月で出会う

 なぜ自分はこんなところに来てしまったのだろうか。


 枇々木拓海ひびきたくみは、だれもいない展望デッキの窓際に腰かけ、ぼんやりと外を眺めていた。外には、青々と輝く地球の姿がある。


 その間を横切るのは地球と月を行き来している宇宙船と作業用のロボット。人工衛星。そして未完成な宇宙都市スペースコロニー


昔は、まだ宇宙の存在があいまいだったころは月にはうさぎがいるやら、かぐや姫の故郷があるとか言われている時代もある。けれど、科学の発展、特に宇宙開発はそんな夢物語をぶち壊していった


 昭和42年七月にアポロ11号が月に着陸したことにより、宇宙へのロマンや可能性がうまれると同時に、あの月に餅を着くウサギやかぐら姫の故郷があるということを否定ぜざるおえなくなった。


 最もかぐら姫も月のうさぎも日本人が生み出したフィクションにすぎない。実際にいるなんて信じていたのは昭和時代でも子供ぐらいなものだろう。大人になれば、あり得ないとわかる。


 それでも大人でも夢をみることがあるのだ。


 しかも宇宙開発が起動に乗り出した時代。


 もしもないならば作ればいいのだと考えたものがいてもおかしくはないだろう。


 誰かの一言が日本における宇宙開発を『かぐや姫プロジェクト』と呼ぶようになったというわけだ。


 そんな名前の事業ではあるが、他国のしている『宇宙開発』に遅れを取るまいと日本が乗っかったにすぎない。それにおとぎ話に出てきそうな月の都とはまったく違っている。


 彼は竹取物語を読んだことはない。ただ知識として内容をしている程度だ。それでも、その世界と異なっているといえるのは、竹取物語が作られたのははるか昔の話。平安時代あたりではないだろうか。もし、かぐや姫の故郷を実際に作るとすれば、平安京やら平城京やら、昔の都のイメージで作りそうだが、どうみても違う。


確かに多くの建築物がた並ぶがどれもこれも平安時代ではなく、現代的。日本の首都・東京を月に持ってこようとしているのが目に見えている。


 まあ、どうでもいいことだ。


 どうでもいいことに思える。


 それでもここに来る。


 月面基地の全貌が見える展望台。


 『ムーンツリー』と呼ばれるタワーの展望デッキ。


 かぐや姫の故郷をみるたに何度も足を進めていた場所だというのに、今はなにも見えない。ただぼんやりと眺めているにすぎない。


 素敵ね


 そんな声が聞こえたような気がした。けれど、それは幻聴だということを知っている。


 だれも感動の声を上げたりしない。来たころは感激していた拓海も慣れてきたこともあり、当たり前の光景にすぎなかった。それでもここに訪れるのは見せたいからだ。


見せたくて、話したくて、ここに来ていた。


 けれど、もうそんな気にはなれない。


 拓海は窓の外を見上げる。


 開発を続ける月面基地の明かりではなく、どこまでも広がる真っ暗な宇宙空間。その向こうにぽっかりと浮かぶ青い星。


 懐かしい場所


「また、こんなところで油売って……」


 いつのまにか、土方塔子ひじかたとうこの姿があった。


ショートヘアーにきりっとした目がこちらを見ている。


彼女は同期で同じ師団の仲間でもある。


「なんだ。お前か……」


 拓海は、彼女の姿を確認すると、窓の外へと視線を移した。


「なんだ、じゃないわよ。聞いたわよ。あんた、今日の任務、放棄したそうね」


「だから……」


「もう斎藤副師団長。カンカンよ。どうするのよ」


「知らねえよ。勝手に怒らせておけばいいさ」


 拓海からの気の抜けた声。元々、そんな声を出すような男ではなかった。拓海は彼の所属するCSP第89師団『新選丸隊』のエースだ、そのはずだった。


 それなのにいまの彼には、エースとは呼べない。そんな言葉を微塵も感じさせない。


 気力もなく、魂の抜け殻がさまよい歩いているに過ぎないのだ


 わからなくもない。


 それだけの事情が彼にはあった。


 拓海は、両腕をズボンポケットに突っ込むと歩き出した。


「枇々木、このままだとクビになっちゃうわよ」


「首……。それもいいかもな」


「は?」


「その前に辞表を出すか。そしたら、解放されるかな」


 塔子は言葉が見つからず、口を閉ざした。


「枇々木」


 拓海の背中は塔子から離れていく。その背中はちっぽけだ。いまにも消え去りそうなほどに薄い。


 塔子は思わず手を伸ばしたが、すぐに自分の腕を握り締めて、腕を下げた。


 視線を一度下に向けて、もう一度彼の背中を見ようと顔を上げる。


 しかし、すでに彼の姿はどこにもなかった。



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