2 コンクリートのリングの上で
それは重く、硬く、そして鋭い拳であった。
自動車の人身事故に巻き込まれたらこんな感じだろうか?
いや、自動車ってのは事故の際に歩行者を保護するために前面にクラッシャブル・ゾーンなんてのが設けられているらしいし、フロントガラスだって割れてくれる。
第一、自動車は人間の急所なんて狙ってはこないだろう。
私の顎を打つ情け容赦ない拳の方がよほどシビアなのではないか。
実際の所は分からないが、だいじんさんの拳はそう思わせるだけの鬼気迫るものであった。
さて、向こうは私の拳をどう思ってくれただろうか?
「……く、クロス……カウンター……!?」
ちらりと耳に入ってきたトミー君が絞り出した声は目の前で起きた事を驚愕しているというよりかは困惑しているという色が強い。
片や私の全身を弓なりに反らしたナックルアロー。
片や、両足をどっしりと据え付けただいじんさんの正拳突き。
互いの顎へほぼ同時に拳を叩き込んだのをそう呼ぶのならそうなのかもしれないが、トミー君が知るボクシングとはあまりにも異質なその光景をクロスカウンターと呼ぶのは躊躇われたのかもしれない。
(……マズい、足元が…………!?)
視界とともに揺れる足元はまるで地面がせり上がってきているのではと錯覚するほどで、私は不本意ながらも転倒しないよう後ろへ下がっていた。
だが、それは向こうも同じ。
1歩。
2歩。
3歩。
両者揃って3歩下がったところでなんとかバランスを立て直し2人はそれぞれのファイティングスタイルを取る。
「……華の女子高生に殺気くれてんだ。
「フン。若輩者に教育してやったんだ。礼を言ってくれてもいいんじゃぞ?」
たった3歩。
たったの3歩下がるのを堪えようと歯を食いしばっていただけだというのに、私の顎の筋肉はまるで固着してしまったかのように口を開くのに難儀した。
だいじんさんの構えはオーソドックスな空手スタイルの右半身の構え。
痩せた皺だらけの老人が何の変哲もない構えを取っているのに、殺気を全身から溢れさせただいじんは既知の異様さに包まれていた。
存在感を増した老人はまるで巨岩のように泰然としていて、ただ視線だけが鋭い。
(中山さんの親戚の爺さん。なかなかにとっぽい、面白い人じゃないの)
その真っ直ぐな視線に魅入られて、私はもう目の前の老人がすっかり大好きになっていた。
そして岩のような存在感を醸し出していた殺気が形を変えて鋭い刃のような形となった時、私とだいじんさんは共に前へと出ていた。
向こうもそれが分かっていたのか、私が動かずにいたならば届かなかったであろう前へ出ながらの直突き。
それに対して私は姿勢を低くして、突きを躱しながら大臣さんの懐へと飛び込んでいた。
そのまま相手の股間へ手を入れて、自分の背の上へ持ち上げてからブン投げてやるつもりであったのだが、それを察知していたかのようにすぐに右の膝で防がれる。
だいじんさんの膝は私の脇腹へと入っていたものの、ほとんど密着していた状況ゆえにダメージはない。
そこで私はそのままその脚を取り、そのまま膝関節を圧し折るくらいのつもりで思い切り自分ごと回す。
ドラゴンスクリュー。
私の
老人の体の軽さ故か、いつもより半回転は多く回ってから私は手を離し、コンクリの地面の上を転がりながら飛び起きる。
「……これは驚いた。ライオネスさんとやら、どこの流派じゃ?」
技が決まったからといって私が余裕こいていたわけではない。
だというのに私はすぐに飛び起きたというのに、ほぼ同時にだいじんさんもまた立ち上がっていたのだから驚いた。
オマケにだいじんさんの表情に苦悶の色は無く、足取りもしっかりとしていてダメージの痕跡は無いのだから何か悪い冗談かと思ってしまう。
「……ドラゴンスクリューの回転に合わせたというの?」
「長年の勘というやつじゃな。むしろ立ち上がってからヒヤリとさせられたわい」
なんという事はない。
いつもより少しだけ多く回ったというのはだいじんさんが軽かったとか、私が好調だからとかそういうわけではなく、しっかりと向こうが合わせてきたからだったのだ。
上手くやってやったとばかりにニンマリと笑うだいじんさんは私を嘲笑うではなく、ただ自身の技量、勘所を誇っているようで思わず私の実力を彼に認めさせたいと思ってしまうようなもの。
私は彼の笑顔に歯をひん剥いて笑みを返してから、また前へと出る。
一気に加速してからのドロップキックは両腕を交差させた十字受けで防がれ、着地と同時に全身のバネで飛び起きてから今度はキンシャサ。
だいじんさんは打点をズラした蹴りにもよく対応して叩き落とすようにいなされる。
だが、ここまでは私も想定済み。
これで相手の意識は上半身へ集中させる事ができただろうか?
いや、できてなくとも、やる。
そこで私はさらに距離を詰める。
先ほどよりも姿勢を低く、蹴りで顔面狙ってくださいとばかりに。
私の仕掛けに向こうは何か感じ取ったか大振りながら高威力の蹴りではなく、鋭く素早い前蹴りできたが関係ない。
私はさらに姿勢を低く、もう地面にキスするくらいの勢いで、野球でいうところのヘッドスライディング状態でだいじんさんの股と蹴りで空いた脚の下を滑り過ぎていった。
想像どおりコンクリの床とツナギ服は良く滑る。
さすがにこれにはだいじんさんも想定外であったようで対応が遅れ、私は彼が振り向くよりも先に立ち上がり、そしてその背に抱き着くようにしてがっしりと腰に両腕を回していた。
「大昔のレジェンドが使うジャーマン・スープレックスはその長身から繰り出される落差からエベレスト・ジャーマンって呼ばれてたみたいだけど、安心して。私のは高尾山って呼ばれてるくらいだから……」
そのまま老人ごと私は体を海老反らせてヘッドブリッジの姿勢になる。ただしヘッドブリッジはヘッドブリッジでも、地面に付くのは私の頭ではない。だいじんさんの後頭部だ。
私のジャーマン・スープレックスはこの体格故に落差も加速距離も小さく単純な威力は低いのかもしれない。
だが、それは逆説的に受け身を取るまでの暇が極端に短い事も意味する。
果たして空手家の爺さんはジャーマンに対する受け身が取れるのだろうか。
だが私の疑問も一瞬の事。
コンクリの床へのインパクトの瞬間、私の耳へと入ってきたのは予感していた鈍いものではなく、甲高いものであった事に慌てて私は老人の腰から手を離して飛び退いた。
その音はしっかりと顎を引いて両手を地面に叩きつける事で上手く衝撃をいなした時、特有のものであり、予想通りに老人は立ち上がる。
「タカオ式ジャーマンじゃと? 貴様、ライオネス獅子吼か!?」
「へぇ。さっきまでJKプロレスだと気付いてなかったのによく言う」
しっかりと受け身を取った事でダメージは最低限。
股の下を潜り抜けるという同じ手はもう通用しないだろうし、受け身が上手いという事はしっかりと基礎ができているという事。ついでに部活をやってた頃の私も知っているという事は私の技の引き出しもある程度は知られていると思った方がいいだろう。
久しく見ないやり辛い相手に私はほとほと嬉しくなってきていた。
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