第34話 不屈の猛牛

 最後まで残っていた機体が空母「エンタープライズ」の飛行甲板を蹴って北へ向けて消えてく。

 艦橋でそれを見守っていた空母部隊指揮官のハルゼー提督はわずかに安堵の表情を浮かべる。

 午前中に日本艦隊と矛を交えた太平洋艦隊は予想外の大敗北を喫した。


 戦艦部隊のうち一二隻あった戦艦はすべて日本の艦上機によって撃沈され、それらを守るはずだった四隻の巡洋と二四隻の駆逐艦も一隻残らず撃沈されるかあるいは撃破された。

 四隻あった「ブルックリン」級軽巡は半数が撃沈され、残り半数も敵戦闘機の機銃掃射によって艦上構造物を蜂の巣のようにされてしまっている。

 二四隻あった駆逐艦は全艦が日本の艦上機が放った無線誘導と思われるロケット弾によって撃破され、一〇隻近くが航行不能に陥っていた。


 艦艇以上に深刻なのが将兵、つまりは人的損失だった。

 特に戦艦のそれは顕著だった。

 一二隻の戦艦はそのいずれもが短時間に片舷に集中被雷し、あっという間に転覆して沈没するという、軍艦乗りにとって最悪の最期を遂げた。

 水平を保ったまま沈没すれば、足場はそれなりにしっかりしているから将兵の脱出も比較的容易だ。

 だが、転覆して床が九〇度傾いた艦からの短時間での脱出は想像を絶するほどに困難だ。

 艦底でボイラーやタービンのある機関室で間違いなく起こったであろう惨劇について、ハルゼー提督は想像したくなかった。


 午後になって日本艦隊の撃滅に向かった攻撃隊が帰還してきたとき、ハルゼー提督は衝撃を受けるとともに一つの決断をした。

 二二五機あった攻撃隊のなかで帰ってきたものは二〇機にも満たない。

 多数の戦闘機を配した日本艦隊の重厚な迎撃網によって二〇〇機以上の艦上機が絡め取られたのだ。

 しかも、生き残った搭乗員によれば、戦果はまったくのゼロだという。

 戦艦を失い、艦上機を失っては戦う手段は無い。

 いかに猛将ハルゼー提督といえども撤退を決意するほか無かった。


 すでに、空母部隊からはすべての巡洋艦とそれに半数の駆逐艦を洋上に漂う大勢の溺者を救出するために戦艦部隊に差し向けてあった。

 戦艦部隊には二四隻の駆逐艦があったが、そのいずれもが自艦を救うのに精一杯で、溺者の救助をする余裕など無かったからだ。


 航空参謀の見立てでは、日本軍が使用した無線誘導ロケット弾は弾体そのものは最低でも二〇〇〇ポンド、炸薬もおそらくは一〇〇〇ポンド程度はあるのではないかとのことだった。

 そうであれば、装甲が無に等しい駆逐艦なら一発食らっただけで持ち味の機動力を大きく減殺され、当たりどころによっては轟沈ということもありえた。


 溺者救助は、その数があまりにも多かったこと、そして救助に最も役に立つはずの駆逐艦で使えるものがあまりにも少なかったことから遅々として進まない。

 それでも、日没までには何とか終えることが出来た。

 その間にハルゼー提督は生き残った空母艦上機や巡洋艦の艦載機をウェーク島に向けて発進させた。

 脚の短い艦上機や水上機でも、往復は無理だが片道だけであればなんとかウェーク島までたどり着ける。

 この措置は、救助者を収容するためのスペースを捻出するためでもあったが、それとともに搭乗員の温存を図るのが大きな理由だった。


 これからの戦争は空を中心とした戦いとなる。

 実戦を経験した搭乗員は宝石よりも貴重な存在だ。

 彼らこそが日本艦隊に対する反撃の火種となる。

 それに、海軍将兵の中でも搭乗員は特に優秀な人材で固めてある。

 ウェーク島に脱出した搭乗員は必ずこの戦いの実情を海軍上層部に伝え、そして今後に向けた戦訓を導き出してくれるはずだ。


 次にハルゼー提督は損傷駆逐艦を友軍駆逐艦の魚雷によって撃沈処分させる。

 航行不能になった、あるいは低速しか出せない駆逐艦を連れて帰ることは不可能だ。

 敵艦隊には「大和」型戦艦が三隻もあることが分かっている。

 今頃は自分たちを捕捉すべく、追撃の途にあるはずだ。

 その「大和」型は速力が二八乃至二九ノット程度と見積もられている。

 だから、こちらは最低でも三〇ノット以上の艦で固めないと逃げ切ることは困難だ。

 そして、被弾した二四隻の駆逐艦で三〇ノット以上の速力発揮が出来る艦は一隻も無かった。

 そのいずれもが船体あるいは機関に甚大な損傷を被っていたからだ。

 だから、ハルゼー提督は二四隻の駆逐艦すべてを速やかに沈めるように命じる。

 もったいないなどと言っている場合では無かった。

 最大の水上打撃艦艇が重巡洋艦にしかすぎない空母部隊がひとたび「大和」型に捕捉されればどうなるかは火を見るより明らかだ。


 友軍駆逐艦が次々に沈められていくなか、ハルゼー提督は戦死したキンメル太平洋艦隊司令長官のことを思う。

 キンメル長官はかつて、横浜と神戸、それに長崎で建造されている超甲巡と呼ばれる巡洋戦艦は、実のところ空母では無いかと疑っていた時期があった。

 そして、彼の疑念は現実のものとなり、太平洋艦隊に最悪の結果をもたらした。


 今日の一連の海戦ではっきりしたのは、日本艦隊は最低でも七〇〇機以上の航空機を有していることだった。

 こちらが戦艦三隻、巡洋戦艦三隻、それに空母六隻と見積もっていた戦力は大きな誤りで、実際のところは戦艦が三隻に空母が九隻だったのだ。

 こちらが発見した五隻の空母というのは全体の一部でしかなかった。

 太平洋艦隊司令部は、いや合衆国海軍は日本の水上打撃艦艇を過大に見積もり、その一方で洋上航空戦力を決定的に低く見積もった。

 日本海軍は貨客船を隠れ蓑にして「隼鷹」と「飛鷹」を、そして超甲巡を隠れ蓑にして一〇〇機を超える艦上機を持つ大型空母を建造していたのだ。

 インテリジェンスの完全敗北だった。

 そして、そのツケは現在、現場の将兵の血で贖われている。


 間もなく日が没する。

 同時に太平洋艦隊は三〇ノットの速力で戦場からの離脱を図る。

 駆逐艦は危険なまでに燃料が減るが、まずは虎口を脱するのが先だ。

 ハルゼー提督は仮に日本の水上艦艇から逃れられたとしても艦上機からのそれはまず無理だろうと考えている。

 だが、それでも何もしないでただ漫然とやられるつもりも無い。

 ハルゼー提督は無様でも最後まで足掻くつもりだった。

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