秘薬……」
眉を上げ、目を大きくしながらも魔法薬に抵抗感がある様子のアンベール男爵。どれだけひどい魔法薬を飲んできたのかが分かるな。何だかかわいそうになってきた。
「さあさあ」
「お父様」
「わ、分かった。分かったから。いただくとしよう。……あとではダメかな?」
「今です!」
夫人の一喝によって観念したアンベール男爵。やはりどこの家でも女性の方が強いようである。家を守るのは女性の役目。そうなっているようだ。
意を決したアンベール男爵が解毒剤を手に取った。そして気がついた。
「おや? この解毒剤はとてもキレイで澄んだ色をしてますね」
「旦那様?」
「おおう、分かっているとも」
夫人の圧がすごい。観念したアンベール男爵が魔法薬のビンのフタを開けて、目を閉じてグイッと一気に飲み干した。「南無三!」とでも言いたそうである。
「あま~い! 何だこれは!?」
目が飛び出しそうなくらいに魔法薬のビンをガン見していた。口はパクパクと開いたり閉じたりしている。どうやら魔法薬の真の力に気がついたようである。フッフッフ、理解者が増えるよ、やったぜ。
「アンベール男爵、こちらも一緒に飲んで下さい。これで少しは体の疲れが取れるはずですよ。あとは安静にしていれば、二、三日もすれば良くなるはずです。もしダメだった場合は手紙で教えて下さい。もっと強力な魔法薬を用意しますから」
俺はフフンと鼻息も荒くそう言った。大きくうなずきを返してくれたアンベール男爵。すぐにファビエンヌ嬢が赤色の魔法薬を手渡した。ビンの封を切ると「ポン」という爽快な音がした。俺も帰ったら飲もう。
シュワシュワと音がする魔法薬を不思議なものを見るような目をしたアンベール男爵が飲み干した。
「うまい! もう一本飲みたいな」
「ダメですよ、旦那様。魔法薬の飲み過ぎはいけません」
しょんぼりした表情のアンベール男爵が名残惜しそうに空のビンを見つめていた。
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