第10話
地下牢なので外の様子がわからない二人はとりあえずその日、疲労を回復させることに専念することで合意して眠ることにした。
初めて冷たい石畳の上で寝ることになったファムは、寝付けないのではないかと内心不安になっていたが魔獣との戦い、そしてバルドロの死という壮絶な一日を経たことで、ファム自身が思っているよりも遥かに心身を疲弊させていた。
おかげで横になるだけですぐに、彼女は睡魔に襲われることになった。
身体が凝り固まっているのを感じて目を覚ましたファムは、まず最初に周囲の状況を見えないながらも何とか確認しようと試みる。
石造りの牢屋、かび臭い匂い、相変わらず通路からは見張りの兵士の気配はなかった。
そして未だ地下牢に居るこれが夢ではないことを認識し、人知れず溜息をついたのだった。
「おう、嬢ちゃん。やっとお目覚めか?」
ファムの溜息に気付いたレグスがファムの方を見る。
「・・・もう少し寝る」
レグスの方を一切見ずに、不貞腐れて再び横になろうとするファムを呆れた様子でレグスが呼び止める。
「やめとけ、今よりもっと体が痛くなるぞ?それよりもここからどう抜け出すかだが――――」
「抜け出すの自体は簡単」
これからの事を話そうとしていたレグスに対して、横になりながらファムは気だるげに答えた。
そんなにあっさりと答えが得られるとは思わず、レグスは鉄格子に飛びつき問いただす。
「簡単ってどういうことだ!?こっから出られるのか?オイ!コラ!寝転んでねぇで説明しろよ!?」
ガンガンと鉄格子を揺らす音に、寝ることを諦めたファムがめんどくさそうに起き上がりレグスの方に向き直る。
「この牢屋って魔法に関しての防備が一切施されてないの、だから出るのはとっても簡単だと思う。でも問題はその後、城から脱出した私たちはお尋ね者扱いされるくらいならまだマシな方かな?最悪なのはエルたちに危害が及ぶ可能性もあるって事。あのバカの極みなら適当に理由をでっちあげて、言いがかりで人を殺すくらいしそうだもの」
「確かに・・・奴ならやりかねん・・・」
ハジュマーノの下卑た笑顔を思い出し頭を抱えるレグス、良くて財産没収、悪くて同じように処刑というのは想像するのは容易い事だった。
そもそも魔法に対する防備が為されていないというのもおかしい、他の国ではどうかは解らないが、此処はアルテヴァだ。
他の国々より魔法には詳しい人材が揃っているというのに・・・。
そこまで考えてレグスは漸く思い至る、あの男にとってはどちらでも良いのだと。
「だから迂闊には動けない、私の場合はエル、おっさんの場合は奥さんとルグルスを人質に取られてるも同然。大人しく処刑されてろって状況がこれでもかってくらい出揃ってる」
そう言いながらファムは肩を竦め、両手を上げてお手上げというジェスチャーをする。
「どうせ死ぬんだったらあいつの顔をおもいっきり殴り飛ばしてやろうかと思ってたんだが、家族を盾にされちゃあなぁ。リューグ様も恐らく俺らが処刑されるまで足止めをされてるだろうから助けは期待できねぇ」
手詰まりといった状態で今度はレグスが床にごろんと寝転がる。
打つ手無しかと口にしそうになった時だった。
「あんたたちねぇ。いくら見張りがいないからってそんな堂々と脱獄計画話してんじゃないよ」
突然地下牢に女性の声が響いたのだ。
レグスが慌てて起き上がり通路を見ると、そこには歳はレグスたちよりも少し上といった雰囲気の深紅のローブを纏った女性が仁王立ちしていた。
その女性はレグスを見るや否や、
「弟子の魔力が突然消えたんで久々に訪ねてみたら死んでやがるし、弟子の相棒は弟子の娘と王城に連行されて行ったきり音信不通だって言うじゃないか。さすがに気になって探してみたら地下に幽閉されてる。一体これはどういうことなのかねぇ?」
元々つりあがった眼を更につりあげてレグスに凄む女性、
「その口調、弟子・・・?あんたまさか婆さんか!?」
女性を見て考え込んでいたレグスだったが、女性の言葉に合点がいったように笑顔になる。
「ほほぅ、騎士団長様はよほど命が要らないと見えるねぇ?」
凄みが増大する女性。
そんなやり取りをぽかーんと傍観する事しかできないファムだったが、
「お嬢ちゃんがアイツの娘だね?なるほど母親に似てるところはなかなか評価できるじゃないか。将来とびっきりの美人になるだろうよ。まぁアタシの若い頃にゃあ負けるだろうけどねぇ」
女性が得意げにふふんと笑ったのがファムにも判った。
そしてバルドロの師匠なのだということも理解できた。
ミューレ・ラルク、世界最強と称された魔導士であり、魔女と聖女の両方で呼ばれる人物。
「自己紹介はしないし、あんたたちのも必要ないねぇ。ただあんたたちの経緯だけ教えてくれればそれでいい」
レグスに向き直ったミューレはびしっと指を差す。
レグスはここまでの経緯を掻い摘んでだが説明すると、
