海を越えることが恋だとして

 海外へ行くのが好きだ。おりたった瞬間にわかる、いつもの生活では嗅がない匂い、見ない色、聞かない音。まいにちが退屈だったわけではないけど、一度その違いに気づいてしまったら、どうしたって胸の高鳴りを止められない。終わる日のことは絶対に考えたくない。すこし怖いような気もするけど、それに気づかないふりをしても平気なくらい、いまこの瞬間からのすべての時間が輝いてみえる。


 この高揚は、海を越えて、いくつものゲートを通過して、飛行機にまで乗ってきたからこそのものだと、ある時までは思っていた。だけど。


 日本でない国に住んだ。道もたてものもぼこぼこしていて、なのに景色のすべての線がゆるやかで、いっぽうで聞こえる言葉はかくかくしていた。

 その国で、電車に乗った。綺麗に掃除されているとは言い難い窓のむこう、土っぽくくすんだフィルターが不本意にかかった景色がどこまでも続いていた。ぼけっとしながらそれを眺めてしばらく、いくつかの駅ののちにどっと人が乗り込んできた。その人たちが話すことばは、住んでいた国で聞くものよりもっとくるくるしていて、電車のなかの空気ががらっと変わったのがわかった。

 その変化に気がついたとき、わたしのこころは覚えのある高揚感でいっぱいになった。匂いが、色が、音が違う。もうなにかもが普段とは違う。飛行機を降りた時に覚えるあの気持ちが、わたしの胸をいっぱいにした。


 あたり前のことだったはずなのに、その時まで気づいていなかった。海を越えないとほかの国には行けないと思っていた。そうしないと、あの気持ちは味わえないんだと、勝手に思い込んでいた。わたしがいた世界で見えるものだけを、ゆいいつの答えにしてしまっていた。


 海を越えなくても、飛行機に乗らなくても、あのどうしようもなくわくわくする気持ちは見つけられたよ。海を越えることが恋なら、ねえ、あの気持ちは、なんになると思う?


 

 

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角砂糖はとけきった かさいちよ @oyihciasak

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