第29話 零戦vsF4F

 「複数の敵編隊。いずれも一〇機前後。迎撃戦闘機と思われる」


 先行偵察の任にあたっている一式艦偵、その搭乗員のわずかに緊張をはらんだ声が航空無線から流れてくる。

 敵艦隊まではすいぶんと距離があるから、敵戦闘機隊もまたこちらと同様に電探と無線を活用した航空管制を実施しているのだろう。

 一式艦偵からは敵の数や高度、それに的針や的速といった貴重な続報が次々にもたらされる。


 空母「翔鶴」と「瑞鶴」、それに「神鶴」から発進した七二機の零戦は一式艦偵に乗る指揮官の指示に従い高度を上げる。

 「翔鶴」型の三隻は他の空母に比べて搭載機が多く、特に零戦は他の空母が三個中隊三六機のところをこちらは五個中隊六〇機を搭載している。

 そこで、「翔鶴」と「瑞鶴」、それに「神鶴」の三隻からはそれぞれ二個中隊の零戦と一機の一式艦偵が第一の矢として放たれた。

 一式艦偵のほうは誘導や前路哨戒、それに空戦指揮に携わる。

 目的は戦闘機掃討、ハルゼー提督やその幕僚らが言うところのファイタースイープだ。

 それと、大っぴらに語られることはないが「翔鶴」と「瑞鶴」、それに「神鶴」からそれぞれ二四機の零戦を第一次攻撃隊として先に出したのは同時発艦機数を減らす狙いもあった。

 三隻の「翔鶴」型空母は各艦ともに第二次攻撃隊に四八機を発進させるが、これに先述の二四機の零戦が加わると発艦や空中集合に要する時間が膨大なものになってしまう。

 いくら「翔鶴」型空母が長大な飛行甲板を有しカタパルトを備えているとはいっても、これはいささか数が多すぎた。

 そこで「翔鶴」型空母に関しては、結果として二波による出撃としたのだった。




 「瑞鶴」第二中隊第三小隊長の岩本一飛曹は指揮官の指示に従い高度を上げる。

 小隊長が下士官にしか過ぎない一飛曹というのは異例だ。

 通常、四機からなる戦闘機小隊を率いるのは少尉かあるいは飛曹長といった士官かあるいは准士官だ。

 だが、技量や実戦経験、それにリーダーシップを兼ね備えた者であれば下士官であっても小隊長になる者が母艦戦闘機隊ではちらほら見られた。

 岩本一飛曹もその一人であり、彼の得意とする零戦の長所を生かした一撃離脱の技の冴えは母艦戦闘機隊の中でも屈指との評価を得ている。


 「あと一〇分ほどで接敵。現在敵編隊と同高度。さらに高度をあげよ」


 岩本一飛曹の耳に指揮官からの声が流れてくる。

 敵機のての字も見えない中での指示に、岩本一飛曹は有り難いと思う。

 電探を搭載する一式艦偵のおかげで敵機の奇襲を受けずに済むから往路での疲労もさほど大きくない。

 目視による全周警戒は、体力よりも目や神経、それに精神力を消耗する。

 それが軽減されるだけでも、ずいぶんと違う。


 ほどなく、岩本一飛曹の目にゴマ粒のような敵機の姿が飛び込んできた。

 一式艦偵の情報支援のおかげですでに優位高度を確保、このまま上から被されば先手を取れる。

 岩本一飛曹がそう思った瞬間、指揮官機より全機突撃せよとの命令が発せられる。

 他の機体が翼を翻して敵編隊に向けて降下していくのを尻目に岩本一飛曹の小隊は少しの間、そのまま直進する。

 岩本一飛曹はタイミングを図る。

 眼下で敵機と零戦がぶつかり合い、空域が混交混乱したときがチャンスだ。


 零戦が優位高度から撃ち下ろすようにして銃撃を仕掛ける。

 米戦闘機も劣位にもかかわらず零戦に対して機銃弾を撃ち上げる。

 ブローニング機銃の性能を信頼しているのだろう。

 だが、最初の斬り合いは零戦の圧勝に終わる。

 二〇ミリ弾や一二・七ミリ弾をまともに浴びた十数機の敵機が煙を吐いて墜ちていったのに対し、零戦のほうは被弾した機体はあったものの、一方で墜とされたものは一機も無い。

