13 カスヤ・マニューバー
1発の砲弾のように大空へと飛び上がっていったF-15が随分と小さくなっていった頃、やっとマーカスは機首を下げて水平飛行へと移る。
僅かにロール角を付けて上空を旋回していると後席のリョースケもようやく人心地ついたようだ。
「ァ……、ハァ……、ハァ……、げぇ……、すっげぇ……!!」
酸素マスク越しに聞こえる声は酷くくぐもって聞こえるものの、子供らしい興奮に満ち溢れた声であるのは一目瞭然。
「随分と辛そうだけど、どうする? もう降りるかい?」
挑発的に後席に問いかけるマーカスは返答は分かっているとばかりに暢気な声。
「やだよ!? もっと色々とできるんでしょ!?」
「オーライ、っと!!」
リョースケのGOサインと同時にF-15は機敏な動きで宙返りを始めてその頂点、ちょうどパイロットの頭が地面を向いたタイミングで機体を一瞬でロールさせて水平飛行の状態へと戻す。
「インメルマン・ターンっ!!」
「おっ、さすが戦闘機眺めて暮らしてるだけあって良く知っているね! それじゃこれはどうだい?」
「スプリットS……!?」
インメルマン・ターンとは先ほどマーカスが見せた戦技の名であり、第一次大戦中にその技を得意としていたエースの名を冠されたものである。
そしてその次に今、私たちの目の前で繰り広げられているのはインメルマンターンとは逆パターン。
先にロールして上下逆さまになった状態から逆宙返りで水平飛行へと移るスプリットSという戦技である。
そもそもがゲームの中の存在である私としてはゲームのシステムとして用意されているわけでもないスキルを自前でできるというのは正直、凄ぇなあとは思うものの、リスポーンできるわけもない現実世界で死の隣合わせの世界でそんな事をしてたとか半ば呆れてしまう。
そういえば昨日、難民キャンプでの大型ミッションの終盤、ライオネスが月光を相手に見せたあの技もシステムとして用意しているわけでもないスキルと言う事もできるだろうか?
そんな事を考えている内にもマーカスは次々と戦技を繰り出していき、シャンデルからナイフエッジと続いて木の葉落としでヒラヒラと機体を揺らしながら降下する。
そのままだいぶ高度を落としたまま機首を持ち上げ、機体は真上を向いた状態となった。
宙返りか?
いや、違う。
宙返りならば上方向へと跳んでいくハズだ。
だがF-15は天を向いているというのに、機首を持ち上げる前と同じ方向へと進んでいるのだ。
機首は上を向いているのに、機体は前へと進む。
もちろん空気抵抗のせいで大幅に減速しており、上を向いたまま静止しているようにも見えるかもしれない。
その戦技の名はコブラ・クルビット、またの名を……。
「あれは……、プガチョフズ・コブラ……?」
戦技の連続で再びGの猛威に苛まれて声も出せなくなっているのであろうリョースケに代わって地上のキャタピラーが呟いた。
第一ソヴィエト連邦の戦闘機テストパイロットの名を冠されたその技はその名のとおり鎌首を持ち上げた大型の毒蛇を思わせた。
「待ってよ。リョースケの話じゃF-15でコブラができるのは日本じゃ1人しかいなかったハズよ?」
「あ、そっかぁ。じゃあ、きっとよく似たコブラもどきさ~!」
「まあ、もどきでもきっとコックピットの中は酷いマイナスGなのは変わらないでしょうけどね」
パオングの言葉にキャタピラーは能天気な声で答えるが、私は内面ドキリとさせられていた。
どうせアレだろ?
「日本じゃ1人しかいない」って、それ、現役の頃のマーカスの話なんだろ?
マーカスの野郎。日本で自分しかできない技を平気で使って身バレとか怖くないのだろうか?
