第35話 隔絶
戦場における一晩という望外のリアクションタイムの獲得は戦力の回復と充実に大きく寄与した。
さらに、目標に対する評価とそれに割り当てる戦力の効率的な配分といったものも念入りに検討することができた。
昨日、艦上機による第三次攻撃隊はこれを出さないと古賀連合艦隊司令長官が早い段階で決断したため、搭乗員の休養も十分だ。
第二次攻撃が終了した時点で稼働機が半数強にまで落ち込んでいた一式艦攻も、整備員らの夜を徹しての修理によって現在では七割近い一九二機にまでその数を回復させていた。
昨日同様、攻撃隊の指揮を執る淵田中佐は眼下を東進する太平洋艦隊の空母部隊を一式艦偵の後席から見据えている。
空母三隻に巡洋艦六隻、それに駆逐一二隻の一群が右翼に。
左翼には空母二隻に巡洋艦が六隻、それに駆逐艦が八隻。
昨日、四四隻あったはずの駆逐艦が二〇隻にまで激減しているから、損傷艦はことごとく撃沈処分されたのだろう。
駆逐艦といえども高価な軍艦だ。
それを惜しげもなく切り捨てることが出来る米国の国力に淵田中佐は畏怖するとともに少しばかりの羨望を覚えた。
淵田中佐が昨日の一式艦攻と違って一式艦偵をその乗機としているのは指揮に専念するためだ。
すでに、攻撃隊の目標と序列は各隊に指示されている。
それを決めたのは自分ではない。
第一航空艦隊司令部と古賀長官だ。
それも、接触機による正確な情報が逐一入ってきたことと、一晩という貴重な時間があったればこそだろう。
「所定の手順に従って攻撃を開始せよ」
自身の判断や関与が少ない、いささかの物足りなさを覚えつつ淵田中佐は命令を発する。
真っ先に二〇個小隊、八〇機の一式艦攻が動き出す。
彼らの狙いは米空母部隊の外郭を守る二〇隻の駆逐艦だった。
一個小隊が一隻の駆逐艦を狙い、同時に二個小隊がこれを攻撃する。
同時攻撃が八機だけなのは装備しているのが奮龍だからだ。
無線誘導弾の奮龍は、その誘導のための周波数チャンネルに制限があるから多数機による一斉攻撃は出来ない。
波状攻撃になるのは仕方が無かった。
一方の太平洋艦隊も昨日の戦闘で奮龍について学習したのだろう。
今度は奮龍そのものを狙わず母機である一式艦攻に撃ちかけてくる。
だが、対空砲火を放つ駆逐艦は他艦の支援を受けにくい外郭に展開しているものだから、その激しさに比して見た目ほどには効果を挙げていない。
逆に一式艦攻のほうは二度目の攻撃となるから、初陣だった昨日よりも搭乗員は余裕を持って奮龍の操縦にあたることが出来た。
二個小隊が一〇回攻撃を繰り返したところで、洋上には二〇の松明が完成する。
少ない艦で二発、全弾命中した艦も少なくない。
五〇〇キロの炸薬を持つ一トンの奮龍を複数食らっては装甲の無い駆逐艦はたまったものではない。
攻撃が終了した時点で早くも数隻の駆逐艦が沈みはじめていた。
入れ替わるようにして一二個小隊四八機の一式艦攻が今度は巡洋艦に狙いを定める。
大きくても二〇〇〇トン程度の駆逐艦と違って一万トン近い艦体を持つ巡洋艦だから、さすがに沈没するものは無かったが、それでも複数の奮龍の被弾によるダメージは大きかったのだろう。
一式艦攻の攻撃が終了した時点でどの艦も盛大な黒煙をあげ、這うように進むだけとなっている。
この時点で、淵田中佐とは別の一式艦偵に乗る英語の流暢な士官が米艦隊に対して勧告を行った。
内容は考えるまでも無かった。
「降伏せよ。五分待つ。返答が無ければただちに攻撃を再開する」
上空の日本機から発せられたのは誤解の余地の無い端的な言葉だ。
三七隻あった空母部隊のうち、いまや無傷なのは五隻の空母だけだ。
一二隻の巡洋艦と二〇隻の駆逐艦はいずれも日本機からの誘導ロケット弾攻撃によって戦力を喪失している。
一方、日本側は一連の攻撃が終わってなお腹にロケット弾を抱えている機体が数十機もある。
このような状況では積極果敢、即断即決を身上とするハルゼー提督もさすがに決意が固まらない。