 いかに高性能な機銃を積んでいようとも、空戦では高度が高い方が断然有利という鉄則を覆すには至らない。

 高性能機銃への過信、さらに己の技量に対するうぬぼれは米側に対して非情な結果をもたらした。


 それでも生き残った米戦闘機は零戦と交錯後にその後ろをとろうと旋回をかける。

 そこへ突入のタイミングを図っていた岩本小隊が垂直かと見紛うばかりの急角度で降下、奔流のような機銃弾を下方の敵機に浴びせる。

 その頃には岩本一飛曹もその僚機の搭乗員も敵機の正体を看破している。

 フィリピンをはじめとした南方戦域では最後まで手合わせの機会が無かったF4Fワイルドキャット戦闘機だ。


 その岩本小隊に狙われた側のF4Fはたまったものではなかった。

 奇襲同然に真上から撃ち降ろされた二〇ミリ弾や一二・七ミリ弾は容赦なくF4Fに降り注ぎ、発動機やコクピット、それに主翼といったありとあらゆる場所に大穴を穿っていく。

 あっという間に二機を食った岩本小隊はそのまま降下、さらにF4Fを食うべく安全圏に達したところで再上昇をかけるが、その頃にはF4Fの姿はまったく見えなくなっていた。


 岩本一飛曹は知らなかったが、七二機の零戦が戦ったのは五隻の米空母から発進した六〇機のF4Fだった。

 これらはただでさえ数的劣勢だったうえに、しかも最初の一撃で一五機を墜とされたことでその差は決定的となった。

 それでもパニックに陥ることもなく戦闘を継続できたのは流石にエース部隊の面目躍如ではあったが、あまりにも相手が悪すぎた。

 零戦は機銃を除くすべての性能でF4Fを凌駕し、それを操る搭乗員の技量も経験も米側のそれの遥か上をいく。

 そのうえ、数が劣っていてはF4Fの勝利は覚束ない。

 あっという間にF4Fを蹴散らした零戦は編隊を整え直し、再び米艦隊へと進撃を続ける。

 発見された太平洋艦隊の接触任務にあたっている一式艦偵の報告によれば、同艦隊の上空には依然としてそれなりの数の機体が存在しているという。

 その多くがSBDドーントレス急降下爆撃機らしいのだが、それでも無視をするわけにはいかない。

 戦闘機に比べて鈍重な急降下爆撃機でも、腹に重量物の爆弾や魚雷を抱えた一式艦攻にとっては危険な相手だ。


 「被弾損傷の無い機体、それに燃料に余裕のある機体は続け。太平洋艦隊上空に居座っている敵機を撃滅する」


 航空無線から指揮官の声が流れる。

 声音にわずかばかりの高揚と歓喜が含まれたそれを聞きつつ、岩本一飛曹は三人の部下に戦闘継続が可能かどうかを問う。


 「被弾なし、行けます」

 「燃料も十分、問題ありません」

 「次こそは敵機を食います」


 三者三様の返事に安堵を覚えつつ岩本一飛曹は機首を第二中隊長の編隊へと向ける。

 さっさと空中集合を済ませ、編隊を整え敵の本陣へと切り込むのだ。

 そして、一機でも多くの敵機を墜とす。


 やがて、零戦隊は太平洋艦隊の空母部隊とその上空にある数十機からなる編隊を視認する。

 再び日米の艦上機が太平洋艦隊のすぐ近くの空域で混交した。

 墜ちていくのはSBDばかり。

 一方的な虐殺。

 太平洋艦隊上空の制空権奪取は時間の問題だった。

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