「ふぅん。あのデブはまーだ生きてたのかい。あんなのさっさと追い出した方が国の為だって散々進言してやったのにねぇ」
「婆さん。どうにか国王陛下に取り次いでもらえねぇか?俺らの無実を証明すれば一気に奴を黙らせられる」
最後の希望とばかりにミューレに真剣に頼み込むレグス、だが――――、
「残念ながらそれは出来ない相談だねぇ、隠居してるアタシ一人がしゃしゃり出てきて今更何を言ったところで握りつぶされるのがオチさね。それにこの国の要職に就いてる連中は弟子の死を歓迎してるのさ。そいつらはあんたたちの無罪放免なんて望んじゃいない」
「そんな・・・どうして?」
「くだらない利権の問題さね、国一番の英雄がいるかぎり自分たちはどれだけ貢献してもその上には行けない、だったら一番上を消してしまえばいい。安直すぎて反吐が出る話だよ、この二人がいたからアルテヴァは小競り合いはあるけども戦争にまで発展せずに暮らせてたってのにねぇ?この国、いやこの世界はまた戦争の時代に逆戻りするだろうさね。他の三大国家が二人がいなくなって弱くなったアルテヴァを放置しとく道理が無いだろう?」
しみじみと語るミューレの目には深い悲しみの色が色濃く出ていた、ミューレは彼女なりに弟子の死を悼んでいたのだった。だが同時に、アルテヴァという国に失望しているのも事実だった。
「だったらここで大人しく殺されるのを待ってろってのか?冗談じゃねぇ!?」
「そんな事の為にお父さんは殺されたの・・・?」
鉄格子を殴りつけるレグス、悔しそうにそのやりとりを聴いて何事かを考え込んでいたファムが神妙な面持ちで話を切り出す。
「だったら私が、お父さんを殺した事にすれば良い。そんな奴等にお父さんの最期を穢させやしない、お父さんは最期までこの国を守る為に精一杯戦って、死んだんだ。間違ってもあいつらなんかの為じゃない、御師匠さん私はどうなっても良いからおじさんだけでもどうにか助けられない?」
レグスはファムが何を言っているのか解らなかった。しかし、徐々に意味を理解していくと、
「ふざけるな!?俺はバルドロに、おまえたちの事を頼むって最期に言われてんだ!!嬢ちゃんの事、見捨てられるわけねぇだろうが!?」
今まで見た事もないような剣幕で吼えるレグスに、びくっと身体を強張らせるファムに対してミューレは微動だにしない、眉一つ動かさず、ふむと声を上げると冷徹にレグスと向き合っていた。
「レグス、あんただって解ってるんだろう?いなくなったらもう何も守れやしないんだよ?国も、家族も、友との約束の片方も、何もかもね。それはあんただってわかってんだろう?」
「けど・・・だからって――――」
到底納得できない、否、したくない様子のレグスに、
「おじさん、お願い。エルとおーじを・・・エルとリューグを護ってあげて」
レグスの方を真正面に向いたファムの、覚悟を決めた真っ直ぐな言葉がトドメになった。
レグスは力なく項垂れて、床に拳を何度も叩きつける。
「畜生・・・何でだよ。何で嬢ちゃんも、アイツも、人に重いもん背負わせて俺より先に逝きやがんだよ」
涙声でうつむくレグスをそっとしておくように、ミューレはファムに話始める。
「お嬢ちゃんがバルドロ殺しの首謀者って事になっちまうけどいいんだね?レグスを操りバルドロを殺させ、町に魔獣を放って暴れさせたそれらを見破ったのは・・・あのデブの功績にすんのは何かシャクだけど、うまみを残してやればやつらも納得するだろう、それに戦争になると脅せばレグスを生かそうともするだろうからねぇ。あのデブを筆頭に、戦争で前に出たくないバカの集まりだからねぇ。で、アタシがレグスの洗脳を解いてやったからもう大丈夫って感じでどうだい?」
「はい、そんな感じでお願いします。あいつらの思惑通りになるのは嫌だけど、あいつらなんかの為に死ぬんじゃないって思いたいから」
イタズラを企む子供のように軽々と筋書きを用意するミューレに、ファムは笑顔で答える。もちろん死ぬのは怖い、けれどバルドロの死を功績や礎なんかにしようとする者たちが今は何よりも許せなかった。
ファムのその内なる怒りを感じ取ったのか、ミューレが不敵に笑い、
「良い覚悟だ、父親殺しで英雄殺しの魔女の汚名。最期まで背負って見せな」
そう言ってミューレはレグスの牢屋の鉄格子を破壊して地下牢から出る階段に向かう、中から出てきたレグスは泣き顔を見せまいとしているのか一切ファムを見ようとはせず、そのまま地下牢をミューレの後に続いて出ていこうとする。
その間際――――、
「約束は必ず守る。この世にいるすべての神様に誓って」
そう言い残して、レグスは地下牢の階段を上がっていき、牢屋には一人ファムだけが残されたのだった。
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