もはや、五隻の空母が助からないのはハルゼー提督もその幕僚たちも理解している。
問題はその最期だ。
沈められるか、あるいは降伏して日本軍に鹵獲されるか。
五隻もの空母が一度に鹵獲されるなど前代未聞だ。
まあ、それを言えば一度に一二隻もの戦艦があっさりと沈められたほうがよっぽどインパクトは強かったのだが。
逡巡するには五分はあまりにも短すぎた。
ハルゼー提督が決断できないでいるうちにその五分が過ぎる。
日本軍もこのことは予想していたのだろう。
ちょうど五分後に一二機の編隊が横一列となり攻撃態勢に移行する。
そして、一斉発射。
一二本の弾体が一式艦攻から切り離される。
狙われたのは「レキシントン」だった。
同艦に向けて噴き伸びていった一二本のうち、一本が何らかのトラブルで脱落、さらに「レキシントン」が放った対空砲弾のうちの一発が効力を発揮し、ロケット弾を打ち落とす。
だが、残り一〇本のうち九本までが同艦を直撃する。
九発もの奮龍を同時被弾した「レキシントン」はあっという間に燃え上がる。
四万トン近い排水量と二七〇メートルを超える全長を誇る巨大空母も五〇〇キロの炸薬を内包した一トンの弾体に、それも同時に九発も撃ち込まれては大破炎上しないほうがどうかしている。
紅蓮の炎と黒煙に席捲された「レキシントン」、その中の乗員が今どうなっているかなど想像したくは無い。
「レキシントン」が撃破された頃には、同じく一二機の一式艦攻が「サラトガ」を攻撃した。
こちらは一〇発が命中、姉と同様に「サラトガ」もまた盛大に炎と煙を噴き上げる。
「全艦停船のうえ白旗を掲げよ」
苦悶の表情を浮かべたハルゼー提督が絞り出すような声で降伏を命じる。
自分だけなら降伏などせずに最期まで戦い、そして死ぬことを選ぶだろう。
だが、生き残った「エンタープライズ」と「ヨークタウン」、それに「ホーネット」には救助した溺者を含め一万人を超える将兵が乗艦している。
そんな彼らを自身のエゴで道連れに出来るほどハルゼー提督は傲慢でも冷酷でもない。
そして、ハルゼー提督はこの時点で理解している。
日本の、古賀の狙いは太平洋艦隊の撃滅では無かった。
奴の真の狙いは合衆国の空母を無傷で生け捕ることだったのだ。
そもそも、このような発想は彼我の戦力が決定的に隔絶していなければ思いもつかない。
そして、古賀はそれを理解していた。
日本の艦隊は太平洋艦隊よりも遥かに強大だということをやつは最初から分かっていたのだ。
思えば最新戦闘機のF4Fを余裕で圧倒した日本の戦闘機とその搭乗員。
単機でも困難な海面を這うかのような超低高度を、それを整然とした編隊を維持して飛行できる雷撃隊の神技と言っても差し支えないその技量。
想像すらしていなかった誘導ロケット弾という先進的な兵器。
そして、なによりその物量。
日本の艦隊はその質と量の両面で太平洋艦隊を圧倒していたのだ。
「だめだ、こんな連中と戦っては」
ハルゼー提督の本能が警鐘を鳴らす。
日本軍は、古賀のやり方はあまりにも異質だ。
大艦巨砲主義がいまだ蔓延る現代において、その極致ともいえる「大和」型戦艦でさえ今思えば、連中にとっては航空戦に特化したそれを覆い隠すためのカムフラージュ、あるいはブラフに過ぎなかったのだ。
合衆国はインテリジェンスでも日本軍に完敗した。
戦備や戦術で劣り、情報戦まで遅れを取っていれば敗北するのは当たり前だ。
それにしても日本軍のやることはあまりにもハマりすぎている。
まるで一度戦争を経験し、それをあたかもフィードバックしているのではないかという錯覚すら覚える。
そこで、ハルゼー提督の思考は一旦断ち切られる。
参謀の一人がこちらの降伏の意志を日本側が確認したと報告してきたからだ。
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