その内、というか機会を窺ってできるだけ早くその辺のスタンスについて話をしておかなければなるまい。
私たちユーザー補助AIは基本的に各担当プレイヤーに対して不利益にならないよう働く必要があり、現実の身バレを防ぐというのもその業務内容の1つだ。
もちろん、ライオネスと虎代さんのような家族であったり、ライオネスのフレのサンタモニカのような現実でも友人であったりという話は別ではあるが。
その後、マーカスは機体を水平飛行させてショックコーンと轟音を作り出した後、速度をそのままに施設の上空を旋回しはじめる。
それは何かを待っているかのようだった。
「おじさん、すっげぇなぁ!! 次はアレできる!?」
「おっ、なんだい?」
「カスヤ・マニューバー!!」
「ハハッ! それは今は無理だよ!」
「ちぇっ! 詰まんねぇなぁ!」
「そう言うな。その代わりを用意したげるから!」
あの野郎、インメルマンとかプガチョフみてぇに自分の名を冠した技まであるのかよ……。
しかし、マーカスはまたなんでリョースケの頼みを断ったのかは知らないが、どうせ専用に改修された改造機じゃなきゃダメとか、歳を食ってその技の負荷に耐えられなくなったとかそういうのだろうけど、マーカスの名を冠された戦技をリクエストするリョースケもリョースケだ。
私は「カスヤ・マニューバー」なる戦技がどのような物かなどは知らないが、その技を知るリョースケならばこれまでの戦技でGがどれほどのものかなど想像もつくだろうに。
私ならばマーカスの本名を冠された技など自分が乗っている時には絶対にゴメンだ。
「まあ、おじさんができなくてもしょうがないよ! やっぱ、あの技が使えるのはカスヤ1尉だけなのかな~!」
「ハハッ、そう不貞腐れるなって!」
不満たらたらのリョースケに地上から私は「やめとけ……! なんで虎の尾の上でタップダンスするような真似をするんだ!?」と胃を痛くするばかりであったが、当のマーカスは愉快そうに後席の少年を宥めている。
地上の私からは通信越しの音声しか聞こえていないが、物騒な物を乗り回して剣呑な戦技の連続の合間だというのに2人の声は穏やかで、まるで親子のようでもある。
だが、2人が乗るF-15を苦々しい顔で見上げる者が1人いた。
「先生? マーカスもあんまり悪気はないと思うんだ……」
「ん? ああ、別にマーカスさんに何か思う事があるわけじゃあないんだ」
眉間に皺を寄せて目を細め、頬が持ち上がっているのはなにか歯噛みでもしているかのような栗栖川は私が声をかけるとわざとらしく顔を綻ばせてマーカスに対して他意があるわけでもないと言う。
「いや、それはホントさ。現実でもこっちでもリョースケのあんな嬉しそうな顔を見るのは久しぶりだし、ご褒美につられてとはいえ勉強に熱心になれる子だと知れたのもマーカスさんのおかげだよ。でもね……」
「でも……?」
「あの塗装の戦闘機を君は知っているかい?」
「まあ、一応は……」
それが作り笑顔だと感じたのは正しかったようで、栗栖川が悠然と天を飛ぶF-15へ再び視線を移すと、やはりその眉間には皺が寄せられていた。
ゆっくりと上空を旋回するF-15の塗装は一般的なスカイグレーのものではなく、白と黒の2色。
機体上部が白で、下部が黒という2パターンは警察のパトカーとも似た配色ではあるが、「航空機」という同じ括りでかつての米国のスペースシャトルを連想する者も多いだろう。
それはかつてのマーカスの乗機を模したものである。
もっとも機体自体は普通のF-15のようだが、部隊エンブレムといい機体ナンバーといい、昨日、難民キャンプの作戦室でマサムネに見せられた動画の物と同一であるという事はカスヤ1尉のファンであるリョースケがかの改造機のレプリカを運営に用意してもらったというとこだろう。
「あの子を始め、かつてあの塗装の戦闘機を駆っていたパイロットを英雄視する向きもあることは知っているがね。私にはとてもそうは思えないんだ……」
私としてはその言葉には全面的に同意してやりたいところではあるのだが、栗栖川の表情は深刻で、とても軽々しく口を挟めるようなものではない。
「カスヤ1尉とかいったか? そのパイロットが異星人ともっと上手くファーストコンタクトを取ってくれてさえいれば……。もっと異星人と上手く付き合えて、きっと今頃は医療技術も考えられないくらいに進歩して、ここの子供たちのほとんどが普通に親元で暮らせていたんじゃないか。私にはそう思えてならないんだ……」
栗栖川の言葉に私は何も言い返す事ができなかった。
同意も否定もできなかったのだ。
私やリョースケに対してはやり過ぎるきらいこそあるものの、底抜けの善人のように振舞おうとする男を恨む者がいる。
それがただ悲しかった。栗栖川が夢想する異星人の技術を用いた医療技術の進歩の必要性をこの場所を訪れて強く理解していただけに余計に。
かといって周囲を航行する船舶やら航空機やらを次々と拿捕する正体不明の異星人相手に「もっと上手くコミュニケーションを取ってくれていれば」なんて言えるのは、かの異星人が「人情家」と呼ばれるような温厚な種族である事を知る後の時代の者だからだということも理解している。
故に私は栗栖川に対して同意も否定もできなかった。
「あれ……? 陽炎? 誰が乗っているのさ~?」
「まさか、パス太?」
私の重く沈み込んだ気持ちを晴らすためかのように格納庫から下半身にスカートを巻いたかのようなピンク色の巨体が姿を現す。
それがマーカスが用意していた「カスヤ・マニューバーの代わり」であった